「35歳の少女」


https://www.ntv.co.jp/shojo35/

ドラマ『35歳の少女』を結局最後まで見てしまった。
以下ネタバレしながらいろいろ書いていく。

10歳のときの事故の影響で25年間昏睡状態にあった望美は35歳の時に奇跡的に目覚め、退院してから「見た目は35歳だけど中身は10歳」の「少女」として日々を送る。
25年の間に望美の看病をめぐって両親は離婚しており、父は再婚して別の家庭を持っている。
望美につきっきりで看病していた母(鈴木保奈美)は目覚めて以降娘から意思決定を奪い、すべてを自分がコントロールしようとする。
妹(橋本愛)は母から満足に愛情を受けなかった経緯もあり、目覚めて以降の望美や母に何かと反発する。
唯一の救いは10歳の時の初恋の相手・ゆうと君(坂口健太郎)で、35歳になっても何かと望美に世話をやき、「この世界」に戻ってきてよかったんだよ、という言葉を伝え続ける。

ドラマは望美が急スピードで精神年齢を上げていくのに伴い発生する、母への依存・反発・別離、ゆうと君との甘い恋愛と別れ、憧れから失望に変わっていく父親への目線、反発と和解を繰り返す妹との関係、冷凍保存された10歳の望美の夢と35歳の挫折、目標の別方向への転換などが描かれる。

ストーリーや登場人物にあまりリアリティは無い。
最終回、アナウンサーが夢だった望美は友人の(10歳時点での小学校の同級生)の結婚式で急きょ来られなくなってしまった司会の代わりを務めると「素晴らしい司会だったから」という理由で同席した北海道ローカルテレビ局の人に「うちでアナウンサーならないか」と持ちかけられる。
会社を辞めた妹はデザインコンクールで優秀賞を受賞して別のデザイン会社にヘッドハンティングされ、再婚した父は一級建築士を目指し、引きこもりだった彼の義理の息子は就職して社会復帰し、一度は教師から離れたゆうと君は教職に戻ってクラスのいじめを解決し、“理想の教育”を押し進める。
駆け込みで全員ハッピーになっていた。

昔はこういうストーリーに「なんてリアリティがない」とイライラして、「だから連ドラはつまらない」みたいなことを思ってた。
でも年を取ると「どうせフィクションなんだからハッピーで終わったらいいじゃないか」みたいな方に考えが変わってきた。

たぶんテレビドラマというのは見る人を特定できないので、フックのある設定と口当たりのよいストーリーが大事なんだろう。
誰が飲むかわからないコーヒーは甘くしておいた方がいい。
2020年の今でも大衆に訴えるには
「家族大事」
「家族が一番」
というテーマがうけやすいんだな、と勉強になった。

このドラマでは登場人物たちが他人の人生にシンプルに意見を出す。
一度は教職から離れたゆうと君に望美は「ゆうと君は先生に戻るべきだよ」と言い、デザイナー職を諦め別の仕事を探そうとする妹にも「デザイナーやりなよ」と言う。
妹はユーチューバーのようなことを始める望美に「こんなのやめなよ」といい、ゆうと君は不登校になった自分のクラスの子供に「学校に行こう」と説得する。母は望美の選択に絶えず「こんなのやめなさい」みたいなことを常に言っている。
(最後は別離するが)

おっさんになると他人の人生に口を出すのが怖くなる。
「あなたの人生はあなたに決めてほしいし、そのサポートはする」とは言えても「夢をあきらめちゃダメだよ!」みたいなことをあけすけにスッと言うのが難しくなった。
干渉というと言葉は悪いが、他人の選択の後押しに強いのはこういう言葉なのかもしれない。
現実にはそうそう気軽に言えないから、ドラマでは使われる部分もあるんだろうけど。

望美と違う世界で生きてる自分には夢は変わるものだし、一つでないし、それがすべてでもないように思える。
人の言葉はそのまま受け止められるときもあるし、そうじゃないときもあるし、約束は「その時は本当にそう思ってるけど時間がたてば少しずつ気持ちが償却していくもの」と思ってる。
年数を生きれば生きるほど「統一した一つのものはそんなにないな」と考えるようになる。

だからこうやってフィクションのドラマを見てると、似てるけど違う世界なんだよな、といつも感じる。
だからいいんだろうけどね。
とりあえず「見た目は35歳だけど中身は10歳の少女」だとドラマになるだろうけど、「見た目は45歳だけど中身は15歳の少年」はまったくドラマにならないだろうな、と自身を反省しながら思った。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?