見出し画像

僕らがいずれ終わる人生を生きる意味って、何なん?かもめのジョナサン読後記録

僕らは、「もっと何かを得ていかなくてはいけない」と思ってしまいがちだが、本当は「持っているものに気づいていく」だけでいいのかもしれない。

しかし、「持っているものに気づいていく」ためには、自分でない憧れのものを求めて、それを得ようともがいて、ようやく得た後にそれを捨てるプロセスを踏むしかないのかもしれない。

最初から「気づく」段階に行けばいいものを、ずいぶんと遠回りをしてしまう。なんとも面倒でややこしい構造だなと思いながらも、それがこの世の愉しみ方であって、味わいなのかもしれないな、なんてことを思ったりもする。

* * *

そんなことを思った、今朝の「かもめのジョナサン」。今日の音読会で読んだのは、文庫本のp73-p89。

Part Twoに入り、教官サリヴァンから今まで以上に高等な飛行技術を学び、飛ぶことをさらに探求していたジョナサンだが、そこで長老のチャンに出会う。

ジョナサンは自分がやってきて徐々に理解しはじめた「Part Two」の世界を、あらためて確認するように聞く。

「チャン、ここは天国なんかじゃありませんね。そうでしょう?」
長老は月光の中で微笑した。
「かなりわかってきたようだな、ジョナサン」
「うかがいたいんですが、いまの生活のあとにはいったい何がおこるのでしょうか? そして、わたしたちはどこへ行くのでしょう? そもそも天国などというものは、本当はどこにもないんじゃありませんか?」

僕らも生きているなかで、ふとしたときに思う。
「なんで自分は生きているんだ?この先に何があるんだ?」と。

安直だが、ブルーハーツ「TRAIN-TRAIN」の歌詞を思い出した。

ここは天国じゃないんだ。
かといって地獄でもない。
いいヤツばかりじゃないけど、
ワルいやつばかりでもない。

そんな世界で生きる僕らの疑問に、長老チャンが答える。

「その通りだ、ジョナサン、そんなところなどありはせぬ。天国とは、場所ではない。時間でもない。天国とはすなわち、完全なる境地のことなのだから」

続けてチャンが言う。スピードを追求しているジョナサンに対して。

「よいか、ジョナサン、お前が真に完全なるスピードに達しえた時には、お前はまさに天国へとどこうとしておるのだ。そして完全なるスピードというものは、時速千キロで飛ぶことでも、百万キロで飛ぶことでも、また光の速さで飛ぶことでもない。なぜかといえば、どんなに数字が大きくなってもそこには限りがあるからだ。だが、完全なるものは、限界をもたぬ。完全なるスピードとは、よいか、それはすなわち、即そこに在る、ということなのだ」

僕が幼い頃から仏壇の前で意味もわからず読んでいた「般若心経」。
そのなかにある言葉。

色即是空。
空即是色。

「色」すなわち、これ「空」なり。
「空」すなわち、これ「色」なり。

「色」とは、現象世界。
「空」とは、限界を持たないすべての源。

現象世界とは、すなわち源であり、
源とは、そのまま現象世界でもある。

2つは別のものではなく、
形を変えて存在している同じもの。

僕もこうやって書いているが、知識や頭での理解であって、それが体感覚になっているかというと、そこまでの段階ではない。

遺伝子研究の末に高血圧の原因となる遺伝子レニンを発見した故・村上和雄名誉教授は、科学的な研究の末に、あまりにも規則正しく並ぶ遺伝子の配列に驚き、それを創り上げた「なにかわからないが、これを並べた大きな存在」のことを「サムシンググレート」と呼んだ。

それを「空」と呼ぶか、「サムシンググレート」と呼ぶかによらず、僕らはその存在を誰に教わるでもなく、無意識に意識している。

チャンは、そこを意識することをジョナサンに伝えた。そして伝えるだけでなく、やってみせた。

不意にチャンの姿が消えたかと思うと、突然、十五メートルほどはなれた水際にあらわれた。閃光のような一瞬のできごとだった。そしてふたたび彼の姿は消え、前と同じ千分の一秒のうちにジョナサンと肩を並べて立っていた。
「どうだ、面白いだろう」と彼は言った。

チャンが瞬間的に移動する姿を見せられたジョナサンは、自分もそれができるようになりたいと未知の領域へ入っていくことに心を躍らせる。そのタイミングで念を押すようにチャンが言う。

「妙なものだな。移動することしか念頭になく、完全なるもののことなど軽蔑しておるカモメどもは、のろまで、どこへも行けぬ。完全なるものを求めるがゆえに移動することなど気にかけぬ者たちが、あっという間にどこへでも行く。おぼえておくがよい。ジョナサン、天国とは、場所でもない、時間でもない。というのは、場所や時間自体は、そもそも何の意味ももたぬものだからだ。」

旅行に行ったり、美味しいものを食べて「あー最高!」というのも、もちろん良い。でも、それ以外の「日常」を退屈なものだと見てしまって、やたらと刺激を求め続けることは「移動することしか念頭にない」カモメなのだろう。

今、ちょうど公開されている映画「ソウルフル・ワールド」は、まさにそのことを物語で教えてくれた。

主人公はチャンスをつかんだのに、それをつかむまえに死んでしまって、魂になっちゃって、そこからまた地上に戻りたいと言い始める。そして、そこに戻ってみるとそこには… そして、幸せとはなんなのか?日々の生活の「あたりまえ」のなかにある幸せに気付かされていく。そんなストーリー。

僕らが「魂の存在で、何かをすることを決めて地球にやってきていること」が描かれているストーリーでもある。僕は以前にディズニープラスで見て「こんなにストレートに、魂をテーマにディズニーが映画をつくっちゃったのか!」と驚きながらも感動していた。

この映画は2020年に公開され、DVDも出て、ディズニープラスでも、アマプラでも観れるのに、なぜか最近になって(2024年4月12日〜)映画館で上映されはじめている。なにか「いま、このタイミングだ」と思った人物がいたのだろうか。

すでにディズニープラスで観て内容を知ってはいるが、あらためて映画館でも観てみようと思っている。また、もう一度、思い出していく体験をするために。

* * *

ジョナサンの話に戻ろう。チャンの瞬間移動に驚いた後に「教えてください」と素直に伝えると、直伝が始まった。

「あんなふうに飛べるようになりたいのです」ジョナサンは言った。
(中略)
「思った瞬間にそこへ飛んでゆくためには、ということはつまり、いかなるところへでも飛ぶということになるのだが、それには…… 」と彼は言った。
「まず、自分はすでにもうそこに到達しているのだ、ということを知ることから始めなくてはならない…… 」
チャンの語るところによれば、瞬間移動の秘訣は、まずジョナサン自身が自分のことを、限られた能力しかもたぬ肉体の中にとじこめられている哀れな存在と考えるのをやめることにあった。(中略)カモメの肉体にとらわれるな、というのである。そしてさらに本来の自己は、まだ書かれていない数字が限界をもたぬごとくに、限りなく完全なるものであり、時間と空間を超えて、いかなる場所にも直ちに到達しうるのだと知れ、とチャンは説くのだった。」

すでに到達していることを、知る。
すでに知っているということを、思い出す。

このフレーズから思い浮かんだのは、藤井風の「何なんw」の歌詞。

真実なんてもんはとっくのとうに
知っていること知らないだけでしょう

僕が「おぉーなんだこの人、すげーぞ」となったデビュー曲「何なんw」は、本人がハイヤーセルフの話とともに解説トークしている動画があったりもします。

「何なんw」は、神様がいろいろとサイン出してるのに、そういうのをスルーして、自分から肥溜めにダイブするって「君らなんなんw ドMなんww」 っていう、まさかの神様視点の歌。こんな曲がメジャーから出て、本人が堂々とハイヤーセルフって言ってるのにも驚いたものです。

朝の瞑想をしているシーンから始まる「何なん」のMVは、そういう視点で見るとこれまた面白いんですが、まず、ずっと自分を見守る「神様」がすぐそばにいることが表現されています。

最初はその存在に気づいていなかったり、耳をふさいだりしているんですが、「闇」に落ちて、黒い人々(雑念・余計な概念や価値観かな)に囲まれて、神様との距離が離れていく。そして「ヤバい、ムリ、助けて」と言った後には、神様が内側に来て、神様といっしょにダンスをして、闇もいっしょに引き連れて、外の世界へと再び出していく。

* * *

冒頭で言った、「最初から”気づく”状態になればいいのに、なんだか地球の、この”人生”というやつは、どうやらいったん面倒な方に遠回りしてから”気づく”流れになってるらしい」というのを、この「何なんw」しかり、「ソウルフル・ワールド」しかり、そして「かもめのジョナサン」からも毎朝感じている、今日このごろです。

まったく面倒だな、”人生”ってやつは。笑
ま、そこが面白さでもあるわけで。日々を味わっていきましょ。

いいなと思ったら応援しよう!