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毒親育ち視点で見るジャンケットバンク ライフ・イズ・オークショニア前編

意志と医師と遺志

 御手洗に仕事を押し付けた伊藤班メンバーは、対戦ゲームをプレイする余裕を手に入れていた。一方、仕事を押し付けられた御手洗は疲れ切り、飲みたいドリンクを渡されただけで喜べる心理状態になる。ここで、社畜としての洗脳が済んでいればそのまま流したところを、御手洗は「喜んでしまったこと」に危機感を覚えた。

 僕は自分の意志で道をーー

 と、よりによって雪村相手(他のメンバーの戦闘力は未知だが)に殴り掛かった御手洗。手首を掴まれて引かれ(護身術の一種か賭けません?)、その勢いに加えて無慈悲な蹴りが御手洗の御手洗を襲う。
 その結果、土屋田は勿論、あまり表情に変化の無い蔵木までもが痛みを想像して顔を顰めた。御手洗には雪村から慰謝料が払われたようだが、それがどれ位のものかは不明である。

 伊藤班が御手洗と言うおもちゃで遊んでいた頃、ブルー・テンパランスで深刻なダメージを受けた真経津は、入院が必要な状態にあった。その一方、叶は獅子神と村雨を引き連れ、パンのかんばやしに突撃する。
 パンのかんばやしの前でファンに会った叶は喜ぶが、他の動画配信者の話が出た途端に不機嫌になる。自分だけを見て貰えるかどうか、しっかり見て貰えるかどうかで露骨に態度が変わる叶。塩対応された叶のファンをなぐさめてみるも取り越し苦労だった獅子神。なお、耳が聞こえていても、村雨はマイペースだ。

 叶グッズの帽子に文句を言いつつも被る獅子神と、一旦は被ったが学に押し付ける村雨。そんな場面にも性格の差が出ている。
 三人でガオガオサンデーを食べ終えた後、真経津の言いそうなことを言う村雨。弱気な獅子神に対しては「貴方の遺志は誰かがつぐ」と言い放つ村雨。この流れを、後々に村雨の弱点が発覚する時まで覚えておくべきか賭けません?

 しかし、御手洗の言う「意思」と医師の言う「遺志」。読み方は同じなのに、何でこうも意味合いが変わるのか。

 その後、雑用に「それって死亡フラグ」と言われかけ、ゲーム開始前には村雨に「会いたくなかった」と言われる獅子神。行員の説明不足で「村雨はオレと戦いたくない」と思っていた獅子神だったが、真実は村雨の言った通りの意味だ。

ライフ・イズ・オークショニア

 遅刻して来た刑事ペアと賑やかなおしゃべりをした後、ルール説明からのデモプレイがなされた。なお、サウンド・オブ・サイレンスとは違い、ペナルティ実演は無い。
 デモプレイの後、チーム毎の話し合いの時間が設けられたが、そこで獅子神は村雨から「常に最大値を出せ」と指示を出された。
 嫌そうな表情をし、その指示に難色を示したように見えた獅子神だったが、お医者様から出された指示には従うと宣言した。獅子神は、これまでにも真経津がコイントスをすればそれに答え、自分の質問をスルーされても真経津の問いに「ビーフシチューだ」と返す。それを踏まえてしまうと、村雨を信頼しているのか、ただそういう生き方をしてきたからやってしまっただけなのか疑問ではある。

 実際問題、2回目の選択で、獅子神は村雨の出した指示に従わなかった。この時の村雨には、思いやりなんて欠片も無かったことだろう。処方箋には従え。用法・用量を守れ
 ろくな知識も無いくせに、医師の指示に逆らうな。しかし、それで死ぬなら本望と言うなら、それは仕方ない。

唐突に始まる、「医師の指示には逆らうな」な話

 子供の頃、体調を崩した際に、何時処方されたものか不明な抗生物質を飲まされることが有った。市販薬とは違い、調剤薬局で処方される薬は、医師が想定した期間で飲みきることを前提に作られている。治ったからと飲まずにいるだけならまだしも、残りを保管して自己判断で子供に飲ませるはやめろ
 そうでなくとも、体調不良の原因が何かも分からないのに、子供に何時のものかも不明な抗生物質を飲ませることはやめろ。そもそも、抗生物質は万能はではない。もし、抗生物質が万能であれば、コロナはここまで面倒なことにならなかった。菌とウイルスは別物だ。それすら知らない人間が、適当なことをするなマヌケ。

 また、長いこと医療ネグレクトを受けつつも、あまりにも咳が酷かったからか幼稚園で指摘されて仕方なかったのか、病院に行ったこともある。だが、医師が「肺炎が酷いから入院」と言ったにも関わらず、それすら断ったのが毒親である。

 令和ならば、ここで医師に通報義務が生じるかも知れない(目に見える痣や火傷が無ければ様子見する人も居るだろうから)が、当時はそんなものは無い。
 そして、未成年者の入院手続きは、保護者が行うものである。保護者の同意とサインが無ければ、入院手続きは出来ない。宗教的に手術が受けられなかった子供ならば知られているが、こう言った医療ネグレクトは、「通報義務が出来るまでは、医療関係者以外に知られることすら無かった」と思われる。

 結果的に死ななかったので、こうして生きている。しかし、呼吸器には不安が残っている。ただ、死ななかったのか、死ねなかったのか。それすら不明なのだが、生きてはいる。

命はチップなのか

 真経津が、アンハッピー・ホーリーグレイル戦後で語った命のチップ。ライフ・イズ・オークショニアで用意されたのは十五枚のチップであった。

 競売に勝つ度に、そのチップは消費されて減り、減った枚数に応じてプレイヤーには電流が流れる。最大で十五枚分に相当する電流が流れるが、十五枚のチップを使い切ってしまえば支払い不可能。つまり、命のチップを使い切ってしまったが最後、ほぼほぼ死ぬゲームである。

 そもそも、ハーフライフ自体が、「半分位は死ぬんじゃね?」なゲーム。朔班のこっしゃん曰く、観客は拷問を観に来ている。これが何を意味するかーー

続く

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