受験生に「○○はやっても無駄!」という人へ

人間の英知が非常に高まっている昨今、効率化という言葉を耳にしない日はない。効率よく働こう、エビデンスから合理的に判断しよう、最短ルートで司法試験合格…などである。

もちろん、何らかの目標を達成させるのは早いに越したことはないし、無駄な努力はやめて、なるべく費用対効果を高めた努力をすることは非常に有意義だ。

中高生の部活動ならダラダラ練習して中3でやっとレギュラーになるよりも、効果的なトレーニングをして中1ですぐにレギュラーになるほうが活躍の機会が増えて楽しくなることは必然だ。

しかし、最近は効率を重視するあまり、努力をし始める前から○○をしても無駄、○○はやっても意味がない、という人が増えたように思う。


受験の世界では

①英語の音読なんて、やっても意味ない

②漢字の配点は低いから、漢字の書き取りをやるのは馬鹿

③この問題集は簡単なことばっかりで、役に立たない。

といった具合だ。


たぶん、この手のことを言う人は、過去に相当熱心に勉強してきて、かつ科目の全体像とゴールとの距離(実際の入試で解く問題の難易度)が正確に分かっている人なのだろう。

全体像が掴めるようになったから、ポイントとなる部分と無駄な部分が見えてくる。

では、なぜ全体像が把握できて無駄な部分が見えるのか、というと「無駄と思えるくらい、その無駄なこと(=後から振り返ってようやく無駄と気づいたこと)を沢山やったから」に他ならない。

小学校・中学校から漢字の書き取りを何万回とやったから、受験生にもなって漢字をやらずに済むようになり、今更漢字なんて…と馬鹿馬鹿しくなる。そんなことより評論文を読もう、となる。

学校の授業や宿題で基本問題を何度となく解いて体に染みついているから、受験期になって応用問題が解ける。逆に基礎問題は見飽きているから、できて当たり前とみなしてしまう。赤本でも解くか、となる。

無駄無駄と連呼する人は、自分がその無駄を乗り越えた経験をすっかり忘れて、高い位置からその無駄と戦っている人を見て内心呆れている、そんな状態なのだろう。

一回プレイしたRPGゲームの攻略法を、初めてそのゲームをやる人に得意げに教えているようなものだ。

あの町には何にもアイテムなかったよ、その洞窟は行かなくてもクリアできるよ、なんて聞かされるほうはたまらない。初めてやる人は、その洞窟には何かがあるはず!と期待に胸膨らませているというのに。

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