曙の本当の全盛期をあなたは知らない

曙太郎が亡くなった。54歳だった。ずっと前から闘病生活していると聞いていたが、報道によれば7年だったという。
本人も、周りもずっと大変だったと思う。

曙といえば大相撲、横綱のイメージだろう。
日本の伝統的な、縦社会の格闘技ともスポーツとも神事とも違う独自の競技に異国のハワイからやってきて入団、横綱(第64代)に登り詰めた。
引退後は曙親方として後進の指導に当たっていたが、K-1石井館長の説得で総合格闘技に転身。
2003年大晦日に当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったボブ・サップと格闘技ルールで対戦して、KO負けしたのを覚えておられる方も多いだろう。

その後しばらく格闘技をやったものの結果が出ず、2005年にプロレスデビュー。
以後全日本、新日本、ハッスルなど各団体に出場した。
けれど大半の人には「曙、そういえばプロレスもやってたよね」くらいの認識しかされていないと思う。

今回、曙が亡くなったので、そんな方々に私は言いたい。

そうじゃないんですよ。

曙の全盛期は、2013年ごろから2015年くらいにかけての全日本プロレス時代なんですよ、と。

たしかにプロレス転向したばかりの頃の曙はいろいろ下手だった。
WWEのリングで相撲やらされたり、新日本両国のメインでなぜかブロック・レスナーとIWGP戦をやったり、ハッスルでインリン様となんかやってたり。
そのあたりは「元横綱」という知名度をリングで売ってるだけで、試合は全然よくなかった。

それが変わってきたのが同じく大相撲出身の浜亮太と「SMOP」(スーパー・メガトン・オオズモウ・パワーズ)というタッグチームを組んだあたりからで。
SMOPvs関本大介&岡林裕二(大日本プロレス)のタッグタイトル戦は毎回素晴らしい試合だった。
そして徐々に曙はシングルでもいい試合ができるようになって、メインイベントで三冠ヘビー級選手権試合もやるようになった。
印象的だったのは潮崎豪とタイトルをかけてやった試合で。
この頃には「巨体の使い方」を会得して、「無駄に動かない」「動くときは早い」「強烈な打撃」というメリハリを試合で出せるようになっていた。
特に終盤戦で見せる張り手は「潮崎が死んでしまう!」という威力で、フィニッシュもそれまでのあまり上手でないボディプレスからパイルドライバーに変えていて、それが見るからに強烈で痛そうだった。
そのころにはそういう「デカくて強い」昔ながらの大型プロレスラーが少なくなってたので、曙がスタン・ハンセンとかブルーザー・ブロディみたいな選手になったのが面白くて仕方なかった。
潮崎に勝った試合後、後楽園ホールに「アッケボノ!アッケボノ!」コールが起きたのを忘れない。もちろん俺も叫んでいた。あの頃の曙は本当に最高だった。

残念ながらその試合の動画はYouTubeだと見つからないが、同じ時期の諏訪魔戦はアップされていた。
この試合はややスローな展開だが、それでもフィニッシュの曙の畳みかけは素晴らしいので20分過ぎからでもいいので見てほしい。

曙がプロレスラーとして一番輝いてた頃の全日本プロレスはテレビやネット中継もなく、1500人くらいが入る後楽園ホールをビッグマッチ扱いにしてて、ろくろく一般の人には見られていなかった。
毎日国技館に観客を集める大相撲とはえらい違いだったと思うが、あのときの全日本のファンは曙がみんな好きだったし、格闘技転向で一度はランクダウンを経験した曙がようやくファンから正当に評価されるようになり、本人もうれしかったのではないかと思う。
残念ながらその後は体調悪化もあってあまり活躍の場はできなかったが、あの時代に「強い」曙を見ることができて俺はうれしかった。

曙ありがとう。


【2024.4.20 追記】
ここに書いた2015年5月の潮崎豪との三冠戦、GAORAがYouTubeにアップしてくれました。在りし日の曙の勇姿、見てください!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?