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今、大切なこと 21

 私は何度か体を壊し、自分の體と向き合わされてきました。
その中でもこの、野口整体に出会い、野口先生の言葉に人生を学ばせていただいています。
 野口整体の創始者の野口晴哉先生は、若い頃から天才的な治療家として名声を得ていましたが、何もしない治癒術が大切なことを述べています。

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以下、野口先生の言葉から抜粋

「病人が弱るといよいよ焦って何彼といろいろのことをするが、それがいよいよ病人を弱らせる因になるといふことに気づかねばならない」

「一人一人が自分の生きている力を自覚する。自覚してそれを発揮できるように誘導していくことが本当だと気がつきまして、治療術という面を全部捨てたのであります」

「人間の価値は、その自発的行動にある。教育の目標は、自発性を養うことにある。自発の行為だけが、人間の自然の動きである。」

人間の体は自然治癒力が備わっているので、自我の統制を弱めるとほつれが解けるように体が自然に動いて健康を回復するのです。
「熱も、痛みも、嘔吐も下痢も、また風邪も、すべて人体の抵抗作用であり、蛇が皮を脱ぐのと同じ更新作用であり、古びた組織を改造し鈍った機能を旺盛ならしむる作用である。それを妨げれば、自律作用が鈍り、麻痺を克進させることは、自明の理である」

「怒り来らば怒り悲しみあらば悲しみそのめぐるものめぐるが如くめぐらして息乱すこと無きは全生の人也」

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 ボディワークでは、緊張をほぐす筋膜の自発の動きをアンワインディング と言います。
 中国の道教気功にからだが自発的に動く「自発動功」という功法があります。自発動功は、胡耀貞という武術家の医者が患者の治療につかっていました。
 丹田を練って丹田を意守できるようにしてから体を思いのままに動かして、段階的に体が自然に動くように練習してから「自発動功」に入りました。

 ところが80年代に大流行した気功の鶴翔庄は段階を踏まずに最初から「自発動功」が入っていたので気が狂ったように勝手に体が動き出してパニックになる人が大勢いて問題になりました。
 80年代の中国は文革の後だったので精神的な傷を受けた人々が多く、ダムが決壊したように抑圧したエネルギーが噴出して激しい動きが出てしまったのです。現在の気功は「偏差」のような不安定なことが起きないように工夫しています。

 井村宏次によると、明治末から昭和初期にかけて霊術家と呼ばれる治療師が3万人ほどいたと言われています。

 古神道の鎮魂法は神霊の世界に入るときの自発の動きを霊威(みたまふり)と呼んでいます。大霊道の田中守平は自発の動きを霊子顕動法と呼び、大霊道は中国の気功に影響を与えました。

 野口晴哉先生は10代の頃、昭和の霊術家の松本道別(1872〜1942)から霊動法、北海道の桑田欣児から自動法を習っていました。
野口晴哉先生は天才的な治療家でしたがある時、子供の夜尿症を治した所、今度はその子供に盗癖が出てきた事がありました。

 夜尿症が親の注意を自分に向けさせる子供の無意識の場合、それを無視して、物理的な体だけを治しても夜尿症の原因となる心理的な問題は置き去りにされたままなので、今度は盗癖という別な問題で浮上して来たのです。

 丁度その時に痛みでまともに歩けない中年の女性が野口晴哉の所に治療におとずれました。

 夜尿症を治療した子供が今度は盗癖になったことで野口晴哉は自分の指導に疑問を持っていたので、ただ痛みがある身体に手を当てたままでいたところ、おばさんの体が勝手にグネグネ動き出して、しばらくしてから動きが止まりました。そうすると痛がっていたおばさんが「お陰様で、すごく楽になりました」と帰ってしまったことが起きました。
 何もしないのに、そのおばさんは自ら勝手に動いて身体を治してしまったのです。

 それ以来、野口晴哉先生は治療家をキッパリやめて、自然に動いて体を治癒する動きを活元運動(かつげんうんどう)と名付けて、宗教色などの余計な要素をすべて取り去って、体を育てる「体育」の体操としました。

 野口晴哉先生は活元運動での不調を回復する、身体の自然な自発の動きを錐体外路系(すいたいがいろけい)運動と呼んでいます。

 野口晴哉は30歳の時に体育団体『社団法人整体協会』を文部科学省(旧文部省)の認可を受けて設立。
野口晴哉の妻、野口昭子は公爵近衛文麿の長女でした。
近衛文麿は五摂家筆頭の家柄(天皇家の皇后が選ばれる華族)の政治家で戦前に総理を3回つとめていました。

近衛文麿は終戦後に「戦争前は軟弱だと侮られ、戦争中は和平運動者だとののしられ戦争が終われば戦争犯罪者だと指弾される、僕は運命の子だ」と語り、A級戦犯に指定されて服毒自殺を遂げています。

野口昭子の母は肥後宇土藩主細川行真の次男、毛利高範の次女千代子です。
野口昭子は最初、公爵島津忠秀に嫁ぎましたが近衛家お抱えの整体師野口晴哉と恋に落ち、駆け落ちして野口晴哉と結婚しました。

野口昭子の妹の温子は細川家に嫁いでいます。
その温子の長男が細川護熙元総理大臣です。
細川護熙は社団法人整体協会の会長理事をつとめています。

2011年5月15日付『東京新聞』朝刊「家族のことを話そう」に細川護熙の妻佳代子夫人の逆子の長女が自然分娩で無事出産した話が載っています。

『長女が妊娠中、胎児が逆子になっとき、私はおなかをさすって“テレパシー”を送りました。「生まれてくるときひっくり返るのよ」「この日に生まれてね」と。すると逆子が治り、唯一空けていた予定日に生まれました。私の“テレパシー”はよく効くんです。』
『イスラエル人の母親が逆子に困って訪れた時、野口晴哉はヘブライ語は話せないので仕方なく日本語で胎児に、 「オイ逆さまだぞ。頭は下があたりまえなんだぞ。」と言ったら、胎児は正常に戻ったという。』(朝日新聞夕刊 2004.4.9)

 逆子に語りかけると赤ちゃんがお腹の中で向きを変えて逆子が治る細川佳代子夫人の話は、物質科学だけを信じている人には危ない人と思われると思いますが野口整体ではよく知られた話です。

野口 昭子の『回想の野口晴哉』には野口家に包丁を持ったヤクザが押し入った時に、晴哉が金縛りで強盗を追い返す話が載っています。

『私(昭子)はびっくりして、「それは催眠術の一種なの?」と訊いた。 「不動金縛りの術って言うんだ」( 晴哉)と何でもないように言う。一体、何時、何処で、こんな術を習得したのだろう。 「私も修行して出来るようになりたい」と言うと、先生(晴哉)は全く意外な返事をした。
「修行なんて無駄なことさ。みんなお互いに暗示し合って、相手を金縛りにしているじゃないか、自分もまた自分を金縛りにしているじゃないか。人間はもっと自由な筈なんだ」(晴哉)』

野口晴哉は17歳で日暮里に道場を開き「全生の詞」を掲げて整体指導をしていました。

【全生の詞 野口晴哉】
我在り、我は宇宙の中心なり。
我にいのち宿る。
いのちは無始より来たりて無終に至る。
我を通じて無限に拡がり、我を貫いて無窮に繋がる。
いのちは絶対無限なれば、我も亦絶対無限なり。
我動けば宇宙動き、宇宙動けば我亦動く。
我と宇宙は渾一不二、一体にして一心なり。
円融無礙にして已に生死を離る。
況んや老病をや。
我今、いのちを得て悠久無限の心境に安住す。
行住坐臥、狂うことなく冒されるることなし。
この心、金剛不壊にして永遠に破るることなし。
ウーム、大丈夫。

 この野口整体をはじめ、先生の言葉の多くに、今大切なことが沢山隠されていると感じています。一人一人が、自分の頭で物事を考え、そして自分の心の意に沿って自分の人生を歩くこと。治そうとすることよりも、自分らしくあることに注目すること。

 イノチの樹では、こんなものを根源に今日も活動してまいります。

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