否定からは何も生まれない。大阪万博批判の思想こそ「失われた30年」の元凶なのだ。

 大阪万博に否定的な言説を振りまくのが知識人の資格だと勘違いしている、そういうムード的な意見がネットで散見される。少し調べればわかることなのに何も調べずに騒いでいるようだ。
 曰く、大阪万博のおかげで能登復興が遅れてしまう。
 ファクトベースで考えればそれは言いがかりに過ぎない。
 日本全国の建築工事発注は年間70兆円である。能登の復興は2.6兆円と見積もられている。万博の会場建設費は2350億円、民間パビリオン等の建設は1024億円、合計3500億円に過ぎず、能登復興を遅らせているという理由にはまったくならない。
 なお万博の運営費は万博協会が1360億円(チケット代1160億円+警備費費200億円)、民間や各国の運営費は2080億円。これら約7000億円の投資に対し、経済効果は3兆円と見積もられている。

 何もしなければ批判されない。しかし何か企画すれば批判され脚を引っ張られる。これが失われた30年にに日本を支配した空気である。したがって企業は新製品を開発せず、投資をしない。ひたすらコストを削減して内部留保を溜め込む。後ろ向きの世界ができあがってしまった。
 万博に話を戻そう。
 何もやっていることがすべて素晴らしいと言っているわけではない。何もしないよりは、何かしなければいけないのだ。世界は動いている。だから「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」(「不思議の国のアリス」)のだ。 

 写真、「シグネチャーパビリオン」は8人のプロデューサーがそれぞれ個性を発揮して無から有を生み出そうとしている。メディアアーティストの落合陽一、アンドロイドの石黒浩……、おもしろそうではないか!
 何も国家だけがやるのではない。この8人に与えられた予算は各7億円でしかない。しかし、この一つ一つのパビリオンだけで20 億や30億はかかる。その費用、落合陽一にしろ石黒浩にしろ、民間資金を自分で集めて建設するのだ。
 高さ20 メートルの世界最大の木造建築である大屋根リングのほうばかり気を取られているが、万博というのは世界150カ国が参加する寄せ集めのごった煮の先端技術を披露する場所でピンからキリまである。祝祭空間とはそういうもので、始まる前に文句ばかり垂れていてもそういう連中こそケロッと忘れ、どうせ始まればみな野次馬と化す。
 2005年の愛知万博(冷凍マンモスがあったねえ,笑)は2200万人だったが大阪万博は2800万人が予想されている。インバウンドの時代なのでたぶんそれを上回るに違いない。
 繰り返すが、全部がよいと言っているわけではない。しかし始めなければ何も生まれない。ゴミがないとは言わない、ゴミがなければ玉も見つけられないのだ。

https://www.expo2025.or.jp/

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