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〝It〟(それ)と呼ばれた子

こんにちは、イノシシです。

『〝It〟(それ)と呼ばれた子』シリーズ。 デイヴ・ペルザー著 ヴィレッジブックス

昔、ものすごく流行った本の紹介です。初めて、電車のつり革広告でこの題名を見た時のことを覚えています。

なんとまあ、衝撃的な題名と、いたいけなおさなごのうすい色合いの写真の対比が衝撃的でした。

それでも、流行りものなんでしょうと、あまのじゃくのイノシシはしばらくスルーしていました。

トリイ・ヘイデンの『シーラという子』と言う本に出合い、フィクションでない子どもの話に興味を持ったことと、アダルトチルドレンと言うものに興味を持ったのと、

いろんなきっかけで、電車の広告を忘れたころにこの本を手に取りました。

児童虐待を生き抜いた著者の自伝で、長いシリーズになっています。

本当の話なのに、あまりのありえない母親の態度が、初めて読んだときには異世界過ぎました。スティーブン・キングの描く、ホラー小説のように現実感がないものでした。

のちに、そういうタイプの人に出会っていくと、この母親の残虐な態度、したたかに周囲の人々をだましてわが子を陥れようとするときのまさに蛇のように執念深い賢さなどが、ものすごくリアルなのだと得心が行きます。

そして、せつないのは、子どもがとにかく、母親を信じたくて、信じたくて、必死な姿。

この本の中で、虐待を生き延びた子どもは大人になって、母親と対峙するのだけれど、母親からの認識は、

母親の側が被害者。

結局、母親は、自分の視点からしか物が考えられない特性の人だった。そして、いつでも、正直で自分の感情に嘘をつけない人だった。

それだけ。

虐待を生き延びた子は、どれだけ夢にみても、母親から褒められることもない。謝ってもらえることもない。自分で、自分の境遇に意味を見つけて折り合いをつけるしかない。そして、この筆者は、それをやってのける。

もしかしたら、本のなかだけのきれいごとを見せているのかもしれない。でも、そんなことが可能なんだというのは私にとっては衝撃的なことだった。

この本のおかげで、私は自分の母を許せたし、折り合いがつけられた。

さいわいにして、私の母はこの本の母親ほどの強烈な怨念を持ち合わせていない。

そのあたりは、西洋人の体力と日本人の体力の差かもしれない。鮮烈な虐待をしない分、真綿で首を絞めるようなじわじわとした虐待だったのだなと今は思っている。

なにせ、子どもたちが自立して、幸福そうにしていると、「なんで、親戚中で、一番、不幸な家族で居てくれないのだ!」というオーラで、言葉にしない脅迫をしてくる人だったのです。子どもたちが不幸で居ると、ものすごく、ウキウキしている謎の人でした。親戚の中で一番不幸で居ることが誇りだと思っている謎の価値観。いまは、そういうこともしない穏やかな人になってくれましたが。

話を戻します。この本の母親は、優れた知性を時代に押しつぶされて専業主婦として鬱屈するうちにアルコール依存症に陥ってしまい取り返しのつかないところまで行ってしまったのだろう。頭のいい人間が鬱屈するほど恐ろしいことはない。

でも、皮肉なことに、虐待しつくそうとしたわが子にその知性が引き継がれていて、その子はその知性で空に羽ばたけた。他者の感情を理解できる力は父親から受け継いだのかもしれない。親は実質的に子を助けていないのに、遺伝子で救った。

作家の曽野綾子さんなんかも、壮絶なモラハラ父をいただいていたのに、だからこそ、ご当人の知性が磨かれたのだなと思う部分もあり、親子関係と言うのはものすごく複雑怪奇なものだなと思う。

とにかく、親をなかったものにはできない。そのなかで、自分の生き方を殺されずに生き延びるというのは大変なことだ。

親と自分という関係性。

それ以外の多様な人々との関係性。

その大切さを教えてくれる。

誰かと触れ合える距離の関係性も大事。だけど、こうやって、文字でしか出会えない関係性も大事だと思わせてくれる本です。






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