ラストバイト
この間、バイトが最終出勤日だった。3年強やったテレビ局のバイト。
大学生でやった4つのバイトのうち2つを3か月でやめて、1つは短期バイトだった自分にとっては唯一続いたバイトだった。
このバイトを始めるまでバイトは毎回行きたくなくて、すごく苦行だった。
苦行だったので、2つも3か月でやめた。
そんな自分にとって3年も続いたのは快挙だった。
でも、最初は仕事が絶望的に遅くて、周りと比べて毎回落ち込んでいた。
テレビ局のバイトと言っても、私がやっていたのは末端の末端ぐらいで、放送される内容には1ミリぐらいしか関わらない。
準備片付け、事務作業、もろもろの雑務などなど。
内容としては単純作業ではあるけど、最初の1年ぐらいは周りよりだいぶ作業スピードが遅く、覚えるのが遅かった。
おそらく自分はてきぱき作業するのが苦手だ。
普通にやっても毎回人より遅い。
だから、3年間ずっと自分は仕事が出来ないから、周りより頑張らないとと思っていた。周りより少し気を張って、なんとか速く作業が出来るように。
そう思いながら3年間続けたが、辞める前の1ヶ月ぐらいで驚いたことがある。ありがたいことに、周りから辞められたら困ると言われることが少しあったことだ。
お世辞だと思うけど、仕事が出来ない自分から少し出来る自分に進化していたのかもしれないことが嬉しかった。
嬉しい反面、社会に出たらそうはいかないのかもしれないという危機感もある。
仕事が出来ない自分でも年長者になれば任される内容が若干変わったように
学生のバイトとか部活とかは、あまり何もしていなくても時間が経てば自然と偉くなっていることがある。
社会に出ると、年功序列ではなくなってきているのもあって、年齢はあまり関係ない。
就職したら「なんとなく」ではレベルアップすることは出来ない。
何かを成し遂げないと、時間の経過とともに自然に偉くなることなどこれからはおそらくない。
頑張りがいはあるけど、突き放されてしまう感じがしてかなり怖くもある。
気を張りすぎてもがんじがらめになってしまいそうなので、考えすぎないようにしたいけど、今までより気を張る必要はありそうだ。
テレビ局の話に戻るが、私はバイトを始める前になんとなくテレビ関係の職業いいな~ぐらいに思っていた。それを判断するためにも、テレビ局でバイトしてみようと。
働いてみた結果、テレビに関しては生産者ではなく消費者でいたいと思った。
自分はテレビの内容には1ミリぐらいしか関わっていなかったが、100メートルぐらい関わっている人が働いているのをけっこう間近で見れた。
撮影の数日前に内容を変更するためにあちこちに電話をかけていたり
だいぶ早い時間から何度もリハーサルをしていたり
言葉の表現1つを本番の直前に直していたり
こんなのは本当に一部分だと思う。
それ以外にも多分、四六時中テレビのことを考えて、少しの表現にも思いを込めている。
そんな人がいる中、私は話している内容を文字に起こして、一部分だけ字幕をいれたことがあった。
それだけなのに、実際放送された番組を見て、あの字幕消されてる、とか、あの文言変わってとかを思って、
こっちの方が良かったかななんて若干反省しながら見ていた。
そう思いながら見ていた時、1ミリしか関わっていない自分がこんなことを思うのに、100メートル関わっているあの人はどう思っているのだろうと感じた。たぶん100メートルの人たちは、テレビを見ることで自分の仕事に関わる勉強をしているのだろう。
私は物心がついてからずっとテレビっ子だった。
テレビ離れが進んでいる今でもテレビがない生活は考えられないぐらいにはテレビを見ている。
テレビの生産者にもしなってしまえば、今まで自分がケラケラ笑いながら見ていたテレビから勉強しないといけない日が来てしまいそうだった。
それは避けたい。だから、テレビの生産者になりたいとは思わなくなった。もともとなれなかったと思うけど。
テレビの生産者のみなさんは本当にすごい。色んな人たちの想いや努力が積み重なってテレビが出来ているんだと思う。
そんな努力を尊敬しつつ、社会人になっても今まで通りケラケラ笑ってテレビを見続けたい。
それにしても、バイトが終わってしまうのはかなり寂しい。
そう思えるのもすごく貴重なことなのだろう。
社会人になっても、終わりが寂しくなるような素敵な場所にたくさん出会えますように。