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ヨーロッパと旅について③

2012年(だったかな?)、父が死んだ。
ぼくは両親とは大人になってもわりと仲が良くて、父親ともたまにご飯を食べに行ったり、実家で一緒にビールを飲んで笑ったりしていた。

その父がいなくなって、なんか家は慌てた。
手続きに忙殺されたのもあるけど、母親、家を出ていた姉、残された家族それぞれが「父がいない」ことの整理をつけるため、静かにだけど、慌てた日々を送っていたように思う。

いろいろな整理がついて、ひと段落したかな、と感じた2014年の初夏、ぼくは母親を連れてヨーロッパに行った。母親はずっと行きたかったらしいが、なかなか機会もなく、諦めていたんだという。
ぼくはすでに何度か訪れていたので、ある程度土地勘もあった。「これなら案内もできるかな」と思った。

さて、ぼくはそれまで、「自分のために」しか行動したことがない。それが当たり前だった。友だちと何をするでも、やっぱりその時の自分にとって必要だと思えることをしていた。特に海外なんて時間とお金もかかるからなおさらだ。

自分ひとりなら、Airbnbや掲示板で見つけた小さな部屋で充分だけど、高齢の母親と一緒ではそういうわけにもいかない。
母親は言葉もできず、歩くスピードも遅い。そして当たり前に「ぼくの行きたいところ」には行けず、「ぼくのやりたいこと」はできないのだ。

でもやっぱり母親を連れて行きたいと思った。今思っても不思議だけど、気づかないうちにそういう心が育っていたんだと思う。
それはやっぱり、「父がいない」経験からくるものだったんだろうと思う。当時はそんな実感もなかったけど。

母親との旅もいい思い出だ。
小さなものだと思っていた母親の意外な体力も知れて嬉しくなったし、日本に帰国した時、達成感のようなものを感じたのが印象深い。ひとりで行くときには感じない気持ちだった。

そして、ヨーロッパの新しい一面も感じることができた。それは移民の労働者のホスピタリティ、というか、気遣いと優しさだった。

高齢の母親を連れていると、タクシーでも電車でも、若者が非常に気を使ってくれているのが伝わってきた。
特に北アフリカ、マグレブ移民といわれる比較的フランス周辺の国々では立場の弱い労働者階級の若者からそういった気遣いを受けることが多かった。

これは母親にもしっかりと伝わっていたようで、帰国後、パリ市内で大きなテロ事件が起きた際には、現地のムスリム移民たちのおかれている状況を想い、心を痛めていた。

行ってよかったと思う。
自分の好きな行動ができないからといって、得られるものがないわけではない、むしろ、状況によっては、それに対処する心の動きも含めて、得るものがとても大きい場合もあるんじゃないだろうか、と今は感じている。

だいぶ遅かったけど、元来自分勝手なぼくは、これに気づくことができただけでよかったのだと思う。
このとき獲得した「自分が自分のためにする」という単純な接続ではない、他者への接続回路が、その後の結婚とか、そういうことにつながっていったのかもしれない。

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