第10話 堕ちたプレイヤー編「うわさ 【序】」
二年ほど前、伝説の女マネージャー極細木(ごくぼそき)スガ子と語りつくしたその夜、彼女から
「サンプルを創り、できる範囲で営業もしてみること」
「常に新しい読みの表現を学ぶこと」
「自立したナレーターを目指す事」
の大切さを教わった。
その教えのとおり自作のサンプルを持って営業してみたり、新しい表現を吸収しようとスクールに通ってみた。
やがてフリーのナレーターとして小さい単発の仕事をたまに出来るようになっていた私だが、まだ食うにはとても至っていなかった。
プロローグ:チゲさんといつもの夜
それは少し肌寒くなった秋の夜。
私は私鉄沿線の居酒屋にむかって歩いていた。そこは、場末の雰囲気が漂っていたが、なぜかほっとして心落ち着くのだ。
居酒屋ののれんをくぐると、椅子に背中を丸めて上機嫌の「魚ヶ原チゲ(さかながはら・ちげ)」の姿があった。
チゲは20年前、声優としてデビュー。
鳴かず飛ばずだったが世はバブルに突入。その好景気によって仕事をナレーターに広げることで業界を生き延びた。
90年代は折よくやってきた声優ブームに乗りアイドルデュオ『チゲ&アボジ』を結成。「チゲアボ」の新曲「今夜もSome Get Down(サムゲタン!) 」の公開録音中に「吹きすさぶ風に向かって歌ってたらヅラが飛んでしまった」というトラブルに見舞われた。
それからは売れっ子声優の階段を一段一段、”下り続けている”人だ。
役者はさ~
彼とは半年前にこの居酒屋で偶然知り合い、幾度か酒を酌み交わし様々な話をした。
ふとチゲが私に気づき千鳥足でこちらにやってくる。いつものように相当飲んでいるようだった。
「あ、山ちゃん!ひっく。俺今度アニメの大きな仕事が決まったんだ。といっても事務所からじゃなくて、俺に指名で来た仕事なんだけどさぁ。イベントは絶対来てよぉ、ひっく」
アニメ出演については知っていた。チゲは端役の一人だったが作品は大ヒットしているものだった。
「ひっく、ところで山ちゃんは最近はどうしてるの?」
「サンプル創ったり、少しずつ営業しているところです。極細木先生からスクールや、営業方法を教わったので、やれることをやってみなきゃって」
「営業?ははは、ひっく、媚を売りにいってるんだ…安っぽくなちゃうよね」
「僕はフリーなんで誰にも頼る人がいないから、自分で営業やらないといけないんです。でも最近はちょっとメゲてるんです。仕事なんて滅多に決まるものでないし」
「役者はさ~そんな余計な事考えないで、いい表現してればいいんだよ」
「それで少しでも向上して新しい表現を学ぼうとスクールに通ってみてます。でもなんか自分の個性が認められなくって、心が折れかけてるんです」
「今さらスクール?まだ通ってんだ?ククク、上手くなるには現場が一番だよ。これホント。学校なんてしょせん金儲けだし、山ちゃんもプロなんだからさ、今さら学ぶなんておかしくない?」
「プロ…そうですよね。俺もまだ売れてないけど一応はプロですもんね。プライド持つ事も大切ですよね!」
『気をつけたほうがいい』らしいよ
「そうそう!それに前も言ったけどさ~、ここだけの話、極細木ってやっぱり『気をつけたほうがいい』らしいよぉ、ひっく。仕事がぜんぜん増えないらしいしさぁ…」
「そ、そうなんですか!てっきり凄腕マネージャーだと尊敬してました」
「冷たい女だよ。役者をモノみたいに扱って、なんか金のことばかり言ってるらしいし。守銭奴だよあれは、あはは」
「ホントですか!ショックです…。すっかり信じてました」
「山ちゃんは苦労して来ただけあって、芝居の事も俺の話もよくわかってくれるよね」
「そういえばチゲさん事務所移籍してからの仕事はどんな感じですか?」
私の問いに、チゲは突然顔を覆いながら答えた。
「仕事は昔からの指名のだけだよ。いつもいってるだろ、事務所が売り込んでくれてないって。あいつら役者のことなんて愛してないんだよ…」
そうつぶやくと目頭からすーと、一筋の涙が流れた。
「ひどい事務所ですね。僕までなんか胸くそ悪くなります」
そうして二人の居酒屋は、今宵もやがて暗く長いトンネルに入っていくのだった…
極細木と疑念の夜
東京、赤坂の小料理屋。
私は彼女に振ってもらった小さなVP収録の帰りに寄ったのだった。
店の扉をあけると外の風が店中に舞った。掘りごたつに座り、温度差で女の金縁メガネが曇った。
「収録お疲れさま。あ、女将、熱燗二本ちょうだい、あとお鍋もよろしく」
彼女は極細木スガ子。「女帝」と呼ばれる伝説の女マネージャー。
「あの夜」から2年。テレビでは新人ナレーターの抜擢が進んでいた。
その多くはこの女帝の仕掛けた企画だった。そのこともあってか、今夜の彼女はよりいっそう凄みが増しているように思えた。極細木にすすめられて熱燗をあおる。しかし彼女に対して、ついついよそよそしくなってしまう自分がいた。
それは、ある『うわさ』が気にかかっていたからだ。目の前の極細木を見ながら、私は自分の中から逆流するものを感じて、酒で押し流した。
『プレイヤーはプレイに集中するべきだしね』って
まずは今夜付合ってくれた礼を伝えた。
「今日の仕事ありがとうございました。それに忙しいのに付合っていただいて」
「プレーヤーと話すのも、私たちの役割として大切だからネ。なかなか時間無くて出来ない事も多いけど…で最近の調子はどう山ちゃん?」
「そうですね「魚ヶ原チゲ(さかながはら・ちげ)」さんにお会いして飲みました」
「魚ヶ原チゲって、たしか最近”また”事務所を移籍したベテラン声優よネ?。新人の山ちゃんが、どうしてベテランのチゲと知り合ったの?」
「ひょんなことで行きつけの居酒屋で声かけてもらえたんです。ボク業界の大先輩と酒が飲めるってだけで興奮しちゃって、たくさん話してもらえたんですよ。チゲさん、すごく不器用な感じだけど、いい人でやさしいんです!」
「へえ。どんな話をしたの?」
「仕事についての相談です。自分で営業するのに限界を感じ始めてましたから。成果なんてなかなか出ないし。そしたらチゲさん『そもそも営業なんてやる必要ないよ、プレイヤーはプレイに集中するべきだしね』って」
「そうなの…」
「その言葉がすーっと心に入ってきたんです。僕は営業したいんじゃなくてナレーションしたいんですから。それに『実技は”現場”で覚えていくもんだから学校で教わるものじゃないよ。スクールなんて意味ないよ、あれは金儲けなんだから、辞めるべきじゃないか』って言ってくれました。たしかにスクールの授業より現場に出たほうが、力がつくのは今日の仕事でも実感しましたから」
極細木は私に杯を傾けたあと鍋をあけて灰汁をとる。
ぼわんと出た湯気で再び眼鏡が曇らせて極細木は問う。
「チゲは、なんで前の事務所辞めたか言ってた?」
極細木は主題を変えたが、私は続けてまくしたてた。
「『こんなことを話すのはキミだからだよ。二人だけの秘密にして』って言われてたんですが、ボクはそんなチゲさんにシンパシーがあるし、なによりボクみたいな駆け出しの人間にも心開いてくれてるんだって思うと、なんか感動しちゃって」
「それでなんだって言うの?」
「なんでも前に所属してた大手事務所では”自分の名前でしか仕事は来てなかった”そうですよ。それでいて若手プレイヤーには主役が決まっていく状況で、自分の現場にはマネージャーも来てもくれてないし、不信感が募って辞めたとのことです」
「どこでも聞く話よね~」
「移籍先の現在の事務所「鬼瓦二毛作オフィス」でも仕事は減ったっていってました。なんでも二毛作オフィスのマネージャーは事務所にこもりきりで、営業にいかないんだそうです。それで、自分は愛されてないって言ってチゲさん急に泣きだしちゃって…びっくりしました。駆け出しのボクでも、同じプレーヤーとしてその気持ちが痛いほど分かって。ボクまで悔しくなりました」
「泣きに入ったのネ~」
極細木の冷たく心ない返答をみて、私の中の疑念が確信になっていく気がした。
迷宮に入ってるわネ
不意に極細木が鍋の中に、ぴしゃっとお銚子の酒を注いだ。温度差で一瞬、鍋の煮立ちが収まる。
その行動にびっくりして私は、興奮で喋りすぎていた自分に気づく。
「ふーん、さっきからなんか山ちゃんの様子が変だなーと思ってたけど、大体話はわかったワ。ちょっと会わない間に山ちゃんも迷宮に入ってるわネ。ワタシも久々に『女帝モード』を入れましょ」
私は『迷わせているのはあなたではないか』と思った。
実は極細木には言えなかったが…
チゲは飲み仲間である中堅女性声優「真知子巻いちご(まちこまき・いちご)」から聴いた伝聞として『極細木って何か企んでると思うよ。だから”気をつけたほうがいい”って。冷淡で金の亡者だって言う人も多いし』と言っていた。
まさかワタシはこの女帝に騙されてるのではないだろうか。見込みもないのにスクールへ入れて、と。
それが証拠に極細木は私以外の生徒には大きな仕事を振っているではないか…。疑念が膨らんで止まらない。
かくして、声業界伝説の女帝との夜が、再び幕をあげることになったのだった…
次回、プレイヤーの心の奥深くの闇を、帰ってきた極細木が稲妻で切り裂いていく!
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