神折符
神折符(かみおりふ) 〜祈りと折り〜
神(紙)折符なるものを体験しました。
今回は、霊魂安鎮符と万霊供養符とのことで、今まで母が神道の先祖供養やら身の回りのご縁のある方との結びや祓えなどを年に2回してくれていましたが、母が亡くなり、その責務は弟夫婦へと手渡されたわけですが、昨今、神や仏の信心も薄くなり弟夫婦も最小限の形だけをしている感じになってしまいました。
そんなことを、危惧していた時に、古神道の先祖供養の講座のご案内をいただきました。
今まで、古神道は、神道の前からあるものだと思っていましたが、古神道という名称を使うようになったのは、最近(明治以降)とのことに驚きました。
教え自体は、昔から口伝で伝えられたものですが、古神道だからといって、共通の教義というわけではないことを知りました。
古い古い昔からある共通の教えがあると勝手に思い込んでいました。元を辿れば同じことを言っているとは思います。
形だけが受け継がれていく時代の中で、私も、神道の家に育ち、そもそもどうなんだろう?という疑問が常にありました。
礼節は、必要だと思っていますが、なぜ二礼二拍手一礼なのか、様々な所作は、どうしてそうなのか?そんな疑問に母は答えてはくれなくて、大きくなるうちに、それは、当たり前の作法となり、身を清めないと神様には会えない。そんなふうに自然と思っていました。
そのうち、この世の俗世界にまみれて、バブルを謳歌するころには、神様は都合のいいお願いを聞いてくれる存在となっていました。
再びこの世界に戻ってきたのは、天使や神様が見える子と出会って、その後、舞の世界へと導かれたからです。
そして、カトリックの幼稚園、プロテスタントの幼稚園、シュタイナー幼稚園と子どもたちの教育を通して、祈りの本質を学ぶことになりました。
仏教だけが、未知の世界となっておりますが、お寺の方々と知り合い、少しずつ、その世界を垣間見ております。
話を戻すと折符は、斎王に伝わっていた祈りだそうです。(祈りと折りって字が似てますよね)
場を浄め、魔を祓い、国家安寧を祈っていたそうです。
おり符は、和紙を使い(和紙の大きさは様々でも、縦と横の比率は決まりがあるそうです)必ず折り上げる(上に向かって折る)折り下げることはしないそうです。
常に左から右へとすすむ決まりがあり、様々なシンプルな規則があります。
そして竹のヘラをつかって折っていたそうです(私たちは手で折りました)
折る前に、身を浄めて、結界をつくりその中で折符を折ります。
祝詞には耳慣れていますが、古神道の印や大神呪などは、慣れていないので不思議な感じで、供養文はお経のように聞こえました。
この供養は、先祖だけでなく、ご縁のあるすべての人の供養が自分で出来るということなので、祈りの形の一つとして身につけられるといいかなと思いました。
炎の物語のセラピストさんたちに、これから、身に付けていただきたいなぁと密かにに思っております。
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