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LGBTQなんて言葉なくなればいいのに

ある日、電話の相手に言った。

「今ゲイの友達と飲んでるからおいでよ!」

もちろん、だいぶ酔っぱらっての所業。相手もろくに取り合わず、「はいはいまたそのうちね」みたいな反応。

でも、そのあとすぐに気づいた。

今わたしは、目の前にいる彼のことを、性的志向を表す2文字だけで説明しようとしたよね?そしてそれを、本人と面識のない相手を呼びつける理由にしたよね?ゲイの人と会うことがメリットであるかのように。

たまたま彼はゲイであることをアイデンティティとしてコミュニケーションするタイプだったけれど、ほかにも人としての性格、魅力はあったはずで。「ゲイである」ことは、「7月生まれである」「日本人である」と同じように、その人の属性の一つに過ぎないのに。わたしはどこかで、同性愛者であるという点で、彼を特別な存在として認識してた。何かおかしいよね?

それから、セクシャリティの問題に関心を持って、身の回りの「境界」について考えるようになったのです。

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「LGBTQ」という言葉を調べると、大まかに「性的少数者」と訳されます。実は海外では「LGBTQIAP」とか「LGBTTIQQ2SA」とか、もっと長い呼称もあるようです。たぶんこれは調べれば調べるほど深いテーマで、当事者でもそうでなくても、うっかり発言できない気がします。

身体と心の性の一致・不一致や、性愛の対象、そもそも性自認に対する考え方など、いろいろな方法で分類されて頭文字をとって並べていますが、なぜそんな言葉が生まれたのかといえば、きっと「少数派」をまとめようとしたからでしょう。

「彼ら」(あえて男女を区別しない三人称として)を理解しよう!差別をなくそう!多様性を認め合おう!という潮流は素晴らしいのだけど、LGBTQという言葉によって「あちら」と「こちら」という対比関係が強調されてしまったら本末転倒だと思う。

もちろん、性的少数者であることで就職活動が不利になったり、学校や会社で差別的な扱いを受けている人が今もたくさんいます。「●●県出身の方お断り」が法律上NGなように、セクシャリティを理由に不利益を被ることはナンセンスで時代錯誤です。だからこそ必死で戦っている人たちがたくさんいて、応援したい。

ただ、目指すゴールは「LGBTQの社会的認知と受容」ではなく、「そんなラベリングがいらない世界」であってほしい。

そもそも性の自認や性的志向は個人の属性の一つなので、初対面の相手に「はじめまして!●●です。僕は男性が好きです」と宣言する必要はないし、「彼は●●くん、ゲイなんだよ」と他人の性的志向を勝手に公開するのは大変失礼だ(冒頭のわたし)。

「血液型は何型?」「犬派?猫派?」みたいなノリで、「男が好き?女が好き?」「俺は男が好きなんだよね~」「わたしは誰も好きにならないんだよね~」とラフに答えられる世の中なら、いちいちLとかGとかっていうラベルでくくらなくていいはず。

分類しなければ差別もないし、いちいち壁をなくそうとする運動すらいらなくなる。ダイバーシティのシンボルであるレインボーには、「男性として生まれて男性として育ち女性を愛する人」「女性として生まれて女性として育ち男性を愛する人」も含まれていいと思うのです。自身がLGBTQであるという人にも、「普通の人にはわからないよ」なんて言わないでほしいのです。

とはいえ、公共施設のお手洗いとか、スポーツの男女別競技とか、便宜上「男性」「女性」の2つに分けなければいけないシチュエーションは今のところあるのでしょう。これは性的志向ではなく性自認と身体的性の問題だけど、それも気軽に転換できる技術ができたらいいですよね。2021年現在は身体的性転換は一方通行だけど、将来的には飽きたら戻すことができるようになるかもしれない。そうなったら「男であるか女であるか(または第3の性か)」という問いに答えなければいけない時も、「今は男性」「今は女性」という答え方ができるのではないでしょうか。

書いていて、まだまだ理解が浅いなと感じました。当事者の方、不快にさせてしまったらごめんなさい。でもわたしは、「当事者」という言い方すらなくなればいいと思っています。

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