お殿様のお面


昔々いつもしかめっ面をした殿様がおりました。国に財は蓄えられておりましたが、彼はずいぶん気難しくいつも眉間にシワを寄せておりました。隣国からの謀反や企てに悩まされており、人望もなく家臣たちからも嫌われておりました。殿様は長らくぐっすり眠れておらず不調が続いておりました。そんなある日、悪い夢にうなされて恐怖でガバッと飛び起きうなだれました。フラフラになった頭を抱えて、自分の人生を振り返りみじめさに気づいたのです。人生を見直そうと思いたったのですが、良いアイデアが浮かびません。そこで殿様は家臣に早急にアイデアを持ってくるように命じました。


困り果てた家臣は、ある禅寺の師をこっそり訪ねました。そこの禅師は長らく殿様に仕えていた指南役(※先生)だったのですが、むやみに国を大きくしていく殿様と意見が合わなくなり城をでて禅寺の師となり隠居生活を送っていたのでした。話を聞き終えた禅師は、家臣に「わかりました」と数日後にまた訪ねてくるよう答えました。数日後「では、この数通の手紙とこの箱を渡します。手紙が私からだとは伏せておいてください。お殿様がまず最初の手紙にうなづかれたら、この箱を渡すように。最初の手紙にうなづかなければ決して箱を渡さぬようにしてください。あとの手順は他の手紙に書いておきます」


「どうだ、アイデアは見つかったか?」数日後、イライラした様子で殿様がたずねてきたので家臣は最初の手紙を差し出しました。「ふむふむ、なんだこれは?」と読むと「心に平安を取り戻したければ、言うことをきくと約束してください。そうすれば方法をお伝えします。」と書かれてあります。殿様は「うぅむ、まあしかし、あれからも眠れない日々が続いておる。わかった、言うことを聞くから、方法を教えろ!」そこで家臣は箱を差し出しました。箱を開けると、お面が入っておりました。その表情、どこかで見たことのあるような、楽しそうに笑っている表情のお面。さらに「人前に出る時には必ずこのお面をつけるように」と書き添えてありました。


「こんなものつけられるか!」と王様は怒鳴りました。「こんなものをつけていては威厳も何もあったもんじゃない、民衆にも隣国にも馬鹿にされる」とブチまけました。そこで震え上がった家臣は、箱を渡した後に渡すよう預かっていた次の手紙を取り出しました「お殿様、次はこの手紙を預かっていました。。。」「なんだとー! ふむふむ『大勢の家臣たちが見ております、どうぞお約束を守られますように。このお面で、必ず眠れるようになります、眠れるようになれば体力も気力も蓄えられ今まで以上に強国になられるでしょう』だと」 「うぅむ」殿様はしぶしぶお面をつけることにしました。


そこで殿様がお面をつけだした数日後、思いもよらないことが起き始めたのです。家臣たちが殿様の顔を見て楽しそうに微笑み、怒られても怖がらなくなりだしたのです。殿様の前でもくつろいでる様子を見せるようになりました。殿様は家臣たちに受け容れられてる様子に気をよくして、彼らに優しく接するようになりました。そうして殿様の人気が徐々に高まっていったのです。その噂は次第に民衆にも広まり、国の不安は鎮まり、平和が戻りました。殿様はよく眠れるようになり、良いアイデアも生まれ、国はさらに豊かになっていきました。


そのように全てが上手く回りだしたのですが、ひとつ殿様に納得できない部分が生まれてきました。殿様の心の中です。殿様自身、国の変化を多いに喜んではいたのですが、成長したおかげでか、偽のお面をつけた自分は偽善者で民衆を騙していて、この状況はお面のおかげ、自分の実力ではないのではないか、と感じるようになっていったのです。悩み抜いた末に殿様は家臣を呼び出して言いました。


「ありがとう。おかげでよく眠れるようになり、わが国で起きた変化には多いに感謝しておる。しかし、これ以上、家臣たちや民衆をあざむくことはできない。今の私はお面をかぶった偽物だ。もうお面を外してもよいだろうか?」そこで家臣は次の手紙を差し出した、読むとそこには「これまでご苦労様でした、どうぞお望みのまままに」と書かれてありました。


意を決して殿様は鏡の前に立ち、彼の人生と国の状況を変えてくれたお面をゆっくり外し始めました。また元のように戻ってしまう、、つらい、、でも、これ以上みんなをだますわけにはいかない、、こうするしかない、、。いつの間にか恐怖で目をつむってしまっていた殿様、やっとお面を外し終えて、勇気を振り絞って目を開け、鏡に向かい、久しぶりに自分の気難しい顔を見た、ところ!!!


鏡に映ったその顔には、かつての気難しかった面影はまったく見当たりませんでした。奇跡が起こったのか、鏡に映ったその顔は、お面の表情よりも、さらに柔和に楽しげで優しさをたたえた素敵な笑顔でした。「こ、、、これは、、、一体どういうことだ??」とまどった殿様は家臣にたずねました。そこで家臣は「実は、、」と禅寺を訪ねたこととこれまでの経緯を打ち明けたのです。「そうだったのか、、、承知した」数日後、殿様は禅寺をたずね、久しぶりにあった師に頭をさげ、その秘密を尋ねました。


「いったい、あのお面はなんだったのでしょうか?どうしてあんな奇跡を起こせたのでしょうか?あのお面の力の秘密は何だったのでしょうか?」禅師はゆっくりと間をおいて答えました「実は、、あのお面には何の秘密の力もありません。ぜんぶあなたの本来の実力です。あのお面はむかし殿様が小さいころ私に『大きくなったら立派な殿様になってみんなを幸せにするよ!』と大きな笑顔で語ってくれたときの、そのときの笑顔を、私が絵にかいてつくってもらったお面なのです。本来のあなたの表情、あなたがそもそも持ち合わせていた表情と力なのですよ」


それを聞いた殿様、ただただ、はらはらと、いつまでも止まることのない涙を抑えることができなくなりました。下がった頭も上げられなくなり、両手で取っていた禅師の手を長いこと離せぬまま、ずっと立ち尽くしておりました。禅師は続けました「逆だったのですよ。本当の殿になる過程で、その技術を習得するために、一時的にあなたは本来のあなたとは違うお面をつけられていたのです。やっとそれをはずすときがきた、技術を習得しおえて、これからその技術を掛け合わせて、本来のあなたの力を発揮するときがきた、ただそれだけのことだったのです」禅師もまた目にうっすらと熱いものを沸き上がらせながら、その両手を握り返しておりました。その後、殿様は禅師を指南役として迎え入れ、国はますます大きく豊かに発展していきました。


***

【いのりんコメントリー】


インドにサット・サン(ガ)と呼ばれる文化があります。


直訳すると“真理を求める人々の集まり”。「サット」とはヒンズー語で「真理」、「サン(ガ)」は共同で何かを分かち合うことのできる「(人々などの)集まり・場」という意味。


師(グル)が物語、寓話、たとえ話をもとに変化やアレンジを加え、それぞれの教えを伝えていったりします。インドでは瞑想やヨガなど、精神的(スピリチュアル)修養の旅をしていると、 そのうちにかならず出会うものとされています。


近いイメージとしては、お寺の法話?ブッダさんが説法した集まりも「サットサンガ」の1つ。現代だと、スピリチュアルに通じた方はご存知でしょうが、エックハルトトール、バシャールさんの講演会。ダライラマさんの講演会も大きな部類でサットサンのイメージになると思います。


日本だと法話と呼ばれたりしてちょっと堅苦しいイメージがあるのですが、町を歩くと4〜5歳くらいの子供たちが鼻水を垂らしながら満面の笑みでシヴァ神やガネーシャ、ラクシュミなど自分のお気に入りの神様のブロマイドを自慢気に見せてきてくれるほどに宗教が日常に馴染んでいるインドではサットサンも身近なもの。


たとえば「今○○ビーチで“サンダルシ(グル)“がサットサンをしている」とか、「来週○○ビーチで、ニール(グル)のサットサンがある」などと使われます。


あまり有名でない師 (グル)の数人規模のサットサンもありますし、日本ではあまり見かけないですが、サイババや和尚(ラジニーシ) サドゥグルなど有名な師(グル) のサットサンには大きな会場に数千人の人々が集まります。リシケシュではグルが何人か集まってフェスのようにサットサンが行われたりもします。


通常はお話を混じえたりも多いのですが、小さなサットサンではしばらく静かに坐っていると、師が現れて、そ のうち誰かが何か質問する。それに師が答えながら、真理とは何かを指し示し、共に味わい、その霊性の恩恵に浴するというスタイルのものも多いです。そうしてサットサンの会場から出てくるときには、一種のさわやかな平安と至福の状態、心がちょっと軽くなったり浄化されたり、浄められたような感覚や体験を味わって帰路につきまた気持ちを新たに日常生活に戻っていくのです。


インドでは毎日大小さまざま無数のサットサンがおこなわれます。そこで、多くの人々が、日常生活感覚で自然に、いろいろな師たちのサットサンを訪れ、それらに参加しているのです。そこで、それぞれの手法の違いや、 雰囲気の違いなどをまのあたりに体験して、有意義なときを過ごし、自分を見つめ直すきっかけだったり、高めたり、浄めたり、日常的な霊的修行のひとつとして、楽しんでいるのです。


ボク自身は、旅でビパッサナー瞑想合宿で講話を聞いて瞑想したりや、ダラムサラのダライラマさんのホームのお寺でお話をきいたりがきっかけで、YOUTUBEでラマナ・マハリシさんの弟子のプンジャジさんなどの映像だったり大好きでよく見て、こんなお話をちょろちょろ集めたものでした。


今回のお話も、そんなお話の1つです。


本領というかホームというか、こういうのも好きなので、やっぱりホント自分が興味があること書いてるのは楽しいですね^^


さいきんnoteだったりでも、グルというか、サットサンというか、そっち系で面白いこと語ったり書く人もいっぱいいらっしゃいますよね。「これはみんなミニサットサンみたいなものと一緒だよな〜」と思ったりもして。これからの日本でも、そういうのが自然に増えていったら楽しいかな〜とか思ったりもしてます。


ということで
今回は以上です。


でわでわ〜^^

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