ジャンケットバンク 163話感想
ホモサピエンスも従属栄養生物
宗教的に言うならば、人間と動物は分かれているのだろう。仏教ならば「人間道」と「畜生道」は分かれているし、キリスト教ならば神の肋骨から初めの人間は生まれた。一方、他の生物は天地創造デザイン部任せだった。漫画ネタはとにかくとして、宗教によっては、人間と動物は違うものと描かれているように思える。宗教の専門家でも何でも無いので、そう思っただけだが。
しかし、雑食性のホモサピエンスも捕食者である。光合成等をしてエネルギーを生み出している独立栄養生物とは違い、ホモサピエンスは従属栄養生物である。つまり、畜生達と同じく、他者の命を奪って生きている。
「植物なら、神経も感情も無いから良いよね」と考えて、植物性の食品しか食べない人もいる。だが、植物に心や痛みが無いと証明するのは難しい。何故なら、意思疎通手段も不明だからだ。
ワイルドライフと言う獣医漫画に、カナディアンの樹医が登場する。アフリカンな呪医(ウイッチドクター)ではなく、カナディアンの樹医。その樹医は植物と会話が出来るのだが、余りにも酷い扱いを受けた植物と会話をすると人格が変わる。そのフィクション的な流れを置いておくにしても、街路樹の裏話はかなり痛々しい。完結してから長い作品だが、電子書籍なら手に入るので、興味のある方は試し読みから合うか合わないかの判定をどうぞ。担当Kんむり(カバー漫画にも出てくる主張の強い曲者)の問題がニュースになった後、最終的にハムスターの星に辿り着いてハムな医療器具で治療もする漫画だ。
また、百姓貴族では、植物の生命力を知る荒川おかんが、植物もまた生き物であることを身に染みて分かっている描写がある。つまり、菜食主義者だろうが、命を奪って生きている。何も食べず、生物由来の栄養を補給することもなく、人は生きることは出来ない。纏う服が化繊であっても、その原材料は太古の昔に生きていた生物の成れの果てとも言える。そこまで言い出すとキリが無い上に、流石に命を奪ったとは言えないが。
ホモサピエンスが誕生する前に生きて死んだ生き物は、流石にノーカウントとしよう。果物を食べただけでは、植物の命を奪うまではしていないとか、そこら辺もなあなあで行こう。1年しないで枯れる植物を育てて食べるのも、放置すれば腐るだらうとか、植物由来製品だけで生きる理由なら多々あるのも分かる。
だが、肉は正義。銀の匙よろしく、命を奪う罪悪感を知っていても、肉は旨い。流石に、家畜処理法によって「許可された施設以外で死んだ豚の肉」は食べられない。百姓貴族的に言えば「伝え聞いた話です」的なことが今もあるかは不明。荒川おとんが若かった時代は、獣医学部でも「解体された豚の行く末を見て見ぬふり」があったらしいが証拠も不明。ともあれ、蝦夷農の豚丼は出荷された先の家畜処理施設で命を奪われたのであり、八軒は直接命は奪ってはいない。それでも、ついて回った罪悪感。まあ、八軒は食べた訳だが。
大型家畜は許可された施設で処理しなければならないとは言え、ゴールデンカムイで解体して食べている鹿や兎は別。鹿の狩猟期間はあるものの、お店で買える兎は別。そもそも、昔は家兎肉として飼育され、愛でる対象では無かったのが兎。食べてヒンナ、毛皮を加工しても良し。兎が可哀想とか言い出す人も居るだろうが、ゴールデンカムイ人気がある以上、そういう時代もあったのは分かるだろう。昔は昔、今は今。伝え聞いた話です。獣医学部では、実験に使った兎を食べた奴も居る。私は食べ損ねたが。
獣医学部に限らず、生物学系の学校では直接命を奪うまではしていなくとも、覚悟が必要だ。臨床系となれば尚のこと。村雨先生なら、死は身近。直接命を奪わなくとも、助けられない命はあるだろう。そもそも、医師して働く前に大学で色々とやってきただろう。
命の奪う覚悟のあるキャラ
ジャンケットバンクに登場するキャラの中で、明確に誰か命を奪う覚悟を持ったキャラは御手洗。ザ・ショートホープで、ガンギマリしながら朔主任を投げた。朔主任が御手洗の前に現れない限り、気絶していた御手洗に安全装置がONになっていたことはバレてはいまい。
真経津に関しては、ジャックポット・ジニーの勝利条件を利用した時点で覚悟があるのが分かる。また、シヴァリング・ファイアでも覚悟が決まっていた。
村雨に関しても、「二人纏めて処理する必要があった」との発言から、自分の身を守る為なら命を奪うことが出来る。天堂は、吊している時点で説明不用。
では、デッドマンズ・キャンドルライトの二人はどうなんだ。どちらも、積極的にはやろうとはしていない。どちらも人間を買い込んで(?)はいたが、積極的に命を奪ってもいないし、傷が付くようなことはしていない。ただ、与えることもしていなそうなテラリウムがあった。
叶は強者ではあるが、他のキャラに比べれば積極的に命を奪う描写は不明。ただ、猫が玩具を分解するノリで、結果的に死者は出そうな気はしている。無邪気に戯れた結果、そこにはズタボロの何かが残る。
獅子神に至っては、引率の先生が居たからそれを選べただけで、帰ってから悩むどころでは無かった。実際に命を奪うことは無くとも、勝つ為にはそう見せる必要がある。ここで、真経津のアドバイスが活きるのか。そんなところで次週は休載です。
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