見出し画像

なんか最近痛くない?

どうも。
世の中はGW最終日なんだってね。
休学していると休日も平日も区別がなくなるから、自分が「ここ!」と決めた日が休日でそれ以外はすべて平日になる。
逆に言えば休日の設定をし忘れるとすべて平日になるので要注意。
適度に休みましょう。

今日はせっかく自分の資料がたっぷりある実家にいるので、今までの人生を振り返ってみることにした。
すると自由帳やら連絡帳やら、図工の作品などがわらわらでてきた。
完全に記憶の海に沈んでいたものがたくさんでてきて、忘れていた自分を思い出した。主に保育園児から小学校の頃のこと。
とても絵が好きでいっぱい書いていたこと、意外と本を読んでいたこと、クラスでレクリエーション会を企画・実行していたこと、五年生でダーウィンを先輩と呼び、すでに生物系で大学院に行くことを夢見て世の中を良くしたいなんて考えていたことなど。

びっくりだ。同じ人間だとは思えない。当時の自分が何を考えていたかなんて全然わからないもんだ。
だから日記って大事なんだな。
きっとこのnoteもいつか読み返したときには大事な資料になっているんだろう。なっててくれ。
それにしてもかなり自分の中の記憶のキャラと違っていて困惑だ。人の記憶なんてあてにならない。
もっとちゃんと振り返りたかったが、時間がなくあえなく中断。
しっかり見れたらまたnoteにまとめるかもしれない。

「生きるってことは、変わるってことさ」
エヴァンゲリオンに出てくる僕の大好きなキャラ、加持さんの名セリフだ。
自分はこれを肯定的にとらえていて、何かチャレンジをするときなどにおまじないのように使っている。
そしてここでもう一つ思ったのは、自分の「生きる」は他人も「変わる」ということだ。
これは自分がnoteを書き始めてから感じたことだ。自分が書いたnoteを見たわずかな友人達から、自分がnoteを書く姿を見て自分もやってみようと思ったという言葉を聞いたからだ。
自分の小さな生きる営みが他人の生きるというものに影響をする。
きっと自分もいろんなところで人の感情の乗った行動を自分の生活の一部として受け止め、自分の中の炎も人に移している。
こんなにおもしろいことはない。これだから生きるっていうのは止められないなって思う。

変化を恐れず生きていきたいですね。

以下雑記
人に影響を与える。その人の記憶に残る。きっとこれも広い意味でホッブスの唱えた自己保存の欲求になるんだろう。
少し名声を求めたくなる気持ちもわかってしまう。

実は加持さんのセリフの後にはこんなリツコのセリフが続く。
「今を維持しようとする力と変えようとする力。その矛盾するする二つの性質を一緒に共有しているのが、生き物なのよ」

「生き物」まで言っちゃうと主語が大きすぎるような気もしてしまうけど、少なくとも人はそうだなと思う。
やっぱりなんだって変化は怖い。既知は安堵をもたらすが未知はリスクを孕んでいる。
だけどその未知に快楽を見出してしまってはもう後戻りはできない。
昔ならばきっと自分はまっさきにフグ毒にあたって死んでいくようなタイプなのかもしれない。
しかしまだ"フグ"を食べる事ができていない。
しかし着実に前には進んでいる。
明日もがんばっていきましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?