核兵器と井上陽水


#創作大賞2024

「ねぇ、私の事好き?」

 デートの時、彼女は必ずそう聞いてくる。

ぼくは、「好きだよ」と確証のない返事を繰り返す。彼女は、そうして「好き」という言葉を担保にぼくを縛り付けるのだ。

 街は昨日のニュースで持ちきりだった。B国が我が国に向けて、核兵器を発射するかもしれない、という報道である。

 普段、政治の話などしないぼくだが、彼女にこの話題について水を向けてみた。すると、彼女は軽くこう言い放った。

「大丈夫でしょ。もし、そんなことになったら、A国が黙ってないから」

 ある意味まっとうな答えだった。我が国には軍隊がない。だから、何かあったら、A国が助けてくれるという前提で、ぼくらの平和と安全は守られているのだ。

 雨が降ってきた。彼女は、ぼくに目配せする。ぼくは鞄から折りたたみ傘を取り出し開いた。彼女は普段、傘を持たない。昔付き合っていた彼氏から、折りたたみ傘を持ち歩くことを禁止されていたからだ。

「俺が活躍する場を奪うなよ」

 その彼氏が言ったらしい。小さな折りたたみ傘での相合い傘。彼女が濡れないように差すと、ぼくはひどく濡れる。冷たい雨が肩から肘に滴り落ちてくる。

 ふいに井上陽水の『傘がない』のメロディが脳裏を過ぎった。それはぼくが産まれるずっと前にヒットした曲。学生運動全盛だったあの時代に、敢えてごく個人的な小さな思いを歌い支持を得た。君に逢いに行きたいが、傘がない。そのことが僕にとって、一番大切な問題だ、と井上陽水は歌う。

 今、ぼくには傘がある。しかし、逢いたいと切望する『君』はいるのだろうか。彼女は、当然とばかりぼくの傘で雨をよけていた。

 いつでも発射するぞ、と脅しをかけていたB国は、結局我が国に核兵器を撃ち込むことはなかった。A国は自分たちの影響力を我が国にアピールした。俺たちがお前らを守ってやったのだ。

そして、数日後。A国は対立関係にあったD国に核兵器を落とした。多くの罪のない市民の命が奪われた。無差別大量虐殺と言われても言い訳できない蛮行だった。それにも関わらず我が国は、A国を支持した。大量の金と後方支援と称し人も送った。国会では軍隊を持つことが議論される。憲法改正。国際貢献。

ぼくは、テレビを消した。連日、繰り返されるA国の決断を英雄視する報道には飽きていた。拡声器を手に、国会議事堂に集まる学生にかつての熱さはなく、浮き世離れした育ちの良さだけが、浮き彫りになっている。ネットでは、テレビよりももっと過激に武装強化を謳っている。あらゆる情報が渦巻いているが、結局、ゼロかイチか極端に色分けされているものばかりだった。どちらの意見も正しいけれど、大切なものが欠けているように思えてならなかった。それが何なのか、考えると苦しいので彼女に会った。

「私の事好き?」

 僕は初めて答えるのが苦しくなった。「好き」という言葉が使えなくて、「うん」と頷くだけだった。




 携帯がブルブル鳴っていた。彼女からだ。約束の時間はとっくに過ぎていた。逢いたいと思うが、カラダが動かなかった。ぼくはベッドに横たわる。逢いたいと思う気持ちと、逢ったあとの失望感を天秤にかける。今度「私の事好き?」と聞かれたとき、ぼくは「好き」だと答えることが出来るだろうか。

携帯の電源を切り、ベッドで横になる。彼女との約束の時間はとっくに過ぎていた。玄関には、傘がぞんざいに横たわっている。

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