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第12話 事務所の深い落し穴編「うわさ 【急】」

極細木の哀しき稲妻が、二人の心の闇を切り裂いていく!

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誘蛾灯(ゆうがとう)の女

「実は…言われてみれば、本来”天然キャラ”で温和なチゲさんが、時折驚くほど冷淡なことを言う時があったんですよ。『あの人誠実そうだけど、裏では腹黒いよ。ここだけの話だけど』『○○事務所は横領をしている』『○○マネージャーはセクハラ』とかディープな話……チゲさんも最初は断定系のように話すんですが、ボクが確認すると「人からきいた話だから」「噂なんだ」と付け加えます。そんな時は毎回話の出元として、中堅女性声優の真知子巻いちご(まちこまき・いちご)』の名があがります」

「やっぱりネ…」

極細木の金縁眼鏡の奥で、怒りと悲しみの炎が見えた気がした。

「チゲさん、いちごちゃんとはよく飲みにいくんだっていってました。『彼女は話がわかってくれるし、若手女優の憧れでさ。よく新人をマンツーマンで誘って”女子の悩み相談室よー”って言ってくれて、いつも大盛りあがりなんだよ』と言ってました」

「いちごみたいな人、実はたくさんいるのヨ。自分は売れていても、新人の足をひっぱるために巧妙に暗躍する…あからさまな意地悪とか足を引っ張ることはないの。でも悪魔のように巧妙。ワタシが知るかぎりでも、彼女に誘い込まれた新人たちは、次第にマネージャーを遠ざけ事務所を転々とし、やがて声業界から姿を消しているワ。そうね、いちごは誘蛾灯みたいなもの」

「誘蛾灯?ど、どういうことなんでしょうか?」

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事実をちゃんと見て

「誘蛾灯ってのはネ。虫をおびき寄せるために点けられた明かりのことョ」

蜜などそこには無いのに、力つきて死ぬまで周りを飛び続けるさせる。寄って来たプレーヤーたちは『疑念の種』を植え付ける。心弱きものに植えられた種は発芽し、やがて…。

「若手たちは売れっ子の言葉をついつい鵜呑みにしちゃうのよネ。たとえそれがでたらめでも」

「で、でも、ボクたち新人はいちごやチゲさんのように「売れてきた人」の言うことは、やっぱりどこかに真理があるんじゃないかと思ってしまうんです。同じプレーヤーだから、気持ちが分かってくれるんだって!」

「最初は甘い密の言葉で若手を呼び寄せ、味方になる素振りをみせるワ。自分のプライドをくすぐってくれるの。でもやっていることといえば、いいかげんな情報のもとに事務所やマネージャーの些細なミスをついて貶め、陰口を言い合ってお互いの傷をなめあうだけ」

「そういうこともありますが。でもそれは実際に『事務所やマネージャーが悪いから』だってみな言ってます」

「そう思い込まされてるんじゃない。もちろんすべての事務所やマネージャーが高潔な訳じゃないって事はワタクシだって認めるワ。でもね事実をちゃんと見て。本当は【一緒に売ってるマネージャーがプレイヤーの味方】なの。そして気がついた時には『敵を味方に、味方を敵に』してしまってるのョ」

「僕の心もいつのまにか、チゲさんと負の共鳴をしてました。そして事務所やマネージャーのことを、憎々しく思い始めてました」

「味方を敵にし始めると、次には自分を愛してくれる天国を探してさまよい続けることになるワ。『優しさの毒』がまわった頃の若手を見計らって、いちごは『わたしは、売れてない人とはつきあいたくない』と突き放すの。そして次の獲物に向かうのよ」

わたしも優しさの毒が回った虫だったのか。

悔しさで噛んだ唇の感覚も消えていた。

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HPで調べれば分かるはず

「実は先生……いまさらですが白状します。チゲは先生のことも話していました。『いちごが言うには極細木は裏では冷淡で腹黒い守銭奴だ』と。それでボク…今日は……」

「具体的な事実は何か言ってた?」

「いえ、ただそういう『うわさ』だと。それだけです。それに先生のところでは仕事なんて増えないって」

「なんの証拠もないただの誹謗中傷よネ。証拠もなしに言うほうも言うほうだけど、信じるほうも信じるほうね。まず私が預かった子はほぼ売れてるワ。HPで調べれば分かるはず。それにプレーヤーのお金に関する事を扱うのが私たちの重要な仕事のひとつ。もちろんシビアな交渉はしてるワ。だからこそお金関係はとってもクリアにしてる。それは私のプライドでもあるから。税金もたくさん払ってるし」

「申し訳ありませんでした」

「ちなみに、そのチゲだけど、実は以前、私の事務所に入りたいって申し込んできたことあるのヨ。でもサンプルも作ろうとしないし前向きな空気がなかったワ。それでお断りしたの。それがこんなことになってるとはね。それに彼、ある養成所で講師をやってるワ。『スクールは金儲けで現場で学べ』とうそぶきながら、日銭をもらっていい加減な教育をしているチゲの人間性を疑うけどなぁ」

「自分が恥ずかしいです…」

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すぐに明るみに出すことね

息詰まる沈黙が待っていた。

言葉を飲み込むようにして極細木が呟いた。

「哀しいけど、慣れてるから」

「先生…私に与えてくれてばかりの先生を、冷淡で腹黒い守銭奴だと疑っていたなんて…ズーグシュ」

「でもま、山ちゃんがワタシに伝えてくれて良かった。チゲやいちごが狙っているのはいつも影に隠れること。若手で何も知らないと思われたら、事実をねじ曲げる人がいる。影でいい加減な情報を流されると、わたしたちには反論の場も与えられない…だからこういった話や雰囲気をもちかけられたら、明るみに出すことね」

「言いにくかったんです…秘密の共有をしているみたいで」

「それもわかるわヨ、そう思わす作戦だからネ。知らぬ間に共犯者にされてたのね。秘密は人の心を心理的に縛っていくのよ。でもね、業界の荒波を乗り切るには、心も自立していかなければいけないの。真実は他人におそわるだけではなく、自分の目でも確かめるものなのョ」

「業界の裏って、自分みたいな新人じゃ確かめようが…」

「うーん。たとえばそうね、芸歴をきちんと自分で調べてみる事ね。ヒット作や有名企業のCMなんか芸歴に書いてあるけど、それがメインどころなのかエキストラなのか。ぱっと見ただけでは区別がつかないわね。でもね番組をしっかり見ていればリサーチできるはず。それに良い作品、良い役に恵まれてるプレーヤーには良いマネージャーがついている事が多いワ。チェックしてみたら。そしてそういう視点でこの業界を見てみて。きっと違った世界が見えるはず」

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私もまた、自分で選択することから逃げていたのでは

これまで気づかなかったがチゲといちごの甘い囁きの足下には、おびただしい新人たちの骸が横たわっている…!

わたしは、そんな妖しげで無責任な言葉に人生を賭けようとしてしまっていたのか……

だが考えてみれば、私もまた、自分で選択することから逃げ、自立への厳しい道を指し示す極細木の教えから逃げた先に、自分の弱さを正当化してくれる「誘蛾灯」に群がる一人になっていたのではないか。

ぐっと極細木が徳利を傾けてくれる。すっかり冷めてしまった熱燗は苦みを増していた。

そう、優しさと甘さは違う。覚悟をもった優しさは時に厳しさをともなうこともあるはずだ。

幾多のプレイヤーをトップにし、新人を育てあげてきた極細木。

極細木本人はあまり語らぬがその壮絶なマネージメント人生の中には、かえり血を浴びた経験も数知れないはずだ。

だからこそ、彼女は誰よりも厳しく、だから優しかったのだ…

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エピローグ:チゲさんと最後の夜


空気が研ぎすまされた真冬の夜だった。

極細木との夜で、自分に回っている毒は自覚できた。

ただ、チゲさんと僕と交流のなかに一片の真実があるんじゃないか。

僕を思いやってくれた優しいチゲさんの心。1%でもその可能性を信じたかった。

「おぅ山ちゃん。今日もいちごちゃんと情報交換してたんだけど、最近売れてるあの○○って娘。枕営業がすごいっていう『うわさ』だよヒック。マネージャーも評判悪いみたいだし、そのうち消えるよアレはぁ。ヒック」

「すっかり出来上がってますね。そうだチゲさん折り入って相談があるんですけど…」

「山ちゃんの願いなら聞いちゃうよぉヒック」

そして私は長い夜の結論である「短い問い」をぶつけた。

このワンワードで全てに決着がつく。この一言で、チゲさんの真の姿が見えるはず。なにかしらの思いやりが残っていれば、たとえ出来なくても真剣なアドバイスを伝えてくれるはず。そう思いを込めた。

「チゲさん、あなたがいま居る事務所を紹介してもらえませんでしょうか。紹介っていってもマネージャーに伝えてくれるだけでいいんです。決してチゲさんに迷惑はかけませんから」

そして裁定が下るように……チゲは血相をかえて答えた。

「何言ってるの?!そんなことできる訳ないじゃないっ!もっと売れてから言いなさい!!」

覚悟はしていた。

ガラガラと音をたてて、私の中の巨大な偶像だったチゲさんのイメージが崩れていくことを。

中から現れたのは無垢なチゲさんではなく、小さな蛾。

誘蛾灯に誘われ毒が回った虫だった。

いちごとともに若手を踏みつぶすことに必死になっている、それがチゲの姿だった。

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でももう起きるのめんどくさいや

チゲは今日も無自覚に風聞をばらまきながら、毒を毒で洗い流そうとすかのごとく、ひたすら酒を飲み、やがて眠りこけた。

わたしは酒くさいチゲをゆさぶった。

「チゲさん起きてください。明日一緒に制作会社回ってみましょう、僕も恐いし一緒じゃ迷惑かも知れないけど、でもなにかやりましょう。一人じゃ出来ないかも知れないけど、二人ならなんとかなるかもしれません。立ち上がって。さあ!立ってチゲさん!」

叫びに似た声に反応して、チゲはぼんやりと目をあけて言った。

「あ、いま夢をみてたよ今回のアニメが当たって、誰とも楽しくやれてる、すごくきもちいい夢だったんだよ。どこにいってもちやほやされちゃってさ。若いころは俺もそうだったんだよ、懐かしいなぁ…、でももう起きるのめんどくさいや。俺はこのまま寝ちゃうね。いいんだ帰ったって仕事はないんだから…」

チゲはそう言ってテーブルに突っ伏したまま、動くことはなかった。

私は、泣きたいと思っているのに涙が出ない時があることを初めて知った。

チゲもまたいちごとの負の共鳴に、そして業界の荒波に巻き込まれた一人だったのかもしれない。

彼が吐く言葉は不信の毛布に包まれ、そのなかで「愛を渇望して叫んでいる」だけなのかもしれない。

だがそれは間違えたアプローチだ…

愛は与えることにあるはずだから。

( 事務所の深い落し穴編”うわさ” 完)

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