原爆の日に考える。地下壕・松代大本営という現代の遺跡を知っていますか?

松代大本営を知っていますか?
 大戦末期の昭和19年、東京大空襲に備えるため、天皇陛下の御座所を長野県の松代の山の中へ移そうという計画です。 
 松代町は、善光寺で発展した長野市の南端、いまは長野市に合併されていますが、真田10万石の城下町でした。真田家は真田幸村(信繁)が豊臣方に、弟の信之が徳川方についてリスク分散して生き延びました。松代藩士で幕末の佐久間象山は学識があって海外情勢にも明るく、吉田松陰の師としても有名です。
 その松代の山岳地帯に硬い岩盤があるというので大本営移転の白羽の矢が刺さった。天皇のご座所だけでなく、陸海軍の中枢や霞ヶ関の省庁の移転も計画された。突貫工事で碁盤目状に穴が掘られた。
 ◎写真 象山地下壕の入口 ヘルメット着用
     訪れる人はほとんどいない。奥行き500m
     壕内は気温20度の涼しさ
 ◎写真 城下町の風情が残っている街並み、象山神社

 ここを抜けて象山から皆神山の方角へ。農村を行くと壕を活用した気象庁の地震観測所があるが、いまは遠隔操作で無人。そこに天皇御座所がある。15畳の和室で内部に入れないが外から覗いて写真を撮った。こんな貧弱な場所に天皇が移るようでは、この戦争に勝ち目がないのは当然だろう。実際、おそるおそる昭和天皇に移転を打診したらニベもなく断られた。
 ◎写真 天皇御座所

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