2010年代の自分史、晒します

2019年も終わりですね。
といいますか、2010年代が終わりますね。
ということで2010年代の自分史を思い出しながら、さらします。

【2010年】(29歳)社内恋愛の恐ろしさを知る

IT企業のバイトから契約社員へ昇格。
部下となった新人バイトの女の子と蜜月。
初デートは古墳からの城攻めという俺の王道。
IKEAで新婚夫婦ごっこ。
3ヶ月で別れを告げられる。
会社に居辛くなり辞表提出。
退職の選別に舞浜夢の国のペアチケットを手に入れる。
もうペアはいない。
以後、今日までご無沙汰中。

【2011年】(30歳)震災、そして2度の転職

悪夢のIT企業からNPO法人の事務局へ転職。
東日本大震災、発生。そして、退職。
医療系企業へ転職。人生で一番長く勤めた会社となる。

【2012年】(31歳)人生初のひとり暮らし

仕事中の交通事故で得た慰謝料を元手にひとり暮らしを始める。
1階がコインランドリーの昭和な物件。

【2013年】(32歳)新築物件でGと一戦交える

新築物件に引っ越す。
入居半年でG登場。
クイックルワイパーでGを一突き。
Gの亡骸を騒音がうるさい下の住人の玄関に葬る。
仰向けで。

【2014年】(33歳)日の丸の背負う

台湾でのチュックボールアジア大会に参加。
実力はないのに、日本代表の肩書きを得る。
世界を知り、日本のチュックボールを盛り上げたいと考える。

職場の近くにシェアハウスを見つけたでの引っ越し。
変な奴もいたけど、おもしろい奴が多かった。
かわいい女子が入居すると男子がラウンジに群がる。
入居時最年長。

【2015年】(34歳)日本といえば、井野

台湾でのチュックボール世界選手権に来賓で視察。
世界的に日本は井野にいえば何とかなると思われる。
だって誰もレスポンスしないんだもん。
この頃、今のポジションを取れた。

仕事中、首都高で乗用車と観光バスに挟まれそうになる。
反社感が強い観光バスの運転手の機転で助かる。
観光バスに乗っていた遠足の小学生たちも無事。

【2016年】(35歳)2ヶ月だけ福島県民

会長を務めていたチュックボール同好会が解散。
FMヨコハマでコーフボールを知り、体験会に参加。
これが他競技と接点を持つきっかけとなる。
退職して福島県に移住。福島のチュックボールチームに移籍。
訳ありで東京へ戻る。再び、シェアハウス入り。

【2017年】(36歳)選手よりマネージャー

韓国での東アジア選手権に日本代表兼マネージャーとして参加。
若い選手たちに世界を体験させ、意識を高めさせる。
マネージャーとして、ほぼ全部やる。
主催者や国際連盟との折衝、選手の航空便の手配、ユニフォーム作成、カメラマン・通訳手配など。
このあたりから選手としてよりもマネージャー的な動きに楽しさを覚える。

【2018年】(37歳)メディア露出元年

NHK「グッと!スポーツ」に出演。
嵐・相葉雅紀さん、アンジャッシュ児島さん、スピードワゴン井戸田さんと共演。
「5ちゃんねる」で「このおっさん、運動神経ないじゃん」と書かれる。
フジテレビ「めざましテレビ」にチラッと出演。
愛知の選手を福島まで連れて行く。
TOKYO FM 「クロノス」出演。中西哲生さんと共演。
全国のセビオで自分の声が流れる。
トークがうまいらしい、おいら。

【2019年】(38歳)日本で初めて国際大会

東アジア選手権を前橋で開催。国際大会は日本初。
実行委員副委員長として駆け回る。
日本代表男子監督の新たな肩書きを得る。
大会前にチュックボール引退宣言で周囲をゾワっとさせる。
FMヨコハマ「ちょうどいいラジオ」に出演。
憧れのDJ光邦さんと共演。夢が叶う。
FMヨコハマリスナーとして感無量。

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