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【イノシチとイモガラ珍百景】 #16 空の鍵穴

その鍵穴は、確かに空にあった。左右から競い合うように大小の枝が覆いかぶさろうとして、なぜかその中央にぽかりと鍵穴のような隙間が生まれ、そこからみずみずしく青い空がほんの少しだけ顔をのぞかせていたのだ。

ここは、イモガラ島の中でも屈指のパワースポットと呼ばれる、いわば“聖地”である。かつて王室が栄えていた地域から少し郊外へ抜けたところの、小ぢんまりとした森の中。ほかの緑豊かな場所に比べると、どこか空気がひんやりとして、何かが静かに息を潜めているような神秘的な雰囲気がある。
イモガラ珍百景調査員・カゲヤマさんの著書によれば、この場所ではあまり大騒ぎしたり、暴れたりしてはならないと書かれていた。確かにそれもうなずける。そもそも、そのようにふるまうような気持ちにはなりづらい場所なのだ。
「イノ、オレもうちょっとちゃんとした服で来ればよかったかな」
いつも元気なシシゾーが、珍しく生真面目な顔で僕に尋ねてきた。普段、たいてい白のタンクトップに黒のジャージ、といういでたちの(この日もまさにそうだった)彼すらも、こんな厳かな気持ちにさせられるほどのパワーがこの地に宿っているのだろうか、と僕は背筋が伸びる思いがした。
「えーと、大丈夫じゃないかな? 敬う気持ち、が大事なんだと思うよ」
「そっか! じゃあ、いっぱい心をこめて祈れば、大丈夫だな!」
僕の言葉に、シシゾーはたちまちパッと明るい表情を取り戻し、いやー、なんか涼しくって気持ちがいいなぁ、とわりと大きめの独り言を言いながら先へと歩き出した。よかった、いつものシシゾーだった。
「ところでイノ、その“鍵穴”って、どのへんにあるんだ?」
不意にシシゾーが振り返って尋ねた。僕は、カゲヤマさんの著書をパラパラとめくりながら答えた。
「それが、この本にも詳しくは書いてないんだよね。その日によって、見えたり見えなかったりするんだってさ」
「マジで! 見られただけで超ラッキーじゃん、それ」
ふと、すぐそばに立札があることに僕は気づいた。早速その立札を読んでみると、どうやらその“鍵穴”なるものは、いにしえの王族がこの島を統治するきっかけとなった伝説の象徴である、といったことが書かれていた。

『ある日、勇敢なるイノシシの戦士が、日々の戦いに疲れ、癒しを求めてこの森に迷い込んだ。木陰に憩い、清涼なる川の水で喉を潤し、一息ついてふと空を見上げると、一つの“鍵穴”が浮かんでいた。よく見るとそれは、頭上に広がる木の枝たちが、偶然にもそのように見える隙間を生み出していたのだったが、彼はこれを一つの“天啓”ととらえた。この鍵穴に無限の可能性を感じた彼こそが、今日のイモガラ島社会の礎を築き上げた英雄・イモガラ島初代国王である。』

「へー! そうなんだ、すげー」
「シッ、声が大きいよシシゾー」
シシゾーをやんわり注意しながら、僕はふと思った。このような説明書きがあるのだから、おそらくその“鍵穴”というのはここからそう遠くない、むしろこの近くに存在するのではないか、と。
降り注ぐ優しい木漏れ日の下、ただ立っているだけで何だか癒しの力を分けてもらえそうだけれど、せっかくここまで来たから、やはり噂の鍵穴を見てみたい。全く、欲の深いことだ。
周りにいた観光客の皆もどうやら同じらしく、皆お互いの様子をチラチラとうかがいながら、いかにも平常心で偶然の奇跡を待ち望んでいるのです、といった視線を投げかけてくる。ここは聖地なのだから、はしたない真似などはいたしませんよ、とでも言いたげに。
いつの間にか、辺りはしんと静まり返り、何か一言でも発するのがいけないみたいな空気すら漂い始めていた。まあ、そもそもはそういう場所だ。おとなしく、手がかりになりそうなものを探そう。
とはいうものの……なかなかそれらしきものが見つからない。しかも、皆無言。気まずい。
「な、イノ、イノってば」
思った通り、沈黙に耐えられなくなったシシゾーが、僕をひじでつつき始めた。
「鍵穴を見つけるんならさ、鍵があればいいんじゃね?」
「またそんな、冗談みたいなこと」
「冗談でも何でもさ、試してみたらできるかもしれねーじゃん。お前、こないだ錠前パラダイスでゲットしたヤツ、持ってきた?」
シシゾーの言う“錠前パラダイス”とは、以前僕がシシゾーと一緒に行った、文字通り錠前好きにはたまらない場所だ。海を見渡せるところにある金網に、恋人たちが永遠の愛を誓って錠前を取り付ける一方で、錠前を外したいひとたちのために用意された別の金網には無数の“取り外し専用”錠前が取り付けられている。希望者は欲しい錠前を決めて、その錠前に合う鍵を鍵箱の中から探し当てるという、いわば錠前アトラクション的なものだ。そしてどういうわけかこの僕は、偶然手にした錠前をこれまた偶然手で触れた鍵で見事取り外すことに成功してしまったのだ! しかも、その施設のおじいさんいわく、それは数ある中でも「最高級の逸材」なのだそうだ。
「そんな、都合よくあるわけが」
シシゾーの言葉に乗せられてズボンのポケットを探ってみると、金属製の重みのある感触が。ていうか、なんで僕はこんなわかりやすいものを無意識に持ち歩いて忘れていたんだ。
「……あった」
改めてその錠前を手に取ると、いぶし銀のボディが日の光を受けて鈍くきらめいた。僕は無造作にささっていた小さな鍵をそっと引き抜き、目の高さに掲げてみた。
その時。
急に木々の枝がざわめき始め、それまで穏やかに降り注いでいた木漏れ日が大きく揺らめき影の形を変えた。辺り一面に木の葉が舞い上がり、あっと顔を覆ったのもつかの間。気がつけば、もう風はやんでいた。
「ふう、何だったんだろう、今の」
そばにいたシシゾーに話しかけたつもりが、シシゾーの方がちょっとだけ早かった。
「あっ! 見ろよ、イノ! あの影」
「ん?」
僕が反応するよりも、周りの皆の方がこれまた早かった。彼らはそれぞれに驚きの声を上げ、皆同じ場所を指し示している。
「あの影、なんだか鍵穴みたいに見えるわ」
「本当だ! ということは……」
そして今度は、皆一斉にその影を生み出している場所へと目をやった。
木漏れ日の一角に、確かに形のある隙間が生まれていたのだ。それはまぎれもなく、鍵穴の形そのものだった。
「やったあ!」
シシゾーが、もはや我慢しきれずに飛び跳ねて叫んだ。
「ほら見ろ、何でもやってみるもんだろ! お前のその鍵が、見事に鍵穴を見つけたんだよ!」
「鍵、ですって?」
「なんと……こんな奇跡があるのか!」
シシゾーの興奮ぶりに、周りの皆も次第にエキサイトし始め、ついには手を叩いて喜び合った。
「ああ、なんという幸運!」
「まさか、こんな形で空の鍵穴に出会えるなんて」
「やや! あなたさまは、賢者イノシチさんではありませんか!」
わっ、僕の正体までバレて、たちまち周りを取り囲まれてしまった。
「あ、あの、ここであまり騒ぐのもアレなんで……」
必死に落ち着かせようとするも、皆さんの興奮はなかなかおさまることなく……
でも、この場所に宿る何らかの存在のようなものは、それを怒ることもなく、穏やかに微笑むように木漏れ日を与えてくれるのだった。

【空の鍵穴】レア度:マツタケ級

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