農林事務次官・長男殺害の判決、我われは救いのない世界にいるのか⁈ 孤独の国家損失は5兆円。解決策はあるはずだ。

 日本の精神病床数は世界一という問題

 高齢化した親と無職の引きこもり、で生活に行き詰まる現象は「8050(はちまるごーまる)問題」と呼ばれたりし始めている。内閣府が、四十歳から六十歳で引きこもりにあたる人が全国で六一万人と発表したのは、つい今年の三月だった。これまで十五歳から三十九歳の引きこもり調査で五十四万人の推計を出したが、四十歳から六十歳を調査したのは初だった。
 カリタス学園バス停の死傷事件、元農林事務次官の家庭内暴力の息子刺殺事件、吹田市の交番襲撃事件など、三つの事件の背景は一様ではないが、自分の居場所がないがために起こされた事件としては共通項があった。この内閣府調査で「通院・入院経験のある病気」としては「精神的な病気」を挙げる人が三二パーセント、また「関係機関に相談したことがある」が四四パーセント、そのうち半数が「病院・診療所」を挙げている。
 こうした事件の背景にはさまざまな要因があるけれど、日本の精神医療システムがうまく対応しきれていないことも挙げられよう。
 下図(人口一〇〇〇人当たり精神病床数の推移・国際比較)をご覧いただきたい。主要な欧米の国々の折れ線グラフは右肩下がりである。

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 ところが日本は一九六〇年代の高度経済成長の時代から極端な右肩上がりが始まり、まるで持ち家政策が発動されたのではないかと勘違いするような展開になっている。高度経済成長期以前にあった郊外の結核用サナトリウムの転用も一因だった。不治の病と恐れられた結核は抗生物質の発達で治療効果が上がり不必要で空院となり、精神病棟へ転換して入院患者を埋めるようにした。私宅監置など座敷牢的な処遇からすれば、近代化のプロセスといえなくもない。
 ところが入院病床数はそのまま減るどころか増え続けた。八〇年代から九〇年代がピークでその後も微減でしかない。精神病床数(人口一〇〇〇人当たり)はダントツで世界一なのだ。
 しかも平均在院日数は一カ月以内の先進国が多いが、日本だけが九カ月と、これもまたダントツである。異様な風景である。
 現在、精神疾患による入院患者数は二八万人(二〇一七年厚労省調査)、一年以上の入院患者は六割・一七万人、五年以上は三割・九万人もいる。
 明らかに日本独特の課題がある、と診断できる。日本には優秀な精神科医がたくさんいるはずなのに、なぜこうなってしまうのか。
 まず日本独特の習慣について簡単なおさらいをするために、一九八三年に栃木県で起きた有名な宇都宮病院事件に触れておこう。
 食事の内容に不満を漏らした入院患者が看護職員に鉄パイプで二十分にわたり乱打され、四時間後に死亡、また見舞いに来た知人に病院の現状を訴えた別の患者が職員に殴られ死亡した。この事件は外部には知られていなかったが翌年に新聞で報じられ、国連人権委員会で取り上げられるなど、海外でも日本の人権問題がクローズアップされた。国会では従来の精神衛生法を改正、精神保健法(現・精神保健福祉法)が成立、精神障害者本人の意思にもとづく任意入院制度や開放病棟の創設などの処遇改善へと向かった、そのはずであった。
 しかし、症状が落ち着いているにもかかわらず入院を余儀なくされている、いわゆる「社会的入院」が多いままであった。開放病棟もつくられはしたが、半分近くは終日閉鎖病棟だった。
 宇都宮病院だけが特殊であったわけではなく、精神病院に対する日本政府の政策としては「ハンセン病問題」と同根の考え方、十九世紀から始まる隔離収容政策があった。
 ヨーロッパでもこうした隔離収容政策は存在した。だが、すでに図で示したように宇都宮病院事件が起きる前から入院患者数が激減し始めている。
 ではこの差はどこにあるのか。
 NHK『クローズアップ現代+』で証言した男性は、一九六八年、十六歳で上京したが職場での慣れない環境や人間関係のストレスから体調を崩し、妄想などの症状があらわれ統合失調症と診断され、都内の精神病院に入院した。二十二歳のときに福島の病院に転院して二〇一一年の東日本大震災で被災するまで、四十年間も隔離収容されていた。症状はほとんどない状態であるにもかかわらず、退院させてもらえなかった。これはほんの一例で、あたかも終身刑のような事例はしばしば耳にする。
 精神病院が増えていったのは患者に対する医師・看護師数の比率が低い特例基準があるため、また抗精神病薬などの開発が進み、患者が昂奮して暴れるなどということが少なくなり、病床数を増やせば増やすほど経営的に利益が出やすい構造が生まれたためである。
 精神科病院では自嘲的に「薄利多売」と評している。通常の一般医療なら月額入院費一〇〇万円のところ、精神科月額入院費は約四五万円と保険点数が低い。ベッド数を多くして稼ぐビジネスモデルである。
 厚労省は精神病院の長期入院を減らそうとはしてきた。二〇〇四年に「入院医療中心から地域生活中心へ」との理念が示されている。だが入院患者が微減に留まっているのは、受け皿がつくられていないからだ。

 精神病院の出口としてのグループホーム

「精神療養病棟に入院する患者の退院の見通し」(二〇一四年度診療報酬改定の結果検証に係る特別調査)によると、入院患者の半分が、在宅サービスの支援体制が整えば退院可能とされている。そうであるなら受け皿を用意しなければならない。欠けているのは出口戦略である。
 青森県八戸市などで精神病院を経営している精神科医師の千葉潜・元日本精神科病院協会常務理事はこう述べた。
「長期入院を好ましいとは思わない。退院できる人まで入院させている病院もあるのはチャレンジしないで何もしないままのほうが利益が出るからです。いまの精神科の診療報酬では社会復帰のための治療が仕事として認められないところに問題がある」
 千葉医師は、生活訓練施設や特定相談支援事業所などの福祉の分野を切り取り、財団にして病院に併設している。
 ヨーロッパの精神病院はどこも政治犯、薬物中毒、アル中など黒歴史を抱えている。したがって日本の精神病院は九割が私立だが、ヨーロッパの精神病院は治安施設としての公立病院がほとんどだった。隔離された宏大な敷地に何千床の単位で存在していた。
 イタリアではフランコ・バザーリアという改革派の人物が精神病院解体の音頭をとり運動を始めた。そして一九七八年、ついに精神病院が廃止された。ただし、その受け皿が必ずしもうまくいっているわけではないとの批判もある。隔離収容施設として有していた宏大な敷地を住宅販売などの不動産業とからめて売却すれば医療費を削減できる、との政府側の策略と計算もあったようだ。
 ヨーロッパで精神病院の患者数が激減できたのは、施設への収容から地域での医療・ケアへと転換してきたからだ。たとえばスウェーデンでは支援サービスの付いた住宅、ケア付きの「グループホーム」のような施設を受け皿にしている。そこにパーソナルオンブズマンと呼ばれる、つねに接触する、信頼関係を構築する、ニーズを把握する、支援計画を作成・実行・評価する精神障害者に特化したスタッフを配置している。
 ヨーロッパにおけるグループホーム化の流れは日本でも認知症グループホームをつくる際の参考にはされた。日本の認知症グループホームは二〇〇〇年の介護保険法施行と同時に始まっている。
 認知症の受け皿としてのグループホームはかなりのペースで増えているが、精神病院の出口としてのグループホームはまだ少ない。出口をしっかりさせれば、医療費削減のひとつの方向を見出すことができる。
 精神病院の長期入院患者を減らすことによる削減効果を考える前段の数字を整理しておこう。
 国民医療費四二兆円のうち歯科診療医療費や薬局調剤医療費を除く医科診療医療費は三〇兆円であり、その三〇兆円の約二兆円が精神医療にかかわる費用であり、さらにうち一・四兆円が精神科入院費用である。
 一人一日当たりの精神科入院費は一万四〇〇〇円強、年間五二二万円となる。
 これに対して精神病院からグループホームへ移行した場合の費用は一人当たり平均月額一〇万三〇〇〇円、グループホームに住んで就労支援施設へ通う場合の費用は一二万六〇〇〇円、これらの合計二二万九〇〇〇円となり、年間二七四万円。約半分だから、一・四兆円に対して理論的には七〇〇〇億円が削減できる勘定となる。
 いま精神病院の入院患者の出口戦略について主に医療費削減の観点から書いたが、問題はここからだ。
 日本全国に精神障害者は三九二万人、知的障害者一〇八万人を加えると五〇〇万人(約四四〇万人の身体障害者を加えると障害者数合計は九四〇万人)、この人たちがどう就労するのか、つまり生きがいをもって働き、どれだけ納税者の側に移行できるのか、である。
 ヨーロッパの場合は、基礎自治体がグループホームの支援の主体だが、日本では民間の側で、ビジネスチャンスとしての精神病患者の不要な長期入院からの地域移行・就労が動き始めている。厚労省や精神病院側に任せては一向に進まないのだから、市場の力を活用すればよい。
 しかも日本には豊富な住宅資源がある。少子高齢化と人口減少により全国で七軒に一軒、六〇〇〇万戸に対して八〇〇万戸以上の空き家があり、その空き家を有効活用すればよいのだ。


 暴力として現れる「孤独」

 イギリスの保守党メイ首相政権時代の二〇一八年に、孤独問題に対する省庁横断的業務を担当する孤独担当大臣のポストがつくられ、日本でも話題になった。メイ首相はこう述べた。
「多くの人びとにとって、孤独は現代の生活の悲しい現実です。その現実に立ち向かい、高齢者や介護者、愛する人を失った人びと、自分の考えや体験を話したり分かち合う相手のいない人の孤独に対して、行動を起こしていきたい」
「孤独」の国家損失は約五兆円と試算された。その試算の根拠はわかりにくいが、九〇〇万人の孤独状態の人がおり、孤独の慢性化でコミュニケーションができなくなると健康に害を及ぼすところまで追い込まれ、一日タバコ一五本分の喫煙と同等の損害額になるとの慈善委員会の提言にもとづいている。
 孤独担当大臣の助成金は、グループホームと直接に結びついているわけではないが、精神障害者や高齢者における孤独の問題は医療が解決するものではなく、仕組みをどうつくるかである。
 孤独は、都市のなかで不可視化されているが、カリタス学園バス停の死傷事件、元農林事務次官の息子刺殺事件、吹田市の交番襲撃事件のように突然、暴力として現れる。そして密集した都市の住宅街のなかに夜、電気の点いていない家が混じっている。空き家というかたちで孤独が触手を拡げている。
 東京の通勤圏、千葉県八千代市の住宅街に新しいスタイルのグループホームが始まりかけていた。
 わおん障害者グループホーム(株式会社ケアペッツ)は全国各地にフランチャイズで展開中だが、八千代市の住宅街の空き家七軒で精神障害者、知的障害者などそれぞれ三人から四人ずつ居住している。
 ふつうの一般家庭と変わらない木造二階建ての家の玄関を入ると、犬が一匹、尻尾を振りながら出迎える。どこにもある家の風景なのだ。玄関の脇に個室が一部屋、リビングとダイニングキッチン、風呂場、トイレ、これは共有スペース。階段を昇って二階に三部屋、ごくふつうの間取りだが、違いは個室はすべて鍵付きであること、つまりその点はアパートのように独立している。
 共有スペースのリビングに四人でいると孤独にはならないし、戻りたいときには各個室に鍵をかけて寝ればよい。男性棟と女性棟は別にしてある。
 こうした家が、住宅街のなかにバラバラに七軒ある。その七軒全体の二七人を管理しているサービス管理責任者が一人、生活支援員、世話人、夜間職員を含め七人がスタッフである。サービス管理者はそれぞれの財布の管理や書類の作成などを生活支援員に手伝ってもらったりしながらこなしており、生活支援員は入居者の必要なサポートをする。世話人は料理や掃除など身の回りの暮らしの支え、夜間職員はダブルワークの会社員や学生が担当している。
 生活支援員のつぎの言葉を聞いていて、少しスウェーデンに近づいていると思った。
「病院に行きたい、市役所に行きたいという要求があれば同行します。知的障害があると文章が読めなかったり、窓口でうまく説明できなかったりします。書類を書いてあげたりもします」
 入居者にはさまざまな障害者がいる。精神障害者、知的障害者、身体障害者、発達障害者。入居者の大半は一般企業の障害者雇用枠で就職している。
 たとえば宅配便の倉庫で仕分け作業で就労している知的障害者の男性、また夫のDVで右足の身体障害を抱えて、今度は二十歳になった発達障害の息子の暴力で精神障害者(PTSD)となった女性は、就労支援施設に通い地域新聞のポスティングなど軽作業の仕事をしている。
 費用の計算をしてみよう。
 このグループホーム入居の家賃三万七〇〇〇円、食費二万五〇〇〇円、日用品三〇〇〇円、光熱費一万三〇〇〇円、計七万八〇〇〇円。家賃補助が国庫から一万円、地方自治体から一万円が利用者に支払われ、自己負担は五万八〇〇〇円となる。
 しかし障害者年金六万五〇〇〇円、就労による収入が別途あるので生活費には余裕が生じる。
 グループホームは、利用者四人に対して職員一人の配置基準にしたがえば、七軒のホームに二七人がいる場合は、職員数は七人となる。
 グループホームに支給される事業費は二〇〇〇億円(「共同生活援助」サービス費)で、入居者二七人に対して一人一六万円給付されるので四三二万円、これがグループホームの運営費(人件費含む)である。人件費が月額二〇万円なら七人で一四〇万円、三〇万円なら二一〇万円、つまり他の支出を入れても高い利益率が確保できる。
 グループホームなら精神病院の入院患者の半分のコストで済む、とすでに書いた。だが退院がしっかりと社会への通路になっていないと、また舞い戻ってしまう。グループホームは孤独からの帰還のプロセスである。
 玄関に犬が出迎えた、と書いた。
 一軒に一匹の犬がいる。アニマルセラピーによる障害者の癒し効果がようやく証明されはじめた。このグループホームのリビングでは会話が得意でない精神障害者に対して犬がコミュニティの中心になっていた。
 我が国の人口一億二〇〇〇万人に対し、全国に犬が約一〇〇〇万頭、猫が約一〇〇〇万頭いる。過剰ではないか。殺処分、犬一・ 六万頭、猫六・ 七万頭という現実がある。
 わおん障害者グループホームでは殺処分される前の保護犬・保護猫を動物保護センターから引き取って、各ホームに供給している。
 日本の企業には障害者雇用枠が法律で定められている。法定雇用率が決められていて、民間は二・二パーセント、公務員が二・五パーセントの障害者を雇わなければならない。ところが昨年八月に、政府も地方自治体もこれを守っていないことが発覚した。民間企業への義務を指導しなければいけない官庁が守っていないのだから話にならない。
 精神病院からグループホーム、そして就労、そういう流れをつくることが社会を健全にするはずだ。
 首都圏や大都市圏の郊外には、かつての高度経済成長の時代に造られた庭付き一戸建ての住宅が余っている。八千代市のグループホームはかつてサラリーマンが夢見た小奇麗なマイホームだった。いま空き家は売れない。売れても安く買いたたかれる。そのままだと固定資産税の負担が残る。家賃一二万円ほどもらえれば家主は喜んで貸したい心境になる。
 医療費削減だけでなく、障害者も健常者も共存できるノーマライゼーションの社会、就労促進、空き家対策、ペット殺処分対策とあわせて、課題先進国・日本の処方箋のひとつがここにある。一石二鳥どころか三鳥、四鳥は、市場の力を借りて成し遂げていけばよい。

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