お仕事のお話。

私のお仕事は、免許がないとできません。
ちょっと前に診療放射線技師を諦めたお話を書きましたが、今のお仕事を目指すようになったのは中学三年生からでした。

カリスマ顧問が普門館に連れていってくれたから
いじめられたときに声をかけてくれたから
暗くなるまで勉強に付き合ってくれたから

そんな学園ドラマみたいな理由ではありません。
弱小吹奏楽部だったし、いじめられたことないし、そこまで勉強もがんばっていませんでした。

めっちゃかっこいい先生が赴任してきたからです。

ある意味学園ドラマみたいですね。
この人と一緒に働きたい!っていうめちゃめちゃ不純な動機でした。私は基本不純な動機で物事を決めます。人間なんてそんなものでしょう。
そんな不純な動機で、今こうしてそのお仕事をしていることに自分もびっくりです。

この仕事をしたいと言ったとき、親はとっても喜びました。安定してて、お堅くて、世間的にも良い感じの職業だからでしょう。

親に抗うのも疲れちゃうので、まあいっかと思って高校でもなりたい職業は変わりませんでした。
ただ、一人暮らしをしたいという思いは強くありました。

一人っ子でがちがちの箱に入れられて育った私は、19時過ぎまで友達と遊んだこともないし、勝手にふらふら遊びにいったこともないし、自分の部屋で勉強したこともありません。
いつも視界に我が子を入れておきたいタイプの親でした。

なりたい職業は合わせたんだから、せめて大学くらい離れたところへ!!という一心で、県内の大学よりレベルの高い大学を目指しました。
ついでに、ただ教育学部に行くのはつまんないから、少数派っぽい科に行こうと思いました。

何の教科にしようかなー(専門の教科が私たちにはあります)と考えた結果、中学の技術と高校の工業の免許がとれるところに行こうと決めました。
前にも書いた通りごりごりの文系な私でしたが、理系への憧れが捨てきれなかったので、何とかして理系っぽい科に行こうと思ったのです。

さてセンター試験勉強、お金が足りないのでそもそも私大へは行くことができなかったのですが、私は確実に国公立向きの成績でした。

国公立というとすごい!頭良いね!って言ってくる人がいますが、私は違うと思います。国公立を目指そうと思うと、センター試験でまんべんなく平均点よりちょこっと高い点数をとる必要があります。最難関の国公立は違いますが、それ以外の国公立を目指すなら、そこまで全教科高得点を目指さなくても何とかなります。
それに、たくさん科目があるのでどれか1科目で大コケしても、足切りにならない限り他で補えば何とかなります。私は数学で大コケしましたが、国社で何とかしました。

それに比べて私大は3科目で良い点をとらないといけません。しかも3科目しかないので、大コケが許されません。3科目全部8割とかすごすぎます。私には無理でした。

というわけで、そこそこ頑張って県外の大学に行くことに決まりました。今思うともっとちゃんとやれやと思いますが、やっぱり自分の番号が合格者の中にあると嬉しかったです。

最初は往復六時間の距離を通えと親は言いましたが、その距離を一緒に通わせた結果、一人暮らしが決まりました。何事も体験させることが大切ですね。

私が通うことになった学科は、何の教科をとってもいいよ、技術の免許がとりやすいよという、ぴったりな学科でした。
早速技術の免許をとるために、プログラミングや木工や金工、力学、製図などを学び始めました。初めて勉強する理系の専門的な科目は本当に面白かったし、授業をサボりがちな私でしたが一生懸命授業に出ました。

そこで、あることに気づきました。

技術の免許は、理系の人がとるものだと。

当たり前ですね。

でも、私はそれに単位を取り始めてから気づきました。

どの科目も、物理や化学、数学が出てきます。文系が思い浮かべる物理や化学は物理基礎、化学基礎、理科総合Aです。数学はⅡBです。
理科と言ったら生物でニワトリのとさかの遺伝を図にした思い出しかありません。

理系の数学はⅢCです。聞いたこともない言葉や数式がたくさん出てきました。
全部の授業にちゃんと参加し、ノートを取り、自分でも参考書を買って勉強した結果、テストは0点でした。

さすがに無理なんだなぁと気づいたので、教科を変えることにしました。教科を変えるついでに、学科も変えることにしました。おかげで3年生、4年生のみんな遊びまくっている時期にフルコマで授業を受け続けることになりました。

この頃の私は、塾のバイトをしていて、大学よりバイトに一生懸命でした。バイトのために授業を途中抜けしたり、休んだりしていたくらいバイトに振り切った生活をしていて気づいたらサークルも辞め、授業以外ほぼ大学にいない生活になっていました。
思い返せば、もっと大学らしい生活をしておけばよかったなーって思いますが、まあいっかと思っています。
ブラックバイトのおかげで、社会人になってからの方が労働時間も短いし、お金もたくさんもらえるし、お休みもたくさんあります。社会人をきついと思わなかったのは、バイトのおかげでしょう。

こうして、とりあえず免許をとるためだけに、いやいや授業に寝に行っているような大学生でしたが、無事免許をとるだけの単位をもらい、くそみたいな卒論を呆れ顔の教授にオッケーしてもらい、就職先をラッキーにも一発で決め、卒業しました。

今のお仕事は、大変なこともたくさんあるし、嫌なこともあるし、心も体も疲れることはあるし、毎日朝早くて行きたくないし、芸能人なみに気を付けて生活しないといけないし、聖職者って呼ばれる理想像があるのがすっごいいやだけど、何とか続けることができています。
これも、中学三年生の時に赴任してきたかっこいい先生のおかげです。

だから私は、どうしてこの仕事に就こうと思ったんですか?と聞かれたときに、こう答えることにしています。

素晴らしい先生に巡りあえて、その人のようになりたいと思ったからだよ。

結局学園ドラマのような理由になっていますね。嘘も方便です。

ただ、この仕事をしていると、診療放射線技師のことが頭を定期的によぎります。
一度免許をもらうと、更新は必要ですが全国どこでも試験に受かれば仕事ができる、しかもいつも足りない仕事(めっちゃ辞めていくんだよね)なので、求人いっぱいでいつでも始めやすい仕事なので、一回辞めてやりたいことやってまた戻ろうかなーって思うことがあります。

だって、この仕事は何歳になってもできるもん。もう一回学校入って勉強して資格とろうとするなら、早い方がいいじゃないですか。おばあさんになって資格をとろうとするのが大変だということは、理系に無理矢理なろうとしていた私にもわかります。
だから、どこかのタイミングで一度休職したいなーと考えています。今は仕事の事情で休職できないですが、10年以上頭の片隅にある夢は、きっと叶えた方が良い夢なのだと思います。
資格をとったら満足するのかもしれません。その勉強がしたいというのが一番の理由なのです。

とにかく、自分の人生、後悔せず楽しく生きたいものです。あとはお金を貯めることですね。
あー、大変。できるかな。

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