ツイッターで争っても何の意味もないと思う。

☆☆☆
 特定の個人、団体、組織を誹謗中傷する意図はありません。そのことを考慮してお読みください。
☆☆☆

 ツイッターで貼り付けたら、初めて「今そのこととゼレンスキーは関係ない。他所でやってくれ」とリプライが届いた。中身を見れば関係大有りの出来事なのだが、タイトルだけで判断されたのと、あと、「統合失調症ではない人は勝ち組です」という、私が障害者だからなめきっての投稿だったと思う。

 不快に思ったらわざわざ返信しなくてブロックだけでいいのに……と思ったのだが、多分相手が疲れているか、説教が好きなタイプなのか、それとも善意でそのような投稿をしたのか、わからない。でもこれから先どんどんアンチは増えていくだろうし、偏見もどんどん増えていくだろうと思われる。だからといって立ち向かうつもりは毛頭ない。ツイッターでの議論など不毛に等しく、人が人を動かせると思ったら大間違いだということを私は強く知っている。

 しかし、統合失調症へのヘイトクライムでは無かったことも事実だ。中身を見ずに説教がましい人に注意された、ただそれだけのことだ。これから先、物理的に、または金銭的に何か不都合なことが起これば、それはもう警察や行政に相談するしかないが、そういうことはこれから先必ず起こる。間違いなく起こる。

 ツイッターという無差別に人に記事を見せてしまう戦場の中で、ただリプライに記事を貼り付けるという、なんでもない行為を発明した、というか倫理的にしていいかどうかはわからないが──井上和音を見るのが嫌ならとっくの昔にブロックしているだろうが──この行為はどうなのだろうか。私の主張の「嫌なら見るな」というのは、果たして正しい主張になるのだろうか。私にはわからないが、先ほどのリプライを受けたその記事は、リプライを消すことにした。確かに、記事とニュースとの関連性はタイトル上薄かった。内容はゼレンスキー大統領の演説中に国会に停電が起きたらどうなるか、というタイトルと、「なぜ停電は防げたのか」というタイトルのニュースだったので、簡単に言えば中身を見ていないだけなのだろうと思う。そして、私が豆腐メンタルなのも、なんとなくわかった。内容が矛盾していても、消せと言われればリプライなど簡単に消してしまうのだな、と自分の豆腐メンタルを理解した。争うことも嫌だし、自分を否定された文章が──それが正しかろうと正しくなかろうと──ツイッター上で延々と残ってしまうのも気が引けた。もしかしたら私の行為は統合失調症患者に、更に大きな偏見をもたらしてしまうかもしれない。それでも、記事を書いて、読まれなければ、その記事を書いた意味はないのだ。そのテーゼだけは、誰にも看破されないと思う。

 私は今のところ、そこまで有名ではないから。大丈夫だと思おう。

よろしければサポートをお願いします。