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4630万円を誤送金した、阿武町の役所がおとがめなしなのはなぜなのか?(※注意書きあり)

 仕事をした。週五の勤務。終わった。色々あった。月曜日は人間関係で限界になったし、水曜日はパソコンが突如ハッキングされた。

 終わった。明日はポケモンGOだ。晴れればいいな。

 「これは本当に気が付いたことなんですけど、人はある程度ストレスで追い詰められると、会話形式の文章が全く打てなくなるんですね。孤独の時もそうですが」

 仕事って、特に単純作業の仕事を続けていたら、脳が破壊されるんじゃないかと思ってしまう。文章構成能力とかが格段に落ちてしまうような、そんな実体験がある。

 というか、仕事場で、何もしゃべらず黙々とやっていると、誰かと会話する能力が極端に下がり、何度も言うが、文章構成能力が落ちてしまう。

 統合失調症はかなり起きた。仕事場でも何度も起きた。しかし、それに何の関心も示さず、ただ自分を殺し続けた。

 仕事って自分を殺すことだと思う。自分の能力を上げることで優秀だとみなされるのは大学までだったかのように思う。

 自分がパートタイマーだからそう思うのか。

 社会人になった場合、スタートラインで既に未来が決定されていて、その中でどんなに頑張ったとしても、昇給することや社会的地位を獲得することはまずない。

 社会の歯車の一員となって、ただただ動き続ける。

 幻聴が聞こえる。「ねえ……」と呆れられたような幻聴だ。

 もっと元気を出して、優秀な文章を書いてほしい。有益な記事を書いてほしい。幻聴はそう言っている。しかし、元を辿れば、その幻聴も「優秀な記事や有益な記事を書けば、いつかnoteあたりで寄付金を貰えるかもしれない」という、欲望の故の幻聴なんだろうな、と思ってしまう。

 「違う」と聞こえてきたが、これでは記事にならない。幻聴だらけだ。「死ねよお前」と聞こえてきた。

 困ったもんだが、もしかして、思考で何も思いついていない時にただ幻聴が聞こえてくるだけなのかもしれない。そう、何も書くことも無いのだ。

 何も思いつかない。別に疲れてもいない。ただ、カクヨムのブログに、こうやって文章を載せていくことの危うさを、週五で勤務してきて、そちらの危うさの恐怖のほうが勝っているから、幻聴が聞こえ、書くのを止めようと本能的に思っているのかもしれない。

 タイトルからえらく逸れてしまった。この金曜日と土日でライティングスキルは元に戻るか、もしくは世の中のニュースに物申すような元気が出てくるか疑問だ。

 一つ疑問に思ったのは「阿武町 4630 万円を一人に誤送金した事件」である。誤送金したのは阿武町のほうじゃないの? 問題を創り出したのは役所のほうで、誤送金を受け取ってしまった本人はあろうことか別の罪が次々とばれて、逮捕されるに至った。役所のほうはおとがめなしなのか? 法的にはおとがめなしでも、論理的には因果関係を考えると、因果を作り出したのは役所のほうではないのか? と疑問が残る。役所がおとがめなしなのはどうも納得がいかない。それが《《法治国家》》の在り方なのかもしれないけれども。

☆☆☆ 
 ※注意:阿武町も自主的に厳罰を科す前に書かれた記事です。

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