タワシが旅に出た理由【ver.2024.09】


今回は、原点のお話。僕が「楽しさ」にこだわるようになったきっかけ、のお話です。


僕は、29歳から2年間、ワーキングホリデーでオーストラリアに。そこから、東南アジア・インドへと合計3年。海外を旅しておさんぽしてきました。


そのきっかけになったのが、28歳での初海外でのタイ1ヶ月ひとり旅。


今回は、その旅に出る前からの流れを含めて、タイでの旅で見た風景、をすこし書いてみます。


「夜明け前は1番暗い」って言う言葉もありますよね、そんな夜明け前の時代からのお話です。


忘れっぽいのに加えて、昔の話ということもあり、またまた抽象的な部分が多くなってますが


よろしければ、読んでやってくださいませ〜^^


でわでわ〜^^


***


社会にでることが怖くて


さまざまな要因が絡んでか、わからないのですが、大学(普通レベル。中の中くらい)卒業を控えた4年時に、もうすぐ卒業のタイミングで、社会に出ることが怖くなり、資格試験の勉強をすることにしました。


それまで、何となく、まあまあ普通に生きてこられた(と思っていた)ので、あまり考えないうちに、気づいたら、いつのまにか、そんなタイミングになってました。


それまで、それほど必死に、他の道、先を探していたかと言われると、そうも言えず、なんというか生物・動物ってほんと追い詰められないと脳が働かないのか(なんのこっちゃ。笑) 


ひとまず、何社か面接を受けてみてみました。そこそこというか、かなり大企業の面接で最終面接まで進めてた企業もあったのですが、でもやっぱりピンとこなくて、最終面接その手前で準備をやめてしまった記憶もあります(入って考えてもいいのにね、入れたかわかりませんが。苦笑)


そこでやっとお尻に火がついて(もう毛もふくめてボーボー燃えてましたが。笑)卒業間近のいよいよというタイミングで、初めて社会にでることをイメージしはじめて


そこで初めて真剣に、あくまでも、当時の自分の限られた範囲だったのですが、周囲を見渡したときに、自分の性格も考慮したうえでの、身近で直接関わりのあった人たちの中で、「こんな感じの大人になっていきたい!」という、あこがれもモデルもうまく見つけられなかった、


ちゃんと探せてないのでしょうが、そんなことも理由だったようにも思えます。社会に進んで、自分が生きていくビジョンがまったく見えてないことに気づきました。



そこで「両親の需要」「現代日本社会からの認知」両方を考えつつ、それに加えて「自分の性格・傾向」を総合して考えて出した答え、、、


それが「資格勉強」


これしかないように思える、、、


そこで、ひとまず資格試験の勉強をすることにしました。


思えば思いっきり逃亡でしょうが、当時の自分なりにはそれなりに精一杯の選択だったように思います。


当時(26年前)は、今のような情報量でもなく、それまでの人生で知れていることがかなり少なかった僕にとっては、視野も狭く、社会経験もなく、ほんとに半径5メートルくらいの周囲の人がされてる仕事程度しかイメージが、なく、思い浮かぶ生き方の選択肢のアイデアが限りなく少なかったように思えるからです。


ずいぶんのんびりしてたもので、もっと準備しておけば良かったとは思ったのですが、先に準備できるタイプではなく、スイッチが入るのが遅いタイプですね(実際に、旅のスタイルも、ガイドブック持たないノープラン派で、進みながら対応する派でした。旅にでるようになって、そんな自分の性癖を知りました。旅のスタイルと生き方のスタイルはリンクしているような。苦笑&笑)


「ひとまず社会に出て考えろよ!」「自分に甘いよ」などなど、言われれば、そのとおりなことだらけでしょう(トホホ)


ただ、申し訳ないですが、可愛げもないかもしれん、でもこれは少しだけ,
自分のための範囲で言わせていただきたくて、すいません、


言い訳上手なタワシとしては、タワシ自身の、当時の、自分の選択を、責める気にも、非難する気も、足りないと言う気も「もっとできたんじゃないか?」と言う気も、申し訳ないですが、あまりありません。


100%やっていたかと言われると、完璧にできてたかはわかりませんが、他の方からどう言われようが、外の人からどう映ろうが、その時の自分なりには、それほど手を抜いていた記憶もないからです。


それに、イヤな予感で、もしかしたらうっすら「タワシの性格からすると、このまま進むと長くは、もたないかもなー、こりゃー、このまま進むと、なんだかずいぶん危ない気がするな〜」と感じたこともあったのでは?と思ってもいます。


・・・


そんなふうな流れで、ひとまず、大学卒業から22歳で資格取得を目指すことにしたタワシは、1年に1度しかない受験に向けて勉強を開始しました。


ありがたいことに、大学時代から続けていたコールセンターのバイトが、長く勤めていたこともあってか、試験前に3ヶ月まとまった休みをとらせてもらえ、試験が終わったらまた戻らせてもらえることになりました。


今では考えられない気がしますが、そういった点ではいい時代でした(どんな時代、状況もメリット・デメリットがあるものですよね)


そうしして試験前以外の期間は、夜勤をやったりしつつ、試験前に猛ダッシュなスタイルの生活が始まりました。


ただ、本当のところの、そもそもの勉強の動機は、
「資格を取ると見栄えがいい」
「独立すれば色々言われなくてすみそう」
「他の人たちがサラリーマンでいくなら、別の角度でいこう」などで


選んだ資格も、親戚のおじさんがされていた職業で、現場の業務内容を詳しく知っていたわけでもなく、時間をかけて計画を準備をしてきたワケでもなく


ひとまずこれなら周囲からもっとも色々言われなくてすむ、というチョイスで始めた勉強でした。


地頭もそんなによくない、勉強はお金もかかり、お金がなかったため、それほど、変なプライドは高く独学で、勉強仲間もいない、性格もあるのでしょうが、割と、だいぶ孤独でした。


でも、いちおう自分で選んだし、望んだ方向だし、といつも自分に言い聞かせるようにしてました。


・・・


そのように勉強をスタートさせて、最初の1〜2年。


最初は変な自信があって(苦笑)「すぐ受かるんじゃないかな」と思っていたのですが、実は、ときどき「ん?」とクエスチョンが入り始めました、ぶっちゃけると。


問題の内容が、まったくアタマに入らないんです。まったくイメージどおりにアタマが吸収してくれない、ぜんぜん残ってないんです。


ほんとに、というか、不思議な感覚なんですが、問題文が遠い世界のことのようで、まるで自分のことでないかのような感覚で、自分が一番ビックリしてました。


今思えば、まったく興味がわかず、これをやっても、次につながる何かをまったくイメージできず、ただ時間の無駄にしか思えないような感覚が9割くらい、常につきまとっていて


当時は、ぼんやりとしか思ってませんでした。意識しないようにしてたけどたぶん本当のことを知るのが怖かったのだと思います。


しかし、別に、誰に言えるはずもない、そんなことは自分の勝手、自己責任の範囲だし。


当然、年1回の試験はうまくいきませんでした。


自分の中で、すこしずつ、大きく、何かが揺らぎ始めました。


・・・


3〜4年過ぎて、25歳、26歳くらい。


当時はまだ、お酒のんでいて、しかも、量もすごくいっぱい飲んでました。し、どんどん量も増えてました。夜勤を終えて、そのままバイトの友人たちの家に飲みに行ったりしてて、昼夜逆転の生活だったため、なかなかタイヘンでした。


で、なんとか、かんとか、集中できないままに、常に中途半端な感覚のまま試験前の休みに入り、ダッシュを始めて、みたいにしてましたが、、当然、うまくはいきません。


そんな25歳くらいからだと思うのですが、とにかく机に座ると手が震えたり、変に脂汗が出てきたり、集中しようとすればするほど、変に焦りが出てきて、全然、文字を読もうとしてもまったくアタマに文字が入ってこない


椅子に座ってられなくなって、すぐに立ち上がってしまったり、そうするとまた「どうして座ってられないんだ、やばいじゃないか」とか、自分でいつのまにか声を出してしまっていたりして、自分を追い詰めるようになっちゃったりして


もう勉強する以前の問題になったり(笑)


アタマの中がぐるぐる回ってくるから、部屋の中をぐるぐる回ると、ちょうど同じようなスピードで、ぐるぐる一緒に回ると、まあ、なんとなくちょっと落ち着いてくれて


「よし」と机に座るけど、10分ももたない(苦笑)


すぐまた椅子から立ち上がりたくなったり、椅子に座るまでに、何時間もかかったり


(でも、まあ、みなさん、多かれ少なかれ、職場だったりで、似た経験は、もっとひどい経験されている方も、沢山いらっしゃるとは思いますが)


(ただ、感覚としては、意識しないようにしてただけで、ずっとこういう世界には、小さい時から居てたように思ってて、ある意味、普通というか、このタイミングで、ちゃんと現象化して出てきてくれた、んじゃないかなーと思ってて、だから、自分がそんなにおかしい状態とは思えておらず、気づくのも遅かったんだと思います)


そのような、ぐるぐる、脂汗状態が、試験が近づくにつれ、ひどくなってきて、まったく手もつかず、あくまで自分なりで、自分の範囲なのでしょうが、ちょっとタイヘンでしたw


・・・


そうして5、6年目あたりからは、


たまに友人のサラリーマンの人たちにあったりすると「サラリーマンはタイヘンよ!」「タイヘン、タイヘン」とか言いつつそれでも思いっきりグチったり、まあ、美味しそうにというかグビビっと ビールのんだり、なんだかんだ言いつつ全開で人生に臨んでいる感じ(もちろん、ほんとタイヘンだったとは思いますが)


でも、それに引き換え自分は、全力でエネルギー全開で人生に向き合える、そんな20代半ばの貴重な期間にすごくエネルギーを無駄にしてるような、1ミリも前に進めてないような沼に飲み込まれてしまい動けないような、そんなドロ沼な感覚が深く、


なんだか試験に受かる気もまったくしないのですが、引くに引けない、どうすればいいかわからない、


でも「自分で違う道を選んだんだし」や「もう数年、貴重な時間をかけているから今さら、やめられない」や、


年々、やればやるほど抜けられなくなる恐怖を覚えたり(損切り、割り切り、みたいなこともできなくて)


焦りと、恐怖と、抜けられない様な、そんな時間でした。


そのようにして、トータル6年ほど、もはや、まあ、ほんとに当時の記憶があんまりないんです、忘れっぽくてよかったなと思いますw


・・・


そんな6年を過ごし、気づけば28歳。6回目のテストを受け、テストを7月に受け終えて、結果が出る10月までを待つことになりました。でも、もう自分の中でははっきり分かっていて「やっぱ今年もあかんかったな」と絶望的な気持ちの確信の中にいました。


そして、そこで、本当に何かが弾けたんだと思います。


おそらく自分の限界は、とっくの昔に、すでに越えてたんだと思います。


そうした試験後の1ヶ月後、28歳の8月のこと、


ほんと、これは、あくまで僕の中での感覚のお話で、なのですが


あくまでボクの中で、ほんと、ほんと不思議なんですが、ある日、突然、突然、、タイにいた、んです(笑)


いや、もちろん、パスポートとってチケットとってしてるんで、ちゃんとアレコレしてるんです


でも、経過がまるっと抜けていて、ほんっと、自分の中では、ほんと、
ある日突然、


タイのカオサンロードをお散歩してた(笑)


「あれ?ここどこ?」みたいに、、、そんな感覚でした。


ほんっと、不思議w


不思議な感覚です。


いつのまにか、その時、僕はタイにいて


高校生の頃、本を読んで「へぇ〜、こんな世界もあるんだ」と知った


「世界中の旅人、ヒッピーが集う通り」と書かれていた


タイのカオサンロード




そこを、歩いていたんです。



「本当にあったんだ」と
胸ふるわせながら、、、



この世に本当に存在していたカオサンロード、



そう、イメージよりはだいぶ小さな、


でもイメージより、もっともっと太陽があふれてて、にぎやかで活気がはじけていた、そんな、カオサンロード


そんなタイのバンコクのカオサンロードを、いつのまにかおさんぽしてました。


、、、



僕は、何日も何日もあきずに毎日、おんなじ通りを、繰り返し繰り返し、歩きました。


道にずらっと屋台が並んでる通り、


その毎日が、お祭りのような、


そんな中を、おさんぽして歩きました。


バス停のそばを通ると、世界中からバックパックを背負った旅人たちが、バス停から降りてきて、また別の場所に向かうためにバスに乗ってました。


屋台では元気な喧騒、賑わいで、バックパックを背負った旅人たちが、地元の屋台のおじさん、おばさんに楽しそうに語らいながらパッタイ(焼きそば)を頼んで食べてました。


何度見ても飽きませんでした。



そしたら不思議なんですけど、おさんぽしてる間、ときどき


タイの日差しが眩しく輝いているから、ということも、もちろんあったんでしょうが


なんというか、すべて、すべてが、一瞬一瞬の風景が


いつもほんっとうにキラキラ、キラキラ輝いてみえたのです。


空気中の水滴の一粒一粒すべてにヒカリが反射して見えるような、


ほんとは、そんな表現では収まらない、その何千倍も何万倍も、


ほんと世界の、世界中のすべてがキラキラ、キラキラ輝いてみえたのです。


ずーっと、そんなキラキラした中をおさんぽしてたんです。


自分でビックリしました。


キラキラ、キラキラみえちゃうんです。


もしかしたら、ときどきこそっと、涙が垂れていたから、そんな理由もあったのかもしれません。


素敵な風景に、微笑みがこぼれちゃうようになりながら、でもちょっと目のふちに流れてきちゃう涙を、そっとぬぐっちゃった時も、たぶん、1回2回どころじゃなかったと思います、


、、、


そのとき、僕の中では、こんな言葉がずっと流れていたんです。



「世界がこんなにもキラキラ輝いて見えるなんて!!」
「世界が、こんなにも、素晴らしい、ステキなモノだったなんて!!」
「世界・人生が、こんなにも、素晴らしくて、ステキで、キラキラ輝いているモノだったなんて!!」


歩きながら、何度も何度も、生きてるってことに感動させられっぱなしになり、


本当に、僕の中で、何度も何度も、ずっとずっと、こんな響きが、繰り返し、流れ続けていきました。


どこから聞こえてくる声かはわからない、


でも、でも


ずっとずーっと、こんな叫び、響きが、


僕の、内側に、ずっとずっと流れてた、


そんな、とっても不思議な感覚、


そんな中を、ずっと毎日おさんぽしてました。


・・・


そんな感覚、そんな中に、ずーっと包まれながら、タイで過ごした1ヶ月。それはずーっと楽しいだけの時間でした。


カオサン通りでは、ゲストハウスが一緒になった日本人さん・外人さんチームで、外のテービルで、日差しを浴びながら、小さなおもちゃのバケツにミックスされたバーボンコークを飲んだり、


カンチャナブリでは水上コテージに泊まってみたり、


北部のチェンマイに移動した際は2泊3日の山岳少数民族のトレッキングツアーに、日本人たった一人、他は外人さん10人で参加しました。そこで象さんの背中にのったり、本物のイカダでラオスの川を下ったり


そんなふうにあっというまに過ぎていったタイの1ヶ月。


それはそれは本当にずっと夢の中にいたようでした。


そうして過ごしている中で、あるとき、僕は、他の旅人からの情報でオーストラリアのワーキングホリデーVISAについて、25歳の年齢上限が、30歳までに変わっていることを教えてもらいました(旅人の人たちは、いろんなオモシロいことをいっぱい知ってました)


ちょうどギリギリ間に合いそう!


僕は喜んで答えました。


「そりゃー、行っとけってサイン、ってことですね!」


そこで、その日、宿に戻って、僕は神さまに、初めて、声をあげました。


「かみさま! あくまで自分の中でですが、僕は、人生の20代の、すごく大事な時期に、貴重な6年を費やしてしまったように思います! だから、どうか! せめて!どうか、半分、半分! どうか半分の時間を、ボクにください!」


何度も何度も、繰り返し、言ってみました。


そうして、その10ヶ月後、岐阜県の住込みのパソコン修理工場の仕事で、旅の資金を稼ぎ、29歳を過ぎてた僕は、無事オーストラリアに旅立ち、そこから3年間の旅がスタートすることに、なりました。


夢と宝物の続き、大冒険が、また始まったのです。。。



(そして、旅をへることで、僕的にはですが、それまでぼんやりとしか考えてなかった、ただただ普通だと思ってた、日本のよいとこも、そうじゃないんじゃないかなってとこも、旅にでる前よりも自然に何倍も見えるようになりました。結果、何倍も深く考えれるようになったと思います、それに加えて、現代日本社会のシステムの抱える歪みやひずみも、目につくようになったように思います、、苦笑&笑。


もちろん僕にとっては旅がきっかけでしたが、別のことがきっかけになる人もいると思いますし、すべての人にとって、旅が必要か、こういう生き方が必要か、そういうことが必要はわかりません。必要のない方もいらっしゃると思います。でもすくなくとも、僕にとっては、旅をして、こうしてたくさんのことを得ることができて、とっても良かったです)


・・・


そう、伝え忘れていたことがあります。そんなふうに、カオサンロードをおさんぽしていた際中、世界のキラキラについて学べた、それと、同時に、もう一つ、やっとわかった、分かれたことがあったんです。


同時に、自分の内側の奥底から、わき上がってきたというか、降りてきたというか、


いや、本当はわかっていた、けど、わからないようにしていたこと。



それは「僕がなぜ試験に受からなかったか」その本当の理由。



それは、、、


やっぱり自分が楽しく思えてなかったから。興味が持ててないことだったから。条件で選んだものだったから。自分の心から望むものでなく、自分を誤魔化し行っていたことだったから。だったんだって。


「あぁ、ボクは、本当に、あの勉強をやってて、全然楽しくなかったんだな」
「あぁ、ボクは、本当に、あの勉強に、まったく興味を持てなかったんだな、だから上手くできなかったんだな」


本当は、うっすら、思って、わかっていた、だけど、必死な当時は、どうしても怖くて思いきれなかったこと。


その時に、初めて、やっと、そう、心からそう思うことができたんです。直視できて、体の奥の芯から理解できたんです。


その瞬間、おおきな荷物を肩から降ろすように、ほんとに楽になれました。


長い長い間の、重い重い、荷物でした、、、


・・・


そうして、その時に、同時に、心から、こうも思ったんです


「やっぱり〜、人って、自分が楽しいと思えることをやんなきゃダメなんだな」って。


ジーンと、もう、“思った“を超えるレベルで、細胞に、響いた??(笑)


、、、



ほんっっと、書いちゃうと、笑っちゃうくらい、簡単で当たり前なことなんですけどね(笑) 



そうして、それが、心から分かれた瞬間、もうヒトツ、ズドンと分かれたことがありました。


全てをへて、荷物を下ろせて、だからこそだと思うのですが、そのスペースに、同じレベルで、ズドンと分かれたこと。


これは、もう、アタマでわかったというか、カラダに刻み込まれた、根底に、どっしりある感覚になってくれ、その後の僕のすべてにおいて、指針のたんですが


それが


「人って、しんどい思いをした分は、すべて、、かならずかならず、最低でも、それと同等、もしくは、それを越えるくらいの、すばらしいもの、ステキなものが、必ず必ず、もたらさられてくれるようになる、きっとおとずれてくれるようになる!」


そういう感覚、です。


これが、この感覚が、6年間、いや、それまでの28年、いや、もしかしたら、そのずっと前からの暗闇を経て、もたらされたもの。それをへることで同時に僕が得られた、確信。いや、確信を越えた感覚というか、これも、コトバで説明ができにくいレベルの感覚的な、感覚、でした(笑)


それを人に思いっきり言えるようになれた、それはとても良かったと思います。


***


以上が、僕が初めて旅に出た時の、夜明け前からのお話、


そして、これが僕が「楽しいことが大切」と言っている原点。


「楽しいことが大切」と言ってる理由の大きな大きな一つです。


そう、そこから楽しいことを大切に過ごしていく中で、自分が楽しく過ごしていくことが、自分らしさと、つながる、つながっていく、ことなんだ、


楽しく過ごすことと自分らしさ、それはイコールなんだ、と思えるようになりました。


ただもちろん、僕も、まだまだ足りないことも多く、その後の人生もすべてが順風満帆というわけではありませんでした。たくさんの谷あり谷あり谷あり、ちょっと山あり、くらいカモしれない、まだまだ道の途中で、現在進行形、です。


そんな僕の人生は、傍目や、現代社会的にか、から見れば、ずいぶんうまくいってないように映るかもしれません。まだまだ周囲に迷惑をかけているところも多く、そこを申し訳なくも思います。


でも、色々ありながらも、自分的には、やっぱりそれでも、トータル的には、この道、この生き方の方で、良かったのではないか、と思えてます。


すくなくとも僕の場合、楽しい=自分らしさを追い求めていく、そんな生き方をしてなかったら、結局のところ長い目で見たら、違う角度で迷惑をかけることになっていたカモしれないし、もっと迷惑をかけることになっていたカモしれない、そんな恐れもあったのでは?と思うこともなんとなくあったりするからです。


それに僕が、昔から大きくなんとなく一つ思っていることも、もう1つの理由として、あります。


「僕が死ぬとき、そして神さまにあったとき」のことです。


僕が、いつの頃からか昔から大きくなんとなく一つ思うようになったことがありまして、それは「最後の審判」ってわけではないんですが、人は死んだときに、神さまに会って、たった一つだけ、質問されるんではないか? と確信のように思っているんです。


そのシーンでは、神さまから1つだけ、こう尋ねてくると思うんです


「今生、おつかれさまだったね。1つ質問していいかい? もし君に、もう1度、次に生まれかわるチャンスがあったとして、うっかり、まったく同じ人生を歩むようになっらだ、けど、そのときは、どうだい? もう1回、同じ自分として生まれ変わりたいと思うかい?」と。


そのとき、今の僕だったら、こう答えられると思っているんです


「たしかに、僕の人生、色々、ありました! たいへんなことも多かったし、必ずしもすべてが順風満帆とは言えなかったかもしれません。でも、でも、もしそんなチャンスが訪れるとしたら、僕は、もう1度、もう1度、同じ自分で生まれ変わりたいです!」


そう、大きな声でお願いできると思うんです。


いま神さまの前に立たされても、こう、胸を張って言える、そう思っているんです。


それって、とってもハッピーなことなんじゃないかな、と思うんです。


そんなことを、ときどき思ったりするんです。


だから、そんなこともあって僕は「楽しいこと」を求めていこうと言ってます。


現状いろいろあれば、なかなかムツカしくて、タイヘンかもしれない。でも、すくなくとも中心には、楽しいことを置いて、楽しい方向を見据えて、楽しい方向に向かって、歩んでいったほうがよいのでは?と言ってます。


けれども、誤解しないで欲しいのですが、現時点、僕は「楽しい=簡単なこと」とは思ってません。


いえ、そもそも本来は「楽しい=簡単なこと」です。


本質的には、そうです。


でも現時点では「楽しい=簡単なこと」とはまだまだ言えないモノ・状況、なのカモしれない、ということです。


その原因が、時代の流れが社会の流れかはわかりません。でも、それぞれの各個人で、「楽しい=簡単なこと→それで全体がハッピーに暮らしていく」までには、まだいたってない、まだ、できにくい、そうはなれてない、もうちょっと先には必ずできるようになるはずだけど、と思うんです。


僕は、最終的なゴールは、それぞれの人が、それぞれで楽しい(=自分らしさ)を追い求めていき、その能力を自然に発揮し合うようになることで、全体が活かし合いになり、それぞれが楽しく過ごしていくだけで、全体でハッピーに暮らしていけるようになる、それがゴール、それがクリアなんじゃないかな、と、うっすら思ってます。


だから、そんなふうに、いつかみんなが「楽しいこと=自分にとって簡単なこと=みながハッピーになっていくこと」で全体が暮らせ、回っていく。もうちょっとで、そうなっていくんじゃないかなと思ってます。


ただ、時代の流れが社会の流れかはわかりません。でも、まだ、できにくい、まだ追いつけていない、もうちょっと先、のように思えるんです。


だから、それまでの間、もうすこし、もうすこし、だけど、今はまだ、惜しいことに、それを目指している過程。


そんな現在の過程の段階では、たしかに楽しいことだけで過ごせるかはわからない。歪み、ひずみの名残や影響が少し残っているようにも思えるからです。もうすこしなでしょうが。


ですから、もしかしたら、すでに楽しいことを中心にされている方の中でも100%それだけではいられず、20%くらいか歪みを背負ってしまっている状態から、抜けきれてないかもしれません。


でも、だから、すこし頑張ることは必要かもしれないけれど、まだ現在はそんな過程の段階だとしても、やっぱりやっぱり、僕は、自分のあの暗闇の時代の経験からしても、


中心には、楽しいこと、すくなくとも楽しい方向を大切にしていくべきだと思っています。それからスタートさせたほうが良いと思ってます。それはいくつであろうが、今どんな状況かは関係はありません。


僕の場合は、とにかく、日々の生活で、特に不満もなく、ある程度、成績的に順調だったうえに、フツーに楽しく過ごせていたので、なんとなく順風で、の中から、


大学卒業から、当時、就職は一回してしまうと辞めるべきでないような気がしていて、社会で、これから、何十年と過ごしていく中では、「これ!」って懸けていくモノが必要なのでは?とは思うものの、どれもグッとこない、何か違う、でも、そのグッと来ないことだけは確かなんだけど、正解は、見つけられない、、、そんな暗闇の時代をへて


そうして外の世界にでて、初めて、実はそれまで、自分のやりたいことを、ホントウに考えれたことはなく、そんな機会を持ってる状況もなかった、ことに、うっすら気づいていた状態、に陥っていたんだ、ということに後から気づけました。


そんな20代のタイミングで、生き方が切り替わっていったのですが、それが早いか遅いかはわかりません。でも、それぞれの人にいつかは、何かの角度で、同じようなタイミングが訪れるのではないかと思ってます。


そう、そこで僕は、昔の自分が「楽しいこと=自分らしさ」をみつけやすくなるように、ということもあって(ほんとのこと言うと、来生の自分が、同じように道に迷いそうだから、、来生の自分に向けて、というのもありますけど。笑 本音)


そんな思いもあって最近ジャーナリング・セルフコーチングを書いてます。


そして、僕には夢があります。


そう、そして、僕は、いつかみんなが「楽しいこと=自分にとって簡単なこと=みながハッピーになっていくこと」で全体が暮らせ、回っていく、ことがゴールだと思っているから、


それに向かって歩んでいる道の過程の今、楽しいことを中心にしていくなかで、歪み・ひずみから生じてしまう「しんどさ・自責感・無価値感・無力感・孤立感」が、それが、このジャーナリングだったりで、少しでも減らせるようになったらいいな、ってのもあります、し


それに、僕には、そんな生き方をしてきたため、しんどい思いをさせた、させてるであろう、元家族だったり、娘さんたちだったりがおりまして、状況もあり、なかなかうまいこと関われなかったりするのです。


その娘さんたち、もしくは、その子どもさん、その先に、だったりが、同じような暗闇で道に迷いそうになったときに、もしかしたら、この発信を目にしたりして、何かのヒントを得られるようになったりすることができるかもしれない、そんなことも思います。


そして、君たちのおかげで、楽しさ=自分らしさを追い求めさせてくれたおかげで、こんな文章もかくことができたと、お礼も伝えたい、そんなふうにも思って書いてたりもしてます。


・・・


繰り返しになるかもですが、僕は、その2018年の4年前に、43歳で、30日と40日の断食を行うことができました。それは、この6年間の暗闇の時代があって、それで自分なりの楽しさを追い求めていけるようになった、おかげだと思ってます。


色々な健康法をためした延長で、長期断食にのぞむ流れになったのですが、自分の興味があるこで楽しいことを追い求めてたどりつけたからです。だから、楽しくてしようがなかった、です。あの暗闇の時代からしたら、なんてことありませんでした。


13年ベジタリアンもやってますが、まったく苦になりません。日本だと文化の下地があまりないので、そこそこタイヘンな面もあります。当然、外食はほぼしないですし、13年間、居酒屋もいってません。


でもまったく負担なく楽しくやれてます。それはやっぱり、僕が興味をもって取り組めていることだから、だと思ってます(もちろん、何かしらプロで活躍されている方は、もっとすごいことされてる方はたくさんいらっしゃるかとは思いますが)


(まあ、そもそもの興味の方向が、こんなんだから、資格試験の勉強も、普通の社会生活も合うワケないよね、全然。脳みそが違う方向向いてるよね、たぶん、ってこだったというオチも。笑)


あらためて、そう、あの夜明け前、暗闇の時代、それからの30歳から3年間、オーストラリアにワーホリで2年間、東南アジア・インドに合計1年。正直いいます、毎日楽しくてしょうがなかったです。し、あの頃がなければ、今の僕はありません。


あの頃がなければ、あのまま進んでいたら、僕の性格上、もしかしたら、とっくの昔にぺっしゃんこにつぶれていて、こんなところにはいなかったのかも知れないとゾッとしたりも含めてです。


その選択が良かったのか悪かったのか、今は、これで間違いなかった、と思えてますし、それはこれから先も同じだろう、とは思えています。


でも、まだまだ道の途中、最後までよくわかりません、し、答えは最後にでるかも知れないし、でないかもしれません。来生に持ちこしになるかも知れません。


でも、選んだ道を正解にしていくためにも、僕の場合は、これからの人生でも、楽しさ=自分らしさを追い求めていくべきなのだと思ってます。


そう、そこで、先日、僕は、旅先で、なんとなく、48歳の今の僕から、22歳で道に迷い始めた僕に宛てて手紙を書いたのですが、
⬇︎⬇︎⬇︎
ちょっと面白かった旅の話【鹿児島県・大隈半島・佐多岬からの手紙】


ちょっとその手紙につけ加えたい


今いちど、そんな22歳の僕に、言いたい


「そして、48歳になった君は『自分が28歳で旅にでた理由』の文章を書くことになるよ。その文章は、22歳の君のような、道に迷ってる人たちに向けての応援・励ましのメッセージの文章だよ。そして、それを書きおえることができた、48歳の君は “ああ暗闇の時代をへて、それからも、たくさんの谷あり谷あり谷あり、ちょっと山々だったりの、いろんな人生でタイヘンなことも多かったけど、楽しさ=自分らしさ=自分らしい楽しさ、をあきらめななくて良かった、おかげでこんな文章を書くことができた、心から、そう、満足して思えたりするよ」って。


、、、


そう、とは言っても、僕もまだまだ旅の途中、僕の旅はまだまだこれから。


まだまだ完璧でもなんでもない僕(完璧じゃなさすぎて、実際あったら、文章と全然違うやん!全然いい人ちゃうやん!とかメッチャ言われそうだし。笑)は、引き続き、谷あり、谷あり、谷あり、ちょっと山山だったりの人生を歩むことになるだろう


でも、、でも、、


そんなことだったりもすべてを含めて、この先も、、


不完全ながらも、
楽しさと、自分らしさ、自分らしい楽しさ、その先を求めて、、、


(そう、とは言っても、いっけんうまく行ってないように見える流れも「すべてうまくいってく、いくようになっている」「それも含めて、すべて宇宙のはからい」なんでしょうが^^)


ということで
ひきつづき
みなさまも、、


『楽しんDay!^^』


***


ということで
今回は以上です^^


長文失礼しました。
お読みいただき、ありがとうございます^^


みなさんも
ひきつづき
楽しんDay^^


それでわ、わでれそ〜^^


***

【おまけ/「今日の音楽」より】

小久保淳平  希望の唄
マーレーズ  太陽と星
Jason Mraz  I’m Yours
















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