先日遭った暴力について

先日、東京の池袋駅から山手線に乗ったところ、妙に空間があいている席があった。そこに座ろうかな、と思ったがどうもただならぬ気配を感じてやめた。

ある男性がそこに座っていて、その両隣が空いていたのだ。

すぐに「あ、」と暴力の雰囲気を感じた。
その男性はすぐに周囲に対して大声で威嚇をはじめた。ぼくが乗る前からずっとこの調子だったのだろう。
そしてその威嚇がぜんぜん冗談ではない感じ、そういうギリギリ、なにかの拍子で実際の被害が出てしまうような雰囲気がでていた。

年齢も30代くらいで若く、とても力もありそうだから周囲もかなり怖がっていた。
男性だけでなく、女性やお年寄りに対してもかなりきつい言葉を放っていた。恐怖に我慢できず車両から出ていく人たちも少なくない。
何も知らず近くにきてしまった女性は悲鳴をあげてすぐに距離をとる。

ぼくはその彼に背を向けて正面に立っていた。
かなりのストレスだったけど、何も知らずにいろんな駅から乗ってくる人がもちろんいて、中にはお年寄りや子どももいるだろうから、なるべくここにいようと思った。
さすがに背を向けたままだと危険なので、目で追えるように横に移動した。

ぼくはわりと身体が大きいほうで、立っているだけで安心する人もいるかもしれない。
そして、周囲を見渡すと、同じように思ってそこにいる男の人が結構いることがなんとなく分かった。
数人は何かあったら動けるよう(抑え込んだりできるよう)に準備をしていたような気がする。
(ぼくはさすがにそこまでの自信はなかったけど、一応、そこにいようと思った)

こういう人たちがいてくれることがありがたい。
やっぱり社会の一員である、ということなのだ。
間接的なつながりの中でぼくたちは活動していて、それぞれに役割があって、それを当たり前にまっとうする。それが大人なんだよな、という実感があった。

状況としてはとても怖かったけど、そういう風に思ってからは随分と落ち着いていた。

その暴言を吐き続けていた男。
若く、大きく、体力があり、それはとても強い能力だ。その力がかなりのアドバンテージになっているという確信があるんだと思う。とても卑怯だと思う。その類まれな能力を心から求めている人だってたくさんいるはずだ。

自分の能力をどう使おうが勝手だ、という人もいることはわかる。
だけど少なくともそういう特別な力を持たない人が理不尽な目にあわないような使いかたをしなくてはいけない。

ぼく自身のできることはとても小さいけれど、なるべく理不尽な方向に向かわないように、また自分の属するものが変な方向に向かっているなと感じたら、そこに加担しないように、気をつけていきたいと思った。

あと、女性や子ども、お年寄り、直接的な力に対抗できないと思う方は、こういう時には一目散に逃げてください。

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