流行と好き嫌い

私は世間一般的に有名な曲をあんまり聴きません。昔から好き好んでいたバンドも規模はそこそこあれど、メインカルチャーに台頭することはほぼありませんでした。逆にテレビで取り沙汰される曲を聴いても退屈に感じていました。これは単純に好みの問題であり、そうであると信じたい自分もいます。

ただそれは単なる逆張りに過ぎないのかもしれません。私はどちらかというと斜に構えて世間を見てしまう人間なので、声が大きい人が得する風潮が嫌いでした。テレビが取り上げれば一躍有名という時代でありましたから、流行るか流行らないかはそのクオリティとはあまり関係なく、メディアのような力あるものの庇護下にあるかどうかが影響していると感じていました。そんな中でテレビが取り上げているからいい曲、有名だから好き、というように脳死で流行に縋っていく人々が非常に苦手でした。そのため周りがどうとか有名かどうとかは気にせずに、その曲自体が好きかどうかで判断できる人間でいたいと子どもながらに志し、そうしてきたつもりでした。私はちゃんと曲を聴いていると、そう言いたかった部分があります。

そして最近のチャートの動向の中で、私のそのスタンスを疑わざるを得ない状況に直面します。それはYOASOBIの爆発的流行でした。YOASOBIの作曲者であるAyaseさんを知ったのは2019年の夏ごろでラストリゾートというボカロ曲で心を掴まれ、それから追っていました。当然YOASOBI結成から夜にかける投稿までの流れにも立ち会っており、当初は劇的に伸びていたわけではなかったため、もっと有名にならないかなあと眺めていました。そして少し目を離したすきにスポティファイか何かで急激に再生数が伸びまくります。そしてYOASOBIがニュースにも取り上げられるようになったころ、あんなに好きだったのに冷めている自分がいることに気が付きました。作曲者や曲調が変わったわけでもなくむしろより進化を遂げていました。ではこの気持ちはなんだと考えるうちに不本意な結論に達することになります。

明確な情報源は出せませんが人が誰かを応援したいという気持ちにはある程度傾向があって、その人が周りからも評価されるようになると、自分が応援しなくてもいいかなと冷めてしまうことが多いそうです。つまるところ、私はどちらかと言えばマイナーで知る人ぞ知る「YOASOBI」が好きだったのかもしれないということです。結局のところ自分たちだけが知っている秘密基地感が心地良かっただけで、本当に曲が好きだから追っていた言い切れなくなってしまうのです。他人が聴いているか知っているかが重要になってしまうなら、私が苦手に感じている人々と何も変わりません。

ここ最近は私の好きなボカロ界隈が日の目を浴び、そこ出身のアーティストが流行チャートの上位に食い込むことも常になりました。先ほどのような経緯を辿ってきた私は、好きなものが好きじゃなくなってしまうのではないかという薄く張り付くような不安を感じ、有名になっていく姿を喜ぶ気持ちの奥の方で暗い何かが潜んでいるように思えてなりません。


ここまで長々と書いたのは他の方の意見を知りたいからです。流行と好き嫌いについて、皆さんはどのように感じ、考えますか?

是非意見をお聞かせいただきたいです。以上です。ありがとうございました。

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