シェイクスピアの喜劇『尺には尺を』の観劇、そしてSNSでデマを流す低級な人びと。

 新国立劇場でシェイクスピアの喜劇『尺には尺を』を観ました。
 すると僕の観劇態度が悪いとSNSでデマを流す人たちが現れました。そのデマを流した人物はその日、その場に居合わせたわけではないのに,僕がお菓子をポリポリ食べていたとか、足を投げ出していたとか、事実無根の悪口雑言で罵っているのでした。またラサール石井という何をやっているのかわからないがとりあえず名前だけは知っている男が、この悪口雑言に乗じて、やからみたいな服装で歩き回っていた、とわけのわからない悪口を書いている。僕は妻といっしょにお洒落をして行きましたので服装についてラサールナントカの趣味に合わなくとも文句を言われる筋合いはありません。
 そこでSNSで伝聞だけでデマを流した人物を調べると演劇業界の人でした。なぜ彼は僕の悪口を書きたくなったのでしょうか。心当たりがあるとしたら、僕がスタンディングオベーションをしなかったと聞いてそれが気に食わなかったのかもしれません。
 あの日、芝居が終わるとほぼ全員が立ち上がりスタンディングオベーションでした。僕と妻と友人の3人のところだけが凹んで見えて目立ったのかもしれません。僕は演出も役者もよく頑張っていたと思うのできちんと拍手をした。ところが全員が立ち上がるので違和感を感じてあえて着席したままでいた。なぜなら周囲を見渡しながらそろそろと立ち上がるからです。あたかも同調圧力のような空気でした。
 まあそういうわけです。くだらない話です。しかし観劇態度が悪いという伝聞が1人歩きしてしまうネットの怖さを感じると同時に、それをさらに拡散させる週刊誌,さらにネットでまた拡散、こういう悪意のサイクルは何も生み出しません。

 せっかくここまでお読みなっていただいた読者に、ではこのシェイクスピアの作品についての僕の考え方を披歴することにします。

 大河ドラマ「どうする家康」は終盤に差し掛かりいよいよ天下分け目の関ヶ原の戦い、つまり1600年にさしかかりました。そこで突然、年表をロンドンに置き換えるとシェイクスピアは30歳代半ばで劇作家として頭角を現して始めた時期にあたる。
 シェイクスピアの20 代はいったい何をしていたのか不明で、ロンドンへと上京したのは1592年、30歳近くになってからのようだ。

 『エリザベス朝のグロテスクーーシェイクスピア劇の土壌』(ニール・ローズ著)によると
「十六世紀の教育の普及によって、金や人脈はないが表現力の豊かな若者が、世紀の終わりごろには過剰なほど出現した。そのなかにはロンドンっ子もいたけれども、クリストファー・マーロウ やナッシュ、シェイクスピアのように、ジャーナリズムや劇場で生計を立てようとして首都に移住した者もあった。こうした状況のもとで、イギリスにおける職業作家の最初の世代がつくられたのだ。ここまではよく知られたことだが、当時はほかの点でも、文化的過渡期にあたっていた。若くて無一文のインテリと、田舎の紳士階級の放蕩息子が同時に首都へ流入したので、都市の生き生きとした感覚が文学の新しい主題になったのである」

 まさにこうした活気によってイギリス・ルネサンス期には作家たちの卓越した人間観察眼と内面の心理描写が生まれた。時代こそ違えるが拙著『マガジン青春譜 川端康成と大宅壮一』や『ピカレスク 太宰治伝』で描いた大正・昭和前期の作家群像の誕生の時期にあたるともいえる。

 シェイクスピアの喜劇『尺には尺を』のあらすじです。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BA%E3%81%AB%E3%81%AF%E5%B0%BA%E3%82%92
 ここで言う尺とは長さの1尺(30センチ)や2尺(60センチ)など、物差し・基準のこと。戦前のメートル法以前の尺貫法時代の日本語訳なのでいまの人にはわかりにくいかもしれない。
『マタイ福音書』7-2に「あなたが人を裁く同じ方法であなたは裁かれ、あなたが使う尺(measure)であなたは計られる(be measured)だろう」による。

 この作品は一般にはシェクスビアの喜劇作品とされているが、先に紹介したルネサンスの人間臭のカオスのなかに開花した猥雑な毒があり「罪によって出世する者があれば、善によって転落する者もある」という逆説を込めており、我われがふつうに理解しているコメディではない。
 今回のお芝居はちょっと正しく翻訳劇的過ぎて上品になり、グロテスクな面では物足りなさを感じるところがありました。唐十郎の赤テントのような猥雑な叙情のようなものが欲しかったと思う。ウィーンの公爵とその代理を、いっそ江戸時代の大名と家老にして欲が深くて小心者だが放埒な江戸っ子を登場させるぐらいに置き換えてもよかったのかもしれない。

 僕の悪口をネットに書いたりする前に、あるべきは業界の仲間褒めではない真っ当なシェイクスピア劇論を書いてネット空間を実り豊かにすることではありませんか?

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