見出し画像

【イノシチとイモガラ珍百景】 #18 外伝・末裔たちのラプソディ(3)

イモガラ島、富裕層の集う某ショッピングエリア。
とあるブランドショップの前で、恰幅の良いイノシシの男性が、金の腕時計に何度も目をやりながらじれったそうにしておりました。
「まったく、まだ決まらないのですかね」
明らかに少しいら立った様子の彼は、隣で同じように紙袋をいくつも提げたカジュアルな服装の男に話しかけました。
「しょうがねえって、いいかげん諦めなよ。てか、さっきから何度それ聞いてくるわけ? ウケるー」
とカジュアルな服装の男・ナリヒラは、ちょっと茶化したように言いました。それがなおさら、恰幅の良い男──ミチナガの心をいら立たせたようでした。
「な、何ですその言い方は。私だって、好きでこんなに待たされてやしませんよ」
「そりゃそうだけどよ」と、ミチナガをなだめるようにナリヒラは言いました。
「コマチも、午前中の仕事が押してたから、週に一度の買い物タイムがこの時間になっちまったんだしさ。大目に見てやろうぜ、いつものことじゃんか」
「とは言っても君、限度というものがあるでしょうが。既に、約束の時間を1時間も過ぎているんですよ」
時間や規律を重んじるミチナガは、心底腹立たしいというように、大きく鼻息を鳴らしました。
「大体、女性というものはどうしてこう、買い物に時間がかかるのだろうか」
と、ミチナガは独り言のようにぼやきました。これはいつもの悪い癖が始まったかな、とナリヒラは即座に察して、こう切り返しました。
「おいおい、何もそれは女性に限ったことでもないだろう。男性にだって優柔不断なタイプはいるぜ」
「ふん、優柔不断だなんて、我々イノシシの間では最も軽蔑されそうなタイプでしょう」
「ほう?」
とナリヒラは、どこか軽蔑したような眼差しをわざとミチナガに向けました。
「でもさ、例えばイノシチさんがこういう店でさんざん『えー、どうしようかな?』なんて迷ってても、お前さんはきっと『大丈夫、時間はたっぷりあるのですから、お気になさらず好きなだけ迷って構いませんよ』とか言っちゃうんだろ?」
「なっ……!」
いきなり敬愛するイノシチを引き合いに出されて、ミチナガは思わず言葉に詰まりました。瞬時に、仮にもしもそのような場面に出くわした場合、実際のところ自分はやはりそのようなことをイノシチさんに言うのだろうか、いや言うに違いない、なぜならあの“賢者”イノシチさんに「君、ぐずぐずしていないでさっさと決めたまえ」なんて失礼なことなど口が裂けても言えやしないのだから、と彼の脳内では光の速さでシミュレーションが完了してぐうの音も出なくなってしまったからです。
ありゃ、さすがに言い過ぎたかな、とナリヒラはしばし様子をうかがっておりました。あまりに図星だったのか、ミチナガの顔はすっかり紅潮し、頭のてっぺんからは上がり過ぎた体温が蒸気となってフシュー、と立ち昇ってゆきました。
「……いやはや」
やがて、ようやく平静を取り戻したミチナガは、ちょっとナリヒラを睨んで言いました。
「ずるいじゃないか、君。いきなりイノシチさんの名前を出すなんて」
「いや、だってよ、一番お前には分かりやすいかと思って」
明らかに笑いをかみ殺しながら、ナリヒラが答えました。
「うむ、まあ確かに、分かりやすいといえばそうだけれども」
ちょっと歯切れ悪そうな感じで、ミチナガは口ごもりました。
ナリヒラにやんわりと指摘されたように、ミチナガはたまにものの考え方が偏ってしまう時があります。特にそれが顕著なのが、イモガラ島およびイモガラ島原産の食物や商品について、そしてあのイノシチに関することについてです。愛着があり過ぎて、ついついそれ以外のことには厳しくなりがちなのが玉にキズ。親友のナリヒラは、それが時々ちょっとイライラすることもあるけれど、基本的にはそんな彼のことを面白い男だとも感じています。
そして、彼女もまた同じように思っておりました。

「ごめんなさい、お待たせしたわね」
ようやく、お店の中からひとりの女性が出てきました。彼女は両手いっぱいに、大きな紙袋を提げられるだけ提げていました。
「コマチ君! 待ちくたびれましたよ、まったく」
ミチナガが、彼女──コマチの姿を見た瞬間、不機嫌を一気に前面に押し出した声を上げました。
「あなたも少しくらい知っておいた方がいいわよ、女性とのショッピングはおおむねこんな感じだってことをね」
久しぶりに心ゆくまで大好きな服を買えたコマチは、いかにも上機嫌でこう言いました。
「ちょうど今、その話をしてたところだよ、コマチ」
とナリヒラが笑って言いました。
「だから俺はミチナガにこう言ったんだよ、これがイノシチさんだったら好きなだけ時間かけていいですよ、とか言うんだろ、ってね」
「あ、それ確かにミチナガなら言いそうね」
コマチもつられて吹き出しました。ミチナガはきまり悪そうに、もういいでしょう、とふたりをたしなめました。
「そうは言ってもねコマチ君、次からはもうちょっと考えてほしいですな。連れを待たせるのだって、男も女も関係なく好ましくはないと思いますよ」
「はい。気をつけます」
素直にうなずいたコマチは、とある紙袋の中からさらに小さな紙袋をふたつ取り出し、ミチナガとナリヒラにそれぞれ手渡しました。
「ん? 何、これ」
「まあ、いいから受け取ってよ。待たせちゃったおわび、というか」
「何ですか急に、そんなものいいのに」
と言いつつも、ミチナガはさっさと袋の口を開けました。中から取り出されたのは、コマチ愛用ブランドの小粋なハンカチーフでした。ナリヒラの方にも、同じ柄の色違いが入っておりました。
「お、これ普段使いにいいな。ありがと、コマチ」
ナリヒラはお礼を言うと、さっそくズボンのポケットにそのハンカチーフをねじ込みました。
「なかなか悪くありませんねぇ。ありがとうございます」
ミチナガは丁寧にハンカチーフを袋に戻し、そっと懐にそれをしまいました。
コマチは、ふたりのそんな様子を見比べながら、嬉しそうにうなずき、言いました。
「ね、ずっと立ちっぱなしで疲れたでしょう。すぐそこのカフェで、ひと休みしましょうよ」
「いいね! 俺、アイスコーヒー」
「じゃあ私は、ロイヤルアラモードパフェでも」
まるで学生みたいなノリで、仲良し三人組セレブは連れ立って歩いていったのでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?