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【イノシチとイモガラ珍百景】 #19 忍者ベンチ

珍しく、居酒屋のバイトがなかった夜の、その翌朝のこと。
寝坊するチャンスを満喫しようとしていた僕は、一本のけたたましい電話によりそれを打ち破られたのであった。

「イノ! イーノー! 起きてるかー!」
どう考えてもシシゾーとしか言いようのない大声が、受話器の向こうから僕の寝ぼけた頭をガンガンに刺激してきた。
「ムニャ……何?」
「あっ、やっぱり寝てたなお前! もう朝だぞ!」
「いや、今日は寝坊する予定で」
「そんなの知らないよ、オレ! それよりも、聞いてくれよイノ」
「だから、何」
無理やり起こされて少し機嫌の悪い僕は、無愛想に尋ねた。目はまだ半分くらいしか開いていなかった。
「あのさ、出たんだよ! オレの職場に! “忍者ベンチ”がさ!」
シシゾーの言う“職場”とは、キノコ町でも評判のスポーツジムのことである。かつて彼は、その常人離れした馬鹿力ゆえに「ジムの備品を壊し過ぎる」という理由で一度クビになったけれども、利用者の皆さんにあまりにも人気があったのでめでたく職場復帰できた、という逸話を持つ。まあ、それは置いといて。
「……は? 何、それ」
「知らねえの? ある日突然、それまでなかった所に置かれて、いつの間にかまた移動してる、っていうあれだよ。皆、まさかこんな所に、って大騒ぎしてるんだってば」
「あれ、って言われても」
「あれ、って言ったらあれなんだよ、あれ」
何のことだかさっぱりわからないが、受話器からは明らかに大勢がザワザワしているのが聞こえてくる。相当混乱しているのだろう。
「だからさ、今からお前も見に来いよ! こんなこと、めったにないんだからさ」
「え、なんで僕まで」
と僕が愚痴り始めたその時、シシゾーのそばで誰かが『珍百景!』と叫ぶのがハッキリと聞こえてきた。
「えっ、今、珍百景って聞こえたけど」
思わず僕が聞き返すと、そうそれ! とシシゾーの嬉しそうな声が耳じゅうに響き渡った。
「それだよ、まさにそれなんだって! このジムにも、あの本のマニアがいてさ。たまたま持ってた本に載ってたのを、見せてもらったんだ」
「そうなの?うーん……」
悔しいことに、眠気よりも好奇心が勝ってしまう。やっぱりこれは、起きなきゃダメか……
こうして僕は、寝坊させてもらえなかったどころか、朝イチでシシゾーの勤めるスポーツジムへ直行する羽目になってしまった。

「あのぉ、おはようございます」
普段スポーツジムにはあまり来ない僕にも、受付のお姉さんはお待ちしておりました、とにこやかに出迎えてくれた。
「すみません、なんか急にシシゾーに呼ばれて」
「いえいえ、こちらこそ朝早くからすみません。さあ、こちらへどうぞ」
お姉さんに案内されてトレーニング室へ足を踏み入れると、そこにはおそらくスタッフがほぼ全員、ひしめき合ってワイワイしていた。そしてその輪の中心には、先ほど僕に電話してきたシシゾーがいた。彼は僕の姿に気づくや否や、両手をブンブン振って僕に合図してきた。
「あっ、イノ! こっち、こっち」
シシゾーのすぐそばには、仰向けになってバーベルを持ち上げるトレーニング用のマシンが置かれていた……のだが、よくよく見ると、何かがおかしい。
「見てみろよこれ! バーベルのとこに、ベンチが逆さまになっちゃってんの!」
シシゾーに言われて初めて、僕はやっと気がついた。
なんと、本来ならバーベルがセットされているはずの場所に、なぜか公園によくありそうなベンチが逆さまになってくっついていたのだ!
「ええ⁉ 何これ、一体どうなってんの?」
問答無用ですっとんきょうな声を上げた僕の反応に対し、シシゾーをはじめスタッフの皆さんはなんだか嬉しそうだった。
「ですよねー? 何これ、って思いますよね!」
「さすがイノシチさん、素晴らしい反応だ」
いや、別に普通に驚いただけなんですけど、と言う間もなく、
「ほら、見てくださいよイノシチさん」
ひとりのマッチョなトレーナーが、一冊の本を開いて僕に見せてくれた。
「僕ね、こう見えても“イモガラ珍百景”好きでしてね。休憩時間に、ちょっとパラパラめくって見るのが楽しみなんですよ。そうしたら、今朝来てみたらこのありさまで。もしやと思い、あわててロッカーからこれを引っ張り出してみたらば、ね? まさに“ビンゴ”っすよ!」
彼の話に、周りの皆さんもうんうんとうなずいた。
「いやあ、神出鬼没といっても、ねえ? まさかジムの中の、それもこんなところに現れるだなんて、一体誰が想像します?」
「しかもベンチだけに、よりによってベンチプレスとか……ププッ」
別のトレーナーが、自分で言った言葉に吹き出すと、周りもつられて大笑いした。
ふむふむ、この機械はベンチプレスというのか、なるほど……ってちょっと待て、ダジャレかい! もしも狙ってここにこのベンチが出現したとすれば、相当バカバカし過ぎる。
「なー? ケッサクすぎんだろ、イノ。しかもこれ、最初に見つけたの、オレなんだぜ!」
シシゾーが、エッヘンと胸を張ってみせた。
それにしても、このベンチ自体重たそうなのに、実に絶妙なバランスを保って、前からずっとそこにあるみたいにおとなしく(でも逆さまに)設置されている。確かにこれは、珍百景の中でもかなりのレアな事例であることは間違いなさそうだ。それにしても……
「あの、ところで」
ふと僕は、心に浮かんだことを尋ねてみた。
「このベンチは……その、ずっとこのままなんですか? もしかしたらまた、いつの間にか別の場所に移ってたりして」
すると、それまでザワザワしていた一同が、急にしんと静まり返り、お互いの顔をチラチラうかがいだしたかと思うと、
「おい、カメラはないか? 早く、今のうちに写真撮っとかなきゃ」
先陣を切って、おそらくこのジム一番のマッチョであろう、逆三角形体型のトレーナーが叫んだ。
「そうだわ!」
と、今度は受付のお姉さんが叫んだ。
「ねえ、こんなチャンスめったにないのよ、せっかくだから取材に来てもらいましょうよ! “珍百景、スポーツジムに現る”って見出しでね」
これには、皆一斉に大興奮し沸き立ち、
「よーし、じゃあ俺はイモガラ新聞に電話しよう」
「なら、僕はテレビ局に」
「せっかくだから、スポーツ雑誌の記者にも来てもらおうぜ」
あれよあれよという間に、ジムのスタッフ一同総出で、この大スクープをイモガラ島全土に知らしめよう! とばかりに、マスコミ各社に電話をかけまくる者、ジムにあるカメラを全部引っ張り出してきて撮れるだけ写真を撮りまくる者(それぞれの記念撮影も兼ねて)、やにわに床にモップをかけまくる者、取材陣をもてなすために受付に花を飾りだす者、などなど……それはもう、てんやわんやの大騒動となったのであった。ひとりぽつんと取り残されて、ただオロオロするばかりの僕を除いて(あ、イノシチさんはこれでも飲んでくつろいでてください、とプロテインドリンクを渡された)。

その結果……
この日のスポーツジムは、予想以上に取材陣が殺到し、にっちもさっちもいかなくなってしまったため、やむなく臨時休業となった。それでも、ジムの利用者さんたちは、特別公開された“忍者ベンチ・オン・ベンチプレス”(ジムの店長が勝手にそう命名した)を生で見ることができて、皆意外と喜んで帰っていった。その場にいてたまたまインタビューを受けたために、夕方のニュースの画面に映し出されたひとも何人かいたが、実は僕もそのなかのひとりになってしまったのだった。
「ほう、それでは、イノシチさんの一言で、このように皆にお披露目されることになったのですね」
と、ニュース番組のインタビュアーが興味津々で尋ねた。
「ああ、いや僕は別に……単純に、このあとまた別の場所へ移るのかな、と思っただけで、はい」
カメラのレンズもまともに見られないほど緊張しながら、僕は懸命に言葉を探した。
そんな僕の隣では、“第一発見者”のシシゾーが、得意げに鼻を鳴らしながら調子よくインタビューに答えていた。
「いやー、今日はめちゃくちゃ忙しかったッすけど、こんな珍しいもののおかげで大繁盛でしたよ! 皆さんも、今のうちにバッチリ写真に残しておいてくださいね! 人生はいつでも、一期一会ッすからね」

その後、ジムからバイト先に直行し、真夜中過ぎに僕はようやく帰宅した。
バイト先でもらったまかないおにぎりをパクつきながら、何冊もあるカゲヤマさんの著書を片っ端から調べ、ようやく“忍者ベンチ”の載っているページを見つけた。そこには、なんとなくほかの項目よりも熱量の高そうなカゲヤマさんのコメントが添えられていた。

『その名の如く、神出鬼没に出現する謎のベンチ。見た目は公園などによくあるような形状だが、側面に彫られし紋章、肘掛け部分の丁寧な仕上げなど、随所に王室が政治を行っていた頃の名残がうかがえる。一定期間そこにとどまりし後、突如として姿を消し、また別の場所に現れる珍品中の珍品。
長年にわたり、「イモガラ珍百景」を調査し編纂するにあたって、このベンチをはたして珍百“景”と位置づけて良いものか、小生は大いに逡巡した。しかしながら、この忍者ベンチはあらゆる風景の前において常に凛とした存在感を誇り、むしろ風景すらも凌駕し自らが風景の一部となっている。小生もいまだ数えるほどしかお目にかかれていないが、これはもはや移動するアートであり、風景であり、そして真実なのである。という結論に至り、満を持してここに書き加えることとした。』

【忍者ベンチ】 レア度:マツタケ級


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