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安心と信頼からなのですね

人には色んなタイプがあることをレッスンを通してよく教わる
そして、人はどんどん変っていく
カラダもその人自身も

” ねぇ、アオイさんこれで合ってる? "
" 分かんない、ねぇ合ってる? "
" そんなの出来ない "
" ねぇ、どうして?何で? "

おぅおぅ、レッスンが全く進まないじゃないか
セミパーソナルでお二人で受けているのに
ひとりなんだか騒がしい

もう一方がそのエクササイズを理解できると
” ねぇ、なんで出来るの?ねぇ、なんで ? ”

この感じ一体何なんだろう
と思いながら
ねぇ、頭で考えるのやめて
一回自分のカラダで感じてみてよと言う

ほら、ここをこうするとこういう感じしない?
そしたら、これをこんな風にイメージして動いてみてよ。
どんな感じ?
” ホントだ ”

それの繰返しだった
そしたら、徐々に繫がってきて
今ではイメージが上手くなった

レッスンはイメージしてみて
が多いので、イメージ出来ないと繋がりにくいかもしれない
けれど、彼女の場合はイメージに入る前の問題だったように思う

それが、何故だったか理解出来る事がある
わたしを疑いで見ていたからだ
わたしだけではなく、何事も疑いから入る

当初、変化の少ないカラダに
ちょっとしたアオイさんという詐欺にかかっているんじゃないか
と、夫婦で話したらしい 笑
いや、笑えないよ

レッスン受ける時の意識からして、疑いなんだもの
そりゃ進み具合も変化も違うよね

点と点が繫がって
カラダに変化があって
アオイという人を受け入れた時から
彼女のカラダとレッスンの受け方が変わりだした
旦那さんにも凄い変ったと言われて嬉しそう

レッスンを受けてみたいけど、疑いから入るという
一見随分と矛盾した行為だけれど
結構、世の中そういう人もそういう出来事も多いと思う
それが悪い事とも思わない

もちろん、指導者の言うとおりに素直に実行していくと上手くいきやすいのはどの世界でもそうだろう
ただ、そこに自分自身の感覚としてどうなのかを必ず持っていることは大切
ひとりとして同じカラダなどない
ひとりとして同じ感覚ではないのだから

指導者もその人の感覚を大切にするということを忘れてはならないと思う
カラダと心を含めて個性なのだから

疑り深い人は、時間がかかるということを
本人が理解しておいた方が良さそうだ
逆に時間がかかる人は、自分が疑り深いと思ってもいいかもしれない

そんな彼女は、今ではグループレッスンに参加し
先ず一回自分で感じてみるということをしている
そして出来る事は少し得意げでもある
闘争意欲がいい意味で湧いて、いい刺激となっているみたいだ。
なんか可愛い♡

このカラダには、どんな風に伝えたらいいだろうかと毎回考えることは
わたしにとってのギフトである。

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お読みいただきありがとうございます。
すっかり、朝晩が冷えてきましたが日中はまだまだ暑いです。
写真は、サンディエゴのOceanside
みんな並んで同じ波でボディーボードに乗っている姿が可愛らしかったです。





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