1980年の長渕剛

音楽プロデューサーの新田和長が最近新潮社から出した『アーティスト伝説』という本の中で、新田氏がデビュー直後の長渕剛を担当したときの話が出てくる。

長渕が事務所と契約して初めて出たコンサートは吉田拓郎が愛知県の知多半島沖にある篠島という島で開催したオールナイトコンサートだったそうで、2万人くらい来てた観客の前に吉田拓郎の前座として若き長渕は出ていった。
ファーストアルバム「風は南から」をリリースした直後で、関係者は「巡恋歌」を名曲だ!これは売れるよ!と絶賛しながら実際にはそんな売れることなく、けどラジオとかで流されると着実にファンをつかんでた頃。

会場の篠島は吉田拓郎やフォークソングのファンのほかに現地の漁師や船乗りがたくさん見に来ていて、ろくに座席なども用意されてない原っぱの会場で持ち込んだ日本酒を飲みながら見ており、しばしば演者に対してガラの悪い野次が飛んでいたという。
そんな会場で、若き長渕剛は吉田拓郎の前座としてステージに登場した。
5曲歌う予定で上がったが、3曲目の途中でギターの弦が切れた。替えのギターはない。長渕はステージの上で「ギターの弦が切れた」とボソッと言って、その場で交換し始める。
待たされる客席からは次第に野次が飛びはじめる。
「引っ込め!」と野次が飛ぶと長渕は弦を替えながら「引っ込めなんて言うな、せっかく篠島まで来たのに」とマイクで言う。
野次ばかりでなく、「九州から来たぞ!」「巡恋歌、歌え!」という声援も上がり、そのたびに「あとで歌う」「俺も九州だよ」とか返してると、弦の交換を待ちきれなくなった別の観客が「帰れ!」と叫ぶ。
長渕は即座に声がした方向に「帰れって言うならおまえが帰れ!」と返した。
「俺のファンだって来てるんだよ!」と続けると観客の気持ちが一気に長渕に傾いた。
弦を張り替え終わった長渕はそこから次の曲を歌い、最後の曲の前にはこう言った。

「次に最後の曲です。まあ、帰れ!と言った人も、それはそれで覚悟していたことだし、そう言った人たちも一緒に篠島はよかった。俺がこれから音楽をやってく上で最大の思い出になると思う。ほんとに今日はサンキュー」

最後の曲「巡恋歌」を歌い終えて大歓声と拍手に送られてステージを降りた長渕にプロデューサーの新田氏が素晴らしかったと声をかけにいくと、長渕の顔は真っ青で唇は紫色になるほど憔悴していた。出演者に用意されてた温かい味噌汁を飲む余裕もなかったという。
このとき長渕剛23歳。

この一年後、長渕剛はTBSの人気番組「ザ・ベストテン」に初めて出演する。
曲は「順子」。
新田氏はじめ東芝EMIの人たちが懸命にプロモーションしたこともあり、初めてヒットとなった曲だ。
番組は日本平からの生中継で、長渕の前は結婚を発表した桑名正博とアン・ルイスが出ており、賑やかな雰囲気だった。
続いて登場した長渕が「順子」を歌い始めると、前の曲の流れで他の出演者たちが手拍子を始めた。
すると長渕は生中継でありながら演奏をやめ、後ろにいる他の出演者にこう言った。

「失恋の歌なので手拍子はやめてほしい」

人は十代の時に好きになったものを一生追いかける、という俗説がある。
俺はたぶん長い髪の頃の長渕剛のことが一生好きなんだろう。


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