登山セカンド童貞を捨てる
先日は10月3日で登山の日。
平成4年に制定されたらしく、10を“と”、3を“ざん”で登山の日らしいです。
なんと安易な。安易すぎるその命名方式。11月11日がポッキーの日も安易ですが、登山の日も激しく安易ですね。
登山経験は、36年間生きた人生の中で片手で数えるほどしかしたことがない私。記憶の中を辿ると思い出されるのは2つほどあります。登山って敷居が低そうで、高い趣味の一つのように感じます。だって歩くって単純な行為だけど、知識がないと命に関わる大事故に遭いそうな感じがするじゃありませんか。
記念すべき一回目は、小学生の頃でした。父方の実家である大分県玖珠郡にあります切株山(山頂が平になっているから切株らしい)に登った記憶です。切株山への登山は、5月5日の子供の日のイベントで登りました。子供の日なのに体を酷使した記憶があります。子供の日なのに
二度目は2021年にバイト先のメンバーと鶴見山に登山しました。言うなれば私の登山セカンド童貞です。
後輩から誘われた時、「え?登山?キツくないの、それ」と心の中に巣食う怠惰な私は、若干の渋い顔をしながらその誘いに耳を傾けました。後輩は続け様に、鶴見山は比較的登りやすい山らしくそれもルートがいくつかある中の比較的楽なルートで行きます。とのこと。
なんとよくできた後輩だ!楽な登山に楽なルート。私の登山に対する好感度はかなりの急勾配で駆け上がりました。心の中に住み着くミーハーな私は、一度でも登山をすれば「登山をしたんですよ、最近」なんて大きい顔で話ができるじゃあーりませんか。一度でもしてしまえばこっちのもので!
随所随所で見ることのできる絶景。すれ違う登山者との交流。野生の動物たちとの遭遇。そして登山をしたと言う確固たる事実。そうだ、写真もたくさん撮ってSNSに投稿しよう。登山は私の気持ちを昂らせていきました。
が、意気揚々と歩き出して口数が多かったのも最初の数分だけでした。険しくなる登山道。え、聞いてた話と違う。ちゃんとした道なんてのは四捨五入して1/3程度。強調します。四捨五入して1/3程度。残りの2/3強は結構険しい岩場。そう、これを四捨五入すれば立派な3/3。100%です。
いやいや、これが登りやすいならどこも登れませんがな。
途中挫けそうになる私を支えてくれたのはまだ見ぬ素晴らしい景色の存在でした。そうだ。絶景がある。登山には素晴らしい景色があるじゃないか。木々の隙間から見える絶景。SNSに投稿し、多くのいいねがつく登山投稿。あー、映える写真につぐ写真、そして羨望につぐ羨望。
期待に胸を膨らませながら歩き続けました。ただ、一向に見せる気配のない絶景。気がつけば厚い雲と霧に周囲は、白む景色。なんだよ、写真なんて撮れないじゃない。苦し紛れにとった写真は、真っ白け。おいおい、
しかたない。景色は二の次、二の次。SNSに投稿して、羨望の眼差しを浴びようなんてなんと浅ましい!現代人のよくないところです。やはり実際に登山を、リアルに触れ合う人と人、そして自然動物との遭遇。
お!私たちの向かう先に下山中の第一登山人発見。さて、挨拶を・・・と思ったのも束の間。黙々と歩きつづける、第一登山人。話しかけるなオーラがビンビンと伝わってきます。装いもトレラン姿。いや、山を走るなんて正気の沙汰じゃないじゃないかと、ふつふつ思いなが歩き進めました。
人がダメなら自然だ、自然! 後輩が鹿の鳴き声が聞こえます、と言われて耳を澄ませました。鹿というと可愛く華奢なイメージ。そう。私の頭に浮かんだのはバンビ。鳴き声は、「キューン、キュン」のような。
しかし、聞こえてくるのはおじさんのえずくような鳴き声「ヴェェェエー、ゔぇええー」激しくえずくおじさん。こだまする山中。言うなれば、バンビはバンビでも日本のプロレスを席巻した巨漢レスラーバンバンビガロ。そりゃ私たちの想像を遥かに凌駕するのが自然であり、動物よ・・・と意味のわからないことを口にしながらトボトボと歩き続けました。
結局、かれこれ4時間ほどで登頂しました。多少の晴れ間は見えたものの、終始霧に包まれた登山でした。その後、後輩の手料理に舌鼓を打ち、期待したものは得られなかったけどもアウトドア飯で締めっていいじゃないか。と、深く思ったセンカンド登山童貞を捧げた私は、深くその喪失感を噛み締めたのでありました。
ちなみにお腹が満たされた私たちはしっかりとした足取りで、きた山道を歩く、訳もなく、ロープウェイのチケットを購入したことは、ここだけの話です。
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