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AIがいる未来に声のプロはどう生きるか 第4章

ナレーター、声優、アナウンサーといった声のプロたち。直面しているAIの波は、クリエイティビティにどのような影響を与えるのか。AIは現在どこにあって、どこまで進むのか。そして音声表現はどうなるのか。現在と未来の洞察をお届けします。


<<第4章 人間の可能性>>



【クリエーティブと倫理哲学】

AIは改善や効率化には効果的だが、「創造」はできないと言われている。独創的であることは真似できない。クリエーターは既存の価値観から外れ、想像を超えたものを創作する。
表現の中でも「笑い」や「毒」はなかなか追いつかない。現状でAIが不得意とするものは「笑い」である。生成物ではどうも笑えない。ピントが少しずれるからだ。

生成AIがどう作られるかは、大量の自然言語のデータの中から、統計的に妥当と思われるものを抽出している。すなわち平均的な像を描いている。
分類記述されている特殊な知識、医療、法律、プログラムなど。多くのジャンルで標準的な知識を持っていることそれ自体が驚異的である。それはナレーションの知識であっても当てはまる。このことが平均以下のナレーターの仕事が奪われることの根拠だ。

それまでの創作物のミックスで、それなりに面白い作品は作れるだろう。ただ”新しく革新的”な創造はできない。クリエーティブにおいて凡庸と言えるだろう。

言語学の大家で知識人としても精力的に活動しているノーム・チョムスキーはAIをこう評している。「ChatGPTは凡庸な悪」
ここで指している「悪」とは倫理観・道徳の欠如であるということ。

倫理の問題とは、知らないことや間違いをもっともらしく吐き出す。盗用もいとわず指示されたとおり、フェイクを簡単に作ってしまう。使う側の人間の問題でもあるが、道徳概念がないものを、自立した知性と呼べないだろう。そのままでは単なるツールにしか過ぎないのだ。包丁や自動車のように、使いこなす人間次第で便利になるか凶器になるかが分かれる。

ツールであるAIには意志がない。本質的な感情や欲望を持っていない。好き嫌いの趣向もない。だから未来への意志が持てないのである。
AIに勝るのは倫理道徳を含めた哲学ではないだろうか。事物の本質を批判的かつ根源的に考え、言葉で表現する。人間が持つ深い教養。そこはAIには超えることができない。

【身体感覚と知名度】

ここでAIが人間に取って変わることができないものは何か。すなわち人間らしさとは何かを考えてみよう。

存在感、透明感、ピュアさ、真面目さ、ひたむきさ、優しさ、脆さ、清らかさ、猥雑さ、などの人間的である抽象概念は果たしてどうだろう。喜怒哀楽のようにパターンで学習が可能なのだろうか、それは分からない。ただ声のプロとしての大切な要素である説得力。そこは機械学習だけでは追いつかない気がしている。

現在のAIには身体感覚がない。身体感覚である、すべすべ、ベトベト、ヌルヌルの快・不快を本質的には理解できない。美味しいもわからない。鼓動と呼吸、血流もない。AIは涙を流さない。

ただし将来的にはそれぞれの感覚センサーが実装されるようになるだろう。手始めに視覚=カメラの実装で画像処理AIが誕生したように。ほとんどの感覚を装備すれば、それこそSFが描くアンドロイドの誕生になるだろう。

知名度というブランド価値はどうだろう。オールマイティになんでもできる汎用AIより、知名度のある人間を選んでしまうのではないか。
「トム・クルーズよりもいい声のAI」より「トム・クルーズの肉声」を選んでしまうのではないだろうか。
スーパーコンピュータ「京」によるAI音声などの、ブランド価値をつけてくれば別かもしれないが。現在はそこまでのビジネスモデルはないだろう。

【表現は時代をサーフィン】

『その時代の“面白さ”は毎年更新されていく。ラッパーはAIには食われない』

ラッパーで音楽プロデューサー SKY-HI

「これは面白い」「これは新しい」という感覚は毎年少しずつ変わる。先ほどの「笑い」もそうだ。
データは常に過去から持ってきているので、発信までに半歩遅れる。”流行”にはついていけないのだ。そして流行は常に変わる。
新しい言葉が次々生まれ、どれが定着していくのかはわからない。面白さや利便性、奇抜さなど、若者言葉がどう浸透するのか。定着させるのは人間の側なのだ。

景気は短期波動、中期波動、長期波動が重なり合いながらうねりを作る。言葉、言語も同様ではないだろうか。時代の感性はAIは持てない。
表現は時代をサーフィンするのだ。

【人間を探す】

AIはどこまで行っても擬似的な存在である。

それはボーカロイドである初音ミクもそうだし、ロボット犬のアイボもそうだろう。ただしそれは飛びつきはするが、一部にしか広がらなかった。やがて飽きるてしまうことが多い。逆に偏愛する人もいる。それは人形を偏愛することに似ている。

AIナレーション・声優の初期には新し物好きのクリエーターが面白がって使うだろう。偏愛する人も出るだろう。しかしそれほど多くはないと考えられる。
炭素から人工的に作られた合成ダイアは、天然ダイアより、大きさ透明度不純物のなさなど、品質は天然物を圧倒している。

「永遠の愛が擬似でいいのか」

NYのダイアモンド商

現在の合成ダイアは天然ダイアの価格の3割である。懸念されているコスト問題はこの3割以下がAIナレーションの普及ラインではないだろうか。

実のところ、現状ではAI音声より人間の声の方が商品が売れている。IT界のマーケッターは知っているはずだ。まだまだ過渡期の問題なのかもしれないし、未来は定かではないが。
商品購入にはエモーショナルな要素が含まれているからだろうと推定できる。人間は人間によってしか説得されないのではないか。ここはビジネスとしてのナレーションには重要なポイントだ。


<<次章予告>>

テクノロジーの先に見る人間とAIの未来。最終章では、人間本来の魅力とAIとの共存を可能にする新しい価値観の形成について、深い考察を働きます。人間性の時代はすぐそこに。

最終章「人間の核心とAI」、お楽しみに

©2024 義村透

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