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いのちびとメルマガ(107号)

『自分ならどうする(8/15に寄せて)』
(2023  鈴木中人公式ブログより)
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 講演の帰り、私は知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)を訪ねました。

 二十歳前後の特攻隊員が、二度と帰ることのない「必死」の出撃に臨んで書いた「遺書」に涙が止まりませんでした。ふと、祖母のことを思い出しました。

 ある日、私は生家の小屋の中で日章旗をみつけました。武運長久と多くの人の寄せ書きがありました。私の叔父が、予科練に出征するときのものでした。

 同居していた祖母(叔父の母)にみせようとすると、「そんなものは見たくない」と一言。「どうして?」と尋ねると、祖母は話してくれました。

 出征の前夜、日章旗と千人針を抱いて祖母は床に入りました。「私は死んでもいい、子どもの命を守ってください」と、何度何度も祈った。涙が溢れ、一睡もせずに朝を迎えました。万歳三唱の中、頭を下げながら、「生きて帰ってくるんだよ」と、心の中でただ願いました。

 明治二十五年生れの祖母は、十人の子どもを産み、三人を病気で亡くしていました。生家の近くには特攻隊の基地となった伊保原海軍飛行場がありました。食糧難の中、祖母は自宅を接待所として、出撃前の特攻隊員のお世話をしました。特攻隊員が帰った後は、涙が止まらなかったそうです。叔父は終戦により生還しました。

「あんなことは、もういい」。祖母は手を合わせて涙を流しました。戦争のことを祖母から聴いたのは、それが最初で最後でした。後日、そのことを叔父に話しました。叔父は涙を浮かべて言いました。「時代とはいえ、親不孝をした」

 もし自分があの時代の青年なら―。特攻隊員として出撃したと思います。家族を守るためにと自分に言い聞かせて。もし自分が出征する子どもを送る父親なら―。「どんなことがあっても生きて帰ってこい、死んではならぬ」と伝えたと思います。

 私たちは、たくさんの「事」に出会います。「他人事」にするとき、ただの出来事として過ぎ去っていきます。「自分事」として思いをはせるとき、生きる学びと覚悟にすることができます。

 もし自分なら、どうするか―。そう問いかけられる自分でありたいものです。

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