テリー・ファンク

https://youtu.be/_lKeTgLi6kc?si=gn6Ca4-_Hq_O6IWL

テリー・ファンクが亡くなった。
79歳だったという。
「ついにこの日が来てしまったか」
という感覚にとらわれる。
少し前から体調不良の話が流れてたし、いつかこの日が来るとは思っていたものの、いざその日がやってくると深く沈む。


私がプロレスを見るようになって最初に好きになったのがテリーと、兄のドリー・ファンク・ジュニアの「ザ・ファンクス」だった。
昭和50年代。
冷静沈着でテクニシャンの兄ドリーと熱血漢で荒っぽい試合も辞さない弟テリーの二人が戦うのを、ダイヤルでチャンネルを回すブラウン管テレビの前で小学生だった私は楽しみに見ていた。

会場に見に行くようになった90年代には兄弟は別々の活動をしていて、テリーはFMWやIWAジャパンといった日本のインディ団体によく来ていて、デスマッチをやったりヒール軍団のボスとして試合をしていた。
焼きごてとか火のついたタイマツといった、今考えると物騒きわまりないものを持ち込んでた時期があって、相手してたミック・フォーリーとか中牧昭二とかは大変だったと思う。そんなFMWやIWAジャパンに出てて、現在もリングに上がる選手もずいぶん少なくなった。

テリーに強い影響を受け、試合でも戦った大仁田厚がヨレヨレになりながら今もまだリングに上がってるのは貴重なのかもしれない。
過激なデスマッチで「命を削ってる!」と心配していた大仁田が60歳を超えても試合してるとは当時想像もしてなかった。

派手な引退試合をやったあとに体調がよくなったからとリング復帰してしまうムーブメントはテリーが始めた。
かつての大スターが悪役になったりデスマッチやったりする「転身」の自由さを最初に始めたのもテリーだし、テリーがいなかったら日本のプロレスの形は少し今と違ってたと思う。
テリーもアメリカだったりキャリア後半は別の曲だったんだけど、テリーといえばやはりこれしかない。
ありがとうテリー。


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