ルック車批判を社会学的に考えてみたら納得の結果だった。〜第一回〜
ども、いのぴーです。
皆さんは”ルック車”ってご存知ですか?
僕のツイッターのフォロワーさんはロードバイク乗り(ローディー)が多いので知ってる方がほとんどだと思います。
そんなルック車がツイッターで叩かれがちな訳です。それについて、今回から数回に分けて社会学的に考えていければ、と思いますのでよろしくです!
はじめに
ルック車とは、
この言葉は ”見た目はスポーツ車だけど、性能がイマイチ”という自転車を揶揄するように使われることがあって、否定的な意味で使われる事がある言葉です。
サイクルスポットさんのホームページから引用しました、noteの最後に参考文献としてつけるのでルック車について知りたい方はそちらをご参照ください。
さて、このルック車がツイッターで叩かれがちな訳です。
(ツイートとか載せようと思ったんですが、それも違う気がしました。ツイッターで検索したらわんさか出てきます)
今回のnoteの題材を「なぜローディーはルック車を叩くのか?」と設定し、
皆さんと一緒に社会学的な考えを通じて納得できれば良いかなと思います。
社会学的概念に触れつつ、高校生でもわかるようにしたいので、長くなるかもですが簡単に読めるように努力します、!
今回の仮説
題材があると仮説を立てたくなるもんです。(ならない)
今回は論文ではないので簡単に仮説を立てます。
仮説
「SNSの普及し、公共圏が変化しただけではないか」
さぁ、「公共圏」です。
公共圏とはドイツの哲学者・ハーバーマスが提唱した概念で、簡単にいうと”議論ができる場”と考えてもらってOKです。
SNSが普及する前、ロードバイク界隈に置いて議論はどのようになされていたでしょう?
想像ですが、ロードバイク雑誌への投稿や部活、などオフラインのものが多く、インターネット普及後はブログなどでしょうか。
SNSが普及したことにより、情報の双方向でのやりとりが活性化しました。
しかしその反面、「個人」が矢面に立たされることも多くなりました。
僕の仮説を噛み砕くと以下の通りになります。
SNSの普及により、公共圏が変化し個人レベルで情報のやりとりが可能になった。その結果として、個人が批判されるようになっただけではないか。
これはそもそも、SNSの普及前からルック車はある程度叩かれがちで、それが目に見える形になっただけでは?という意味も含みます。
この仮説から、実際に様々な論文や考察を踏んで、「ルック車はなぜ叩かれがちなのか?」を次回以降検討していきましょう!
今回のあとがき
社会学とは本来、1つの事象から社会を考察する学問です。
今回は1つの事象を社会によって定義しようというものなので、厳密にいうと社会学ではありません。
ただ、社会学者や、社会学でよく使われる概念を元に検討し、何か価値を見いだせればと思っています。
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