ふたりが一緒にいるために(ケイ×ヤク5話感想みたいなもの)

 ひとが誰かと一緒にいるためには、何かそれらしい理由がいるのかもしれない。例えば家族であるとか、恋人であるとか、友達であるとか、そういったわかりやすい理由が。
 「央莉音の失踪事件の謎を追う」という共通の目的を理由として、住居を共にし、行動を共にすることとなった公安捜査員の国下一狼と指定暴力若頭の英獅郎。ドラマ「ケイ×ヤク」の第5話では、莉音の生存が判明する。
 その事実はそのまま、ふたりが共通の目的を失ったということを意味する。

 獅郎は無私の人であり、利他の人だ。刹那的で死を恐れず、狂気を孕んだ暴力性を持ちながら、たったひとり、家族がどんなものなのかを教えてくれた莉音のために、自分の人生の全てをなげうってしまえる人だ。その莉音が思わぬ形で再び目の前に現れても、「自分で選んだ道だ」と言い切り、自分が払った犠牲について何一つ彼女を責めることもなく、逆に田口に巻き込まれた彼女や一狼のために怒れる人だ。自分でない誰かのために、自分の心と身体を殺すことすら厭わず、しなやかに強くあれる人だ。
 対して国下一狼は、不器用なほどに真っ直ぐな人だ。同時にきっと、「こうでなければならない自分」「こうであってはならない自分」に雁字搦めにされて、もがき、戦い続けてきた人だ。その真っ直ぐさゆえの脆さを心の奥底に押し隠して、それでも前を向いて強くあろうとする人だ。

 その一狼は、大切な人のために捜査に関わり続けようとする獅郎に対して、「足手まといだ」と告げる。激しい口調で獅郎の落ち度を責める一狼のそれが、本心であるはずもない。愚直さゆえに取り繕う言葉を知らない一狼は、その言葉でそのまま自分を傷つけているようにも見える。
 一狼の言葉を受け止めて、獅郎はつぶやくように言う。「せっかく帰ってこれたのにな」「安住の地だと思ったのにな」。
 獅子にとっての「安住の地」、それは3年前、突然暴力が支配する世界を生きることになった獅郎が忘れていた、いやもしかしたらこれまでほとんど経験したことがなかった、「ただいま」を言えば「おかえり」が返ってくる、そんなささやかな日常がある愛しい世界だ。けれど、誰かのために自分を抑えるばかりの獅郎は、その日常を手放したくないとは言えない。なぜなら自分がいることでまた莉音や一狼が危険な目に合うのであれば、自分の望みは叶うべきではないから。
 「安住の地」。一狼が思い出すのは、いつか獅郎の背中に見た唐獅子牡丹だ。百獣の王と百花の王。牡丹の下でだけ安心して休むことができる獅子、その姿は、心の奥底に決して人に見せてはいけない獣のような感情を抱えた一狼自身でもあったのかもしれない。脳裏に過るのは、包丁を握りしめて震える、いつかの自分。
 「……獅郎」、彼は途方にくれた迷子の子供のような小さな声で名前を呼び、吐露する。「俺、……俺、犯人を殺したいと思ってた」。
 一狼が恐れるのは、そんな感情を抱いていた自分を知られること、そして何より、獅郎の大切な人を目の前にしてどうなってしまうのかわからない自分自身だ。
 獅郎は、一狼の懺悔のような告白を、視線を向けることも、表情を変えるもしないまま、まばたきひとつで受け止める。初めて出会ったあの日に一狼の中に渦巻いていた「ぐちゃぐちゃしたもん」の正体を見届けるように。
 全てを吐き出した一狼を待って、獅郎はそっと歩み寄り、その肩を抱く。「だったら、なおさら一緒にいねえと」「誰がお前を止めんだよ」。

 ひとが誰かと一緒にいるためには、何かそれらしい理由が必要だ。例えば家族であるとか、恋人であるとか、友達であるとか、わかりやすい理由が。
 だからきっと、獅郎はそれを理由にしたのだと思う。いつもと同じように、誰かのため。一狼を止める、それが自分の役割。
 けれどそこにはきっと彼の、一緒にいたいという願いが込められている。たとえそれで仲間に危険が及ぶ可能性が高くなるとしても、ささいなことで文句を言い合ったり、くだらないことで笑ったりする一狼との愛しい日常を手放したくない。誰かのために自分を犠牲にするばかりだった獅郎の、初めての、ささやかなわがままでもあったのかもしれない。
 そして一狼は、20年をかけて押し殺してもなお暴れだそうとする強烈な殺意ごと自分を受け入れ、それを止めると言ってくれた獅郎の前で初めて、暗闇の底で包丁を抱えて蹲るだけだったいつかの自分のために、無防備に、子供のようにしゃくり上げる。何を取り繕わなくても、何を隠さなくても済む、一狼にとっての安住の地、それは獅郎のそばにほかならないのだ。

 原作の獅郎は言う。「本当はもう俺たちに理由なんて必要ない」。「それでも探すのは、独りの時間が長過ぎて、拠り所をすぐ見失ってしまうから」。
 他人で、共通の目的のために手を結ぶことにしただけの、立場も考え方も抱えてきた過去も性格も違う、自律した、家族でもない、友達でもましてや恋人でもない、互いを繋ぎ止めることができる肩書がなにもないふたりが一緒にいるための理由。それは、「一緒にいたいから」、本当はただそれだけでいいのかもしれない。


この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?