古川さんトートを観てきました。

あとでブログにまとめると思う。

こいつはやべえ(好意の表現です。)
降臨する瞬間の印象は就任したての王子様みたいだなーだったんですよ。柔らかい表情の中に品の良さと親近感すら漂う瑞々しい可愛らしさがあって。あの親近感はフランツやルドルフみたいな張り詰めた余裕のなさがないからかなーと思っている。存在そのものを愛されて育った者特有のゆとりみたいなのがある。
この第一印象は間違ってなかったと思ってるんですが、しかしだからこそやべえ感すごかった。死に善良も何もあるのかって思うんですが、このトート閣下は悪意とか作為とかそういう"害をなそうとする意思"みたいなものもまだ知らなさそうで、それゆえに怖ろしい存在だった。人間のことを愛していて理解していない神さまがいるとしたらこういう存在だと思う。閣下の無垢な素直さは、莫大なチカラを持った上位存在の幼生を思わせる。自分がシシィを好きだからシシィも自分を好きなはずって考え方、幼子の思考とよく似ている。小さい子って大好きなぬいぐるみが自分を好きだと疑ってないじゃない。トート閣下からの人間へのアプローチ、それと近いものに見えるんですよね……(好きです。)

古川トート、少年ルドルフが「ほんと?」って喜ぶとつられてか嬉しそうに笑うんですよ。しょんぼりしていた少年の弾んだ声に顔をぱあっと明るくする。ともだちが嬉しそうだから自分も嬉しくなっちゃったような打算のない無垢さに見えて、きらきらした愛らしい光景で怖ろしかった(賛美です。)足のほうからひんやり上ってくるこわさ。死の帝王がヒトの仔いっぴきの感情ごときで心から喜んじゃうんですよ。対等なおともだちになってる気でいるんですよ。いや怖いでしょ。ルドルフはシシィと違って思い入れがあるから干渉した存在でもないのに。力や価値観の隔たりを越えて友達になったなら美しいけど違うでしょそれ、自分とルドルフが違うことを分かってないでしょ。

大人になったルドルフにも同じテンションで接している、ように見える。ともだちが困ってるからたすけてあげよう!(シシィはこっちを見てくれなくて暇だし、)くらいの行動動機で動いてない?
腰を抜かしてずりずり後ずさるルドルフに詰め寄るときですらなんで?ほしくないの?たのしいよ!みたいな無邪気な動機に見えてですね、やめてやれヒトの仔こわがってるから(大好きです、もっとやってほしい。)
井上トートには唆す色があったんだけどさ、古川トートは本当に、純度100%の厚意でやってる気がしてくるんですよね……。こう、破滅に向かって進ませている意識がさっぱりなさそう。ルドルフを革命家たちに紹介するときも、挨拶している彼をちょっと離れたところから満足そうに眺めているんですよ。ともだちが楽しそうで僕もうれしいよ、とでも思ってるんじゃないかこの閣下。

いやー楽しいですねこの閣下、ヒトの感情と似たような表情を浮かべるからヒトに近いものみたいな気がしてくるのに、行動動機がわけわかんなすぎて人ならざるものだってことを否応なしに理解させられる。カブトムシに人間の考えてることが(たぶん)わからないように、人間の価値観ではトート閣下の思考に共感することはできない。閣下にとってヒトの死はお引越しくらいの感覚なんでないかな。
自由がないの?そっか、たいへんだね。ぼくの国に遊びにおいでよ!ぐらいの軽さで死にいざなってそう。

ところで今回は古川トートと京本ルドルフの組合せで観たんですが、お顔立ちの系統が近い(ように見える。ヒトの顔をあんま識別できてないから違ってたらすまない)のもあって対等っぽさが強くて楽しかったです。

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