見出し画像

みんな違うけど、みんな同じ。

どうも。いのりです(YouTuberみたいな書き出しになってしまった)。
週始めということで、多くの人に嫌われているような気がする月曜日にする話は、月曜日のごとく心の奥底に封じ込めて置きたい、私の高校時代のこと。

私は別段特別な経験をした訳ではないと思っているんですけど、やはり自分的にはしんどかったんでしょう。記憶がところどころありません。きっと別のやつが、今日もどこかで抱えているんだと思います(それが突如寝れない夜に限って私の頭を過ぎったりして自分が嫌になる。なんでなんでしょうね)。

星野源さんというアーティストがいます。
自身が中学生の頃から好きなアーティストのひとりなのですが、彼の曲「日常」の歌詞の中には、こんな言葉があります。

みんなが嫌うものが好きでも それでもいいのよ

これはよく分かります。自分は人とは違うんだ、という気持ち。自意識。それはいい方に転がることもあれば、悪い方に転じてしまうこともあるけれど。誰にだって矜恃があるし、それは決して悪いことじゃない。でも、人と違うことだけが褒められる世界なら、それはそれで苦しい人がいると思うんです。
歌詞はこう続きます。

みんなが好きなものが好きでも それでもいいのよ

この側面を歌われる歌って、なかなかない気がするんですけど、どうでしょう。
皆さんはこの歌詞を、どう捉えますか?
私はこの言葉に、とても救われました。
人と違うことを「しなければならない」訳では無いと。

自分の好きなものが、たまたまみんなと違う。ならいいじゃない。それは個性ってもんよ。
でも自分の好きなものが、みんなと一緒。それもいいじゃない。みんなで楽しめばいい。
この歌詞に、なんだか途方もない包容力を感じたんですよね。私が高校の時、欲しかったのは、こうした言葉でした。

みんな違う人間だから、分かり合えないこともある。
でもみんな同じ人間だから、分かり合えることも、きっとある。

私は分かり合えることを、もっと大切にしていきたい。

私は近現代文学を専攻していますが、世界に対して絶望感を抱いている人が何故か多いです。
けれどそれは、世界を諦められないから、物語を書くし、詩を作る、ともとれる

今の私は、高校時代の、誰かの言葉が届かないような沈み切った私とは少し違うけれど、それでもその根底は同じだった。だから今でも、こんな研究を楽しくしているんでしょうね。

みんな違う。けど、みんな同じ。
その意識は時に、生きづらさを力に変換できるパワーを持っている、のかもしれない。

新しいキーボードを買います。 そしてまた、言葉を紡ぎたいと思います。