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忘れられない言葉1「誰かあの先生を叱って」

いきなり、ちょっと刺激の強いタイトルですね(^◇^;)

コラムに「忘れられない言葉」を書いていこうと思った時、
真っ先に浮かんだのが、この言葉でした。

あれから20年以上が経っていますが、
今も忘れることはできないし、忘れてはいけないと思っています。

当時、私は駆け出しの通級担当でした。
わからないことばかりで頼りなく、
親の会の皆さんに助けていただく日々。
当時ある先生から
「親はね、その子についてのプロなんだ。
 教わることばかりだよ」
と言われていて、本当にそうだなと思いながら過ごしていました。

今思えば、
「そうなんですね」「なるほど」「やってみます」
くらいしか言えない私は、ものすごく頼りなかったと思います。
「初めてなんだからわからなくて当たり前」そんな甘えもありました。
その子に取ってはかけがえのない時間なのに、
思い返してみても、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。

そんな私の新人気分が一気に吹き飛んだのが、この言葉でした。

これは、私に向かって発せられた言葉ではありません。
もっと言うと、誰かに向かって発せられた言葉ではなかったのかもしれないと、今は思います。

いつものおしゃべり会。
保護者同士が少しホッとできる場所をと言うことで、
親の会さんが定期的にやっておられた会での出来事でした。

あるお母さんが、こんな話をされたんです。
・ずっと子どもは学校で落ち着かず、叱られ続けてきた
・私も学校から毎日のように電話で苦情を言われ続けてきた
・親子共に苦しくてたまらなかった
・担任が変わったら、子供が見違えるように明るくなった
・叱られることがなくなり、トラブルも激減した。
・苦情の電話も全くない。

そして、
「うちの子が悪いから。。。と思って我慢してきたけれど、
そうじゃなかった。
何をしても「またあなたか」と目をつけられて叱られ続けていたんだ。
それが苦しくて、教室で安心できなくて、
彼は飛び出していたんだとわかった。

誰かあの先生を叱ってほしい。

子どもは間違ったことをしたら叱られるのに、
なんなら、間違っていなくても叱られるのに、
どうして先生は誰からも叱られないのか。
私たちはずっと追い詰められて苦しんできたのに。」
と、震える声で、絞り出すように話されたのです。

共感して涙ぐむ方もおられる中、
私はなんと声をかけていいのか分からず・・・

ただただ、そのお母さんの言葉を噛み締めながら、
自分のそれまでを振り返っていました。


大学を出て、すぐにこの仕事に就いた時、
父から
「これから、誰もがお前を『先生』と呼ぶだろうが、
それはお前の職業の名前だ。勘違いしてはいけない」
と言われたことがあります。
その時はピンと来なかったけれど、
「ああこういうことなんだな、お父ちゃんが言ってたことは」
と腑に落ちるまで、そう長くはかかりませんでした。

毎日子ども達からも年上の保護者の皆さんからも「先生」と呼ばれる日々。
「どうすればいいですか?」と聞かれる立場が日常になると、
あたかも自分が「正解」を知っているかのような誤解をしそうになります。
すると、思うようにならない事態や人に対して、
「なんで?」「どうして?」と、
「問題はあなたの側にある」と責めるような気持ちになったことがありました。
これって、「だって自分は正しいもの」という思いが、
無意識のうちに膨らんでいたからだと思います。

自分の職業の名前を、自分の価値のように感じてしまってはいけない。
父は私にそう言いたかったんでしょう。

父の言葉を自戒にしつつ、この仕事をしてきたつもりでしたが、
「誰かあの先生を叱って」
というあの時のお母さんの言葉がずきりと胸に刺さったのは、
私もまた、誰かにとって「叱ってほしい」対象であった自覚がどこかにあったのだと思います。

「自分が正しく、相手に問題がある」
という前提に立ってしまうことの
危うさと恐ろしさを、
突きつけられた気がしました。

あれから20年。
今もあの時のお母さんの震える声を鮮明に思い出すことがあります。

この仕事をしている限り、絶対に忘れてはいけない言葉だと、
思っています。






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