『オペレーション・フィナーレ』(アイヒマン拉致)で知るイスラエル諜報機関の凄みと歴史

この週末、Netflixで『オペレーション・フィナーレ』
という映画を鑑賞した(2018年製作、2時間余)。
 600万人のユダヤ人を虐殺したナチスドイツ、虐殺の責任者の1人であるアイヒマンは戦後のどさくさに紛れて南米アルゼンチンに逃亡、首都ブエノスアイレスの市民として名前を変え過去を消して暮らしていた。
 イスラエルの諜報機関は世界各地に逃げて潜伏したナチスの高官たちを探し続けていた。時には人間違いで無関係の人物を殺してしまうことさえあった。
 ついにアイヒマンを発見した彼らは,イスラエルの首相からその場で報復せずイスラエルの法廷に立たせるよう命じられ、生け獲りを目指した。しかし主権国家であるアルゼンの国民である男を隠密裡に出国させるのは難しい課題だった。目的は異なるが北朝鮮による拉致と同じことになるからだ。
 この映画は市民に溶け込んでいるアイヒマンを尾行し、拉致し、アルゼンチン当局の眼をかいくぐって飛行機に乗せイスラエルへ護送するまでの物語です。エンタメのスリラー映画でもあります。
 レバノンのヒズボラの幹部たちへ配布されたポケベルに爆発物を仕掛けるイスラエルの諜報機関の凄さは、こうした歴史のなかで鍛えられたのだろう。

 その後のことはよく知られていますね。
 1961年にエルサレムの公開法廷でアイヒマンは裁かれ,1963年に絞首刑となります。法廷の様子は世界中に報じられた。ただここで判明したアイヒマンの弁明は、自分は官僚であり命令に従ったまで、つまり歯車の一部に過ぎない、直接に虐殺に関わっていない,日本流に言えば、霞が関の1人の局長に過ぎず回ってきた書類にハンコを押した(サインした)だけ、それはどこの組織でもあることで自分には罪はないというものでした。
 このアイヒマンの弁明に対してほとんどが勧善懲悪のステレオタイプの悪人像で責めるなか唯一、アメリカに亡命していたユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントが反論します。極端に言えば、ドイツ人はみなアイヒマンであり、ユダヤ人のなかにもその流れで協力者がいたではないか、と「陳腐で凡庸な悪」を演じた役人にすぎないアイヒマンを責める欺瞞的な空気に異をとなえた。しかしハンナ・アーレントはユダヤ人から裏切り者扱いを受けるのです。
 これも映画になっています。『ハンナ・アーレント』(2012年製作、アマプラにあり)。

 イスラエルとパレスティナの軋轢、ガザと西岸地区の実質的な占領という果てしなき抗争をこの1年の間に見せつけられ、日本人の感性や想像力ではとらえきれないと感じていました。
 これはもうモーゼのところまで溯るしかない。そう思ってNetflixのドキュメンタリー『モーゼ』や、あの有名なリドリー・スコット監督の『エクソダス 神と王』など、このところそんな映画ばかり観てます。これらの紹介は長くなるのでここでは省きますが、やれ「約束の地」だとか3000年も争っているわけで『旧約聖書』が欧米文明のルーツならば一筋縄ではいかない世界だと半ば観念するしかないようです。

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