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世界の終末時計は永遠に夜中から抜け出せない

──『次の夜明けがまた訪れる』──
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 2023年10月16日(月)。21時16分。

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 タイトルから書いています。国際情勢とかとは全く関係のない話も多く含まれると思われます。国際情勢の専門家でもなんでもありません。NHKを批判する意図もありません。
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 2023年10月16日(月)。21時16分。言うの2回目ですね。

 良いタイトルが思い付いたのでもう終わりで良いですかと。

 とは言え書きたいこともあるでしょう。「何ともないゼ。語ろうゼ」とツイッターのあべまんさんのアニマル連邦の意識スワッピング回の、意識がスワッピングされたあとのウサルノフ先生の言葉が思い浮かびますねえ。あのウサギはウサルノフなのでしょうか。みんながウサルノフだよと言えばウサルノフになるのだと思われます。

 真実はいつも一つ。

 自由に書こうと思う。

 ふざけすぎてますね。

 例えば今日の何気ない会話。

 「簿記を受けると仰ってましたけれども何級を受けられるのですか」

 「そんなの教えるわけないじゃん」

 という何気ない会話だったのですが、今の簿記試験はCBT試験で、たしか2級まではどの週末でも受けられるので、わざわざ一斉試験を受けるということは1級を受ける以外は合理的に考えたらありえないのですね。

 こういうのをゲーム理論では合理的な豚で説明されるナッシュ均衡の例なのですが、家に帰ってお風呂に入っていたらなんとなく簿記1級以外ありえないという結論に至りました。解けちゃったのん! という感じですが、あくまで合理的に考えた上での結論でありまして他の選択肢が完全に消えたわけではありません。

 「そんなの教えるわけないじゃん」と言われた後に「でも1級以外はパソコンで受けられるので一斉試験を受けるということは1級以外ありえないのでは」とは言いませんでした。「そんなの教えるわけないじゃん」という言葉の後に合理的な判断をして解を求めたところで、その場にいる人は誰一人として幸せになることはないからです。相手からしたら「こいつとはもう二度と話したくない」となりますし、私としてもちょくちょく会話が続いていったほうが人生は楽しいです。

 合理的な判断だけをするのはやめましょう。

 この世は偶然性で溢れているはずですから。

 こんにちは。井上和音です。

 パレスチナ情勢と言うのでしょうか。イスラエル情勢と言うのでしょうか。誰が主役になるのでしょうか。「何ともないゼ。語ろうゼ」と言う感じなのですが、今日の報道1930を見るまではモサドとハマスをごっちゃにして会話をしていて、自分はこの程度なのだなあと痛感した一日でした。

 本当に言いたかったことは、「モサドは正義だよ。だって正義だから」と言いたかったのですが、「ハマスは正義だよ」とかわけのわからないことを言ってしまっていました。ジョークにもなっていないですね。相手からしたら何のことと思われてしまうでしょう。やっぱり単語をきちんと記憶しておくことは大事だと思いました。

 「モサドは正義だよ。だって正義だから」と日本人の私が言うと、まさに Japanese American Joke となるわけですが、Japanese なのかい? American なのかい? どっちなんだい!? と形容詞と名詞とがごちゃまぜになってるのねと言語の不確定性が問題視されそうな気がしますね。ちなみに USA は正義なので American Joke にしているのですが伝わっていますか。American Joke というよりアメリカのジョークという感じですけれども伝わっていますか。微妙な機微きびが伝わっていますか。

 世界の終末時計の話でしたね。

 来年くらいには0時1分くらいになって「世界が終わっちゃった……」となってもいいんじゃないのでしょうか。終わる終わる詐欺で閉店セール繰り返すお店ですか。時計が何のためにまるくなっているかぐらい小学生でも分かるでしょう。毎日繰り返して終わらないから円くなっているのですよ。何で終末時計って円いのに直線的な考え方をしているのでしょうか。本当に必要な部分って45分から0分までの拡大図なのではないのでしょうか。1時や2時なんかは「時計なんだからいい加減進んでもらわないと暇で困るぜい」とか愚痴を言っているのではないのでしょうか。仕事猫の「去年はもっと暑かったぜい」というセリフを思い浮かべながら書いています。多分、1時さんや2時さんも仕事をしたいのだと思われます。

 世界なんて終わった後にまた始めればいいんだよと言いたくなりますし、世界って大体そんなものでしょう。ミクロな単位で自分を言ってしまうと「もっと夜が長いなら朝が来なくて気が楽なのに」と夜更かししてこの世の定理に反発しようとしていてもいつの間にやらコケコッコーっと朝がやって来るわけです。朝が苦手なので朝が嫌いですが、そんな私は珍しいとは思います。日本人はラジオ体操の歌で「希望の朝だ!」と連呼してるので、朝が来るのが希望と言う価値観を共有していると思われます。本音を言うと寝起きって嫌じゃない? 私だけですかね。それとも本音を言えない雰囲気が日本の空気を支配しているとか。本音というか冒頭に述べた合理ですかね。合理は言わないほうがいいのです。それを言っちゃあおしまいよ、とまた今度は終末時計に合わせたかのような日本語の言葉もありますが、終わっちゃった言葉を言った後も時は残酷にも一歩一歩無情で無常なデジタルとして進んでいくわけです。

 アナログですよという突っ込みかは分かりません。私は微分の話は深くは分かりませんから。時がデジタルかアナログかの議論なんてどうでもいいのですよ。ただ私が粗忽者そこつものなだけかもしれません。粗忽というより未熟のほうが近いですね。

 一帯一路いったいいちろの話でもしますか。

 NHKのnews7では「一帯一路は失敗したけれど習近平国家主席が言い出した政策だから中国としては引くに引けない政策なのです」と普通に結論付けていましたが、大丈夫なのですかねあれ。一帯一路と言うから「よう分からんけれど中国が他の国を食い物にしようとしている悪い施策だ。中国と一つになるんだろ」みたいな印象を受けるのですが、「新シルクロード政策」と一言言えばなんとなくやりたいことは分かるのではないのでしょうか。「一帯一路、いわゆる新シルクロード政策」と言ったほうが分かりやすいと思いますが、NHKさんは絶対に「新シルクロード政策」とは言いませんね。何ででしょうかね。「G7加盟国で唯一関係を結んでいるイタリアも一部で反発の声が上がっています」と報道していました。そのうちイタリアは脱退するだろうという雰囲気でしたが、「新シルクロード政策」と言われたらイタリアは最終到着地点でまさにシルクロードという感じになって、まあ、悪い気はしないのではないのでしょうか。一帯一路ってそんなに悪いのでしょうか。中国と欧米との交易を発展させるための壮大なプロジェクトくらいにしか思っていませんが、小さな債務の罠とかが問題視されています。ただ、大きく見れば「交易をスムーズにしましょう。中国がお金を出すので」という感じです。ただそのお金の出し方が問題なのでしょうけれども。

 日本の「法の支配に基づく自由で開かれたインド太平洋の実現」の戦略と真っ向から対決してしまうから、NHKとしては一帯一路は世界の悪とでも報道したいのかなと思いました。あくまでNHKは総務省の管轄ですから。日本に不都合な報道は絶対に流れないわけです。とは言え私は日本人なのでNHKは好きです。NHKしか観ませんよ。

 今日のお昼も地元熊本山鹿市の栗の特集でしたね。幼い頃に栗拾いに行って迷子になったことを思い出しました。栗林に行くと方位が全く分からなくなります。栗栗栗です。ぎりぎり携帯電話が普及し始めた頃で助かった思い出を思い出しました。あのときは冷たい雨が降り出しましたね。まない雨はない。明けない夜はないと同じようなフレーズが日本語にはあるなあと思いました。
 

 

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