祝日

「ねぇ、空がこんなにも青すぎると死にたくならない? 」
 そう言おうと思ったけれど、言ってはいけない気がして言えなかった。
 でもどうしてもこのことばが頭から離れない。困った。

 「ねぇ、今日の空青すぎない? 」
 倫子は言った。幼い子どもがお母さんに、何に対しても「これなぁに?」と訊くのと同じような感じで。
 私はついに、言ってしまった! と思ったが、言ってはいけないことは言っていないよな、と自分の発したことばを頭の中で唱えながら何度も確認した。心臓の鼓動が速くなっているのが分かって、焦っている自分を何とか大丈夫だよと落ち着かせることで精一杯だった。
 「そうだね。」
 未歩は答えた。未歩が答えるまでの沈黙がとても長く感じられ、怖かった。でも、予想していた反応とは全く異なり、未歩は普段している会話と同じように答えたので、私は安心と同時に変な気持ちにもなった。風に揺れる木々の緑と、雲ひとつなく強い青色をした空は、コントラストがあまりにもはっきりとしていた。まるでにせものみたいだった。二人はその景色をぼんやりと眺めながら歩いていた。ある暑い夏の日の下校中のこと。
 「確かに。青すぎるね。なんか、外国みたい。外国行ったことないけど。こんなに空が青いと死にたくなっちゃうね。」と未歩はいつものゆったりとした話し方で続けた。
 「え? 」
 私は驚きすぎて声に出してしまった。その姿を見て未歩は「冗談だよ。」と、ふふふと微笑み、私の腕を押してきた。私は上手く笑い返せず、顔が引きつってしまった。目の前の景色の緑と青とが、ぐにゃぐにゃに歪んだように見え、一瞬くらっとしてしまった。周りには他の同級生らがわいわいと騒ぎながら歩いているというのに、二人の周りにだけ時が止まったかのような沈黙のベールが、私たちを包んだ。
 
 「実は私もそれ思ってた。でも、死にたくなるなんて、言ってはいけないじゃない? 」倫子は、おそるおそる口を開いた。
 「そうかなぁ? でも、今私たちが思ったように、本当にこの空の青さにやられて死んでしまった人もいるよ、たぶん。この世に一人くらいは。」未歩は答えた。
 「確かに。でもさ、どうして空が青いだけで、死にたくなるんだろ。どっちかっていうと、天気がいいんだったら、幸せな気分になりそうだけど。」倫子はずっと遠くの山の方に目をやりながら、ぼうっとしたような顔で言った。二人は空を見上げながら歩いていた。歩幅は小さくなり、歩くスピードも遅くなった。
 「もしかしたらだけど、人はこの世界が美しすぎるって感じた時、その美しさと一緒に終わりたいって思うんじゃないかしら。」未歩は首を傾げ、考えながらゆっくりと話した。
 「そんな人、本当にいるかなあ。もしいたとして、その人の人生は幸せだったのかな。なんか、地獄へ連れてかれそう。自殺ってどんな理由があってもいけないことだと思う。」

 「そんなこと無いと思うよ。きっと、死ねるくらい美しい景色を見てね、本当に死んでしまった人って、きっとものすごく優しい人だと思うし。」
 「どうして? 」
 「何となく。」
 「私たちは、どうかな。死にたい? いや、死ねる? 」
 「本当に死ねるかって考えると、全然勇気がないわ、私。」
 「だよね。私もそう思った。さっきまで死にたいって本当に思ってたんだけどな。あの気持ちは本当じゃなかったのかな。」
 「そんなことないよ。私も本当に思ってたし。ただ、私たち救われたのかも。」
 「救われた? 何に? 」
 「うん。」
 「何となく今日のこの空の色、覚えておかなきゃいけない気がする。」
 「私も。」
 「わー、写真じゃ全然伝わらないな、これは。」
 「じゃあ、暗くなるまでそこでじっくり見てようよ。もう目に焼き付けるしかないよ。」
 「うん。そうだね。明日、祝日だし。星が見えるまで居よう。」

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