人の死で感動させるな

タイトル通りです。

 映画とか漫画とかで、大切な人が亡くなって、辛いけど乗り越える。みたいな作品あると思うんですけど、あれが嫌いです。そしてそういう作品がやれ泣けるやれ感動できると取り沙汰される風潮も気に入りません。

 一応こんなことを主張するにはある程度論理もあります。作品における「死」というのは劇薬です。「死」とはそれだけ強い要素であるのです。「死」という出来事が周りに与える影響も強烈です。身近な人が亡くなったらどう感じるでしょうか。当然悲しいし、辛いし、虚しい。それはある種当たり前で、他のすべての情緒を飲み込むくらい鮮烈です。そして同時に非常に単純で、複雑な情緒に比べれば些か粗雑に思えてしまうのです。

 登場人物の気持ちになって見たり、はたまた物語を俯瞰的にみていくことで、自分の味わったことの無い感情、出来事を疑似体験したり、自身のこれまでの記憶と結び付けて共感を得たりする。それこそが本や映画の意義であると私は感じています。作品を通じて恋を知り、儚さを知り、時には劣等感を胸に宿すこともありました。それ故私は、私の知らない情緒を作品に求めます。身近な人間の「死」がいかに悲しいかなんてことは既に知りえています。のであまり面白くない。ただこれは好ましくないという気持ちのほんの一端にすぎません。重要なのはこのあとです。

 先ほどから述べてきた身近な人の死を乗り越えていく、というようなストーリーをありがちだと感じるのは、単純に私がそういう作品をいくつも見てきたというだけです。なので近いあらましの作品を見たことがなければ、非常に心を揺さぶられると思います。not for meでしかないので、たらたらと文句を言える筋合いは本来ないのですが、「死」という劇薬を使っているゆえに個人的に気に食わない結果となってしまいます。

 どんなにありきたりでつまらないと思う作品でも、しっかりと感情移入をさせられたうえで死なれると、心にくるものがあります。自身の意思とは裏腹に目頭が熱くなり、感傷的な気分におちいってしまいます。これが気に入らないのです。だって「死」なんて悲しくてつらいに決まってるじゃないですか。 ずるいです。もし身近な人の大切さを謳いたいならば、ひと時の別れでも日常のほつれでも、丁寧に描写すれば十分足りえます。その分もどかしいような複雑な心情を描くことになりますから、それ故繊細にもなります。辛い心情を描くのに「死」を持ち出すのは安直で愚直です。それなのに、作品を見てしまえば抗えず、なんとなく心を揺さぶられ不安な気にさせられる。感動を押し付けられているような気がして、それが本当に気に入りません。

 それとなんというか、メタ的な感想になってしまうのですが、登場人物の「死」をもってして人を感化させた気になっている作り手がひどく憎たらしく思えてしまいます。「死」をもって人の心を動かせるなんて何もすごいことではないと主張したいのです。そういう作品に限って「感動もの」みたいな顔をして世にのさばっています。そうした売り方自体に嫌悪感を抱いているのかもしれません。

 こういった作品を嫌う理由は結局のところ、「死」が及ぼす感傷の理不尽さというところに集約されるかもしれません。なんでなりたくもないのに不安になったりセンチメンタルにならなきゃいけないんだ、何も見せられているんだ、ということです。話が面白くもないのにただ人が死んでいくだけの作品とかも同じですね。もちろん見なきゃいいんですが、あらすじだけで判断するのも意外と難しいので難儀なところです。

オチもないですが満足したので終わります。

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