自己紹介~こんな助産師デス。~
こんにちは。初めまして。
要助産院代表助産師のYUUKAです。
私は北海道生まれ北海道育ちの道産子。
のどかすぎて豊かすぎる町と人の下で18歳まで育ち、
京都で助産師となり、千葉への移住も経験。
大好きな土地、北海道に帰ってきて
要助産院という分娩を“扱えない”型の
助産院を開業しました。
あえて“取り扱えない”という風に表現した理由は、私の目指すものは、分娩のできる開業だから。
そこにまだ至れていないのは、私の実力もあるからです。
今は“扱えない”けれど、必ず、どんなカタチかわかりませんが、分娩を取り扱える開業助産師になることが私の目標です。
(もしかしたら、しないかもしれないし、するかもしれないけど★笑)
今日は、私の助産師魂がどんなのもなのか、
つらつら綴りたいと思います。
なっがーい自己紹介になります😂❤️
助産師になる前から私の描く助産師像は、家のようなところでお産をする助産師。
もう幼心から、そのビジョンははっきりと見えていました。
(家族には誰も医療従事者はいませんし、家族からお産の話なんてされたこともないのにこうなったので前世は産婆デス✌)
いわゆる、「自然派」が好きな助産師さんだと思うでしょう。
しかし、私は「自然派」(じねんは) です。
「しぜんは」ではなく、「じねんは」。
「自然(じねん)」とは、おのずかはなる・ああるがままであるという意味だそう。
「自然派(しぜんは)」というと、医療や薬嫌い・批判、何が何でも助産院や自宅出産をごり押し…なんかを想像されるかと思いますが、
私は、「自然派(じねんは)」のあるがままを大切にしたお産が大好きです。
というか、あるがままでないと、産めません。
あるがままでないと結局、120%でどの方角から見ても良いお産だった!とどこかで言えない部分が生じる気がしています。
「自然派」を履き違えていた頃の私は、分娩台が大嫌いで、「もう分娩台で産ませるお産はしたくない!!!」「医療介入おかしい!」「赤ちゃんを待たないで誘発なんて犯罪だ!」「このままでは経膣分娩できなくなるからなんとかして救わないと!!!」と勤務助産師を飛び出すように卒業しました。
少し時間がたった今では、お産の見方がよりアップデートされ、磨きがかかり、【医療も必要。あるがままを大切にしたい。産む力をもっと信じたい。信頼できる女性とのパートナーシップを築きたい。私は、ただ、そこにありたい】なーんてそんな風に感じています。
(想いはずっと変わってないですが、捉え方や表現が変わったように思います)
もちろん、あくまで「自然派」(じねんは)ですから、今でもできれば分娩台も内診台も消滅してほしい気持ちは変わりません。しかし、争うことではなく、もっと女性が望めば、レスキューという医療が必要であれば、オールおっけいな感じです。
自宅と助産院での出産の割合が0.6%(2019年)になった現代で、「みんな助産院で産もう!」「自宅出産最高だよ!」なんて言うつもりも全くありません。
私の主張は、【どこで産むか・誰と産むかなど小手先のお産技術ではなく、どう産むかというお産の概念が大切】ということです。
これが私の「自然派」(じねんは)。
あるがままに産んだ女性はあるがままに子育てをする。
あるがままの背中を見て育った子どもが大人になり、
また子を産み育てるとき、自分がされたようにするのが伝承です。
私たちが親からもらったものもそう。
だから、この先も地球上に人間が生き、日本人があり続けるのであれば、最高のカタチで伝承、バトンを渡したい。
それが、世界平和になると本気で思っています。
いいお産は、女性を幸せにし、家族を幸せにし、その家族がまた幸せな家族を産みだし、その輪はやがて大きくなり、世界を平和にする。
人間にとって出産体験は重要だと考えていますし、実際にさまざまな統計・研究結果も出ています。空想や妄想ではなく、事実として出産は私たちにとって重要なライフイベント。
それを、一人でも多くの方によりよく体験してもらいたい。届けたい。
助産師は、世界平和を創る未来創造人、愛の戦士だと自負しています。
これが今の私の助産観です。
きっと変わることはないと思いますが、表現が変わっていくかもしれませんので一応日付を・・・♡
2022.9.29
どうぞよろしくお願いします。♡
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