幸福願フ詩
ただ漠然と、幸せ願った。
さすれど、その方法は分からなかった。
腹が満ちれば、それは幸せ。
美味いもので腹を満たせれば、更に幸せ。
しかし、それはその時だけの幸せだ。
それを持続する方法は、分からなかった。
ある時は、その理由を過去の自分のせいにして、過去の自分を呪っていた。
数年以上は、そうしていただろう。
だけど、ある時に気付いてしまった。
自らの呪いで、過去の自分から幸せを奪っていたのではなかろうかと。
それに気付いてからは、徐々に過去の自分を呪うことはやめた。
未来の自分を祝福してみようと試みた。
しかし、こちらは持続せず。
祝福したとて、何も良いことは起きはせず。
過去も変えられはしない。
過去は既に存在してしまっている。
ただ、それに気付いて、漸く自分はスタートラインに立てた。
兎と亀は、兎が油断したから勝てただけ。
兎が油断しなければ亀は勝てない。
人間だって同じだ。
持たざる者が他者に勝つには、努力だけでは覆えせぬ差。
スタートラインに立つのさえ遅れてしまった者が「人並みの幸せ」を手に入れようと欲するなら、並大抵の努力では足りはしない。
持つ者は、道を進むのも速い。
持つ者は、道の途中で躓いたとして、挽回までも楽勝だ。
持たざる者は、ただひたすら進むしかない。
それも、道ならざる道を進むしかない時さえある。
そして、道ならざる道だけに、ゴールへ向かって進んでいるかすら分からない。
ゴールとは別の方向に、持てる力の全てを使っておきながら、無駄な方面だけに力を使っている時もある。
それは、大きく道を外れるまで気づかず、違和感を覚えていても、見て見ぬふりをすることさえある。
本来進むべき道が苦難に満ちている程に、間違った道を進みに進み、手遅れになって漸く気付く人も居る。
それも、間違った道が行き止まりになった時に。
取り返しのつかなくなった時に。
正しい道に引き返すことも出来ない程に進んでしまった後で、それに気付く人も居るだろう。
そんな時は、今まで持っていた地図を破り捨てるのが良いかも知れない。
今までの凝り固まった考えは捨て、新しいやり方を模索する。それは容易なことではない。
だが、やらなけらば前には進めない。
模索が苦しかろうと、やらなければ前には進めないのだ。
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