「口先の」


 「お前さ、重いんだよ。」
 君にのばした手が振り払われる。
『永遠に』、そのことばを信じていた私は、来るはずだった未来と理想のなか、ひとり取り残されていたのだった。

 

 澄み切った空、教会を模した白色の建物、正装で着飾った人々の中から歓声はわき上がる。人々の視線の先にいたのはシルバーのタキシードにそでを通した彼と、純白のドレスを身にまとう『私』だった。
 これが現実でないのはすぐにわかる。気付かぬうちに眠りに落ちてしまったのかもしれないが、そんなことはどうでもよかった。これは私が見ている夢であり、夢見ていた景色でもあった。
 参列者には式を挙げるなら呼びたいと考えていた顔ぶれがそろっている。会場も西洋を思わせるようなゴシック調、理想通りの式だった。なにも私の要望だけではない。二人のドレスとタキシードは彼の希望そのままだった。二人で思い描いた未来、それがいま目の前に広がっているもの正体であった。
 

 幸せそうな情景をどこからかぼうっと眺めていた。ふわついた頭で何がいけなかったのかとぼんやりと考える。日常のちょっとしたほつれがいつか取り返しのつかない溝になる、そんな話をよく耳にする。少しずつ張りつめていた糸が急にはじけるように彼にも限界が訪れたのだろうか。日頃からお互いに思うところがあるのは仕方ないとは思う。ただ、彼の私を想う気持ちはぷつんと簡単に裂けてしまうようなか細い糸だったという事実に、心がふらついてしまう。
 式場では神父のような人物が誓いの言葉を読み上げている。長々とした文言のなか「永遠に」とか「どんなときも」という言葉だけが耳に残る。誓いますかと問われた彼は迷う様子無く答える。
 

 「はい、誓います。」

 「できもしないこと言わないで。」

 無意識にそう呟いていたことに気づき、はっとする。焦るように周りを見渡すが、他の人に聞こえているはずがなかった。
 

 私は彼の言葉をそのまま、額面通りに受け取っていた。愛しているとかずっと一緒にいようとか「永遠に」とか。それを聞くたびに幸せに包まれるような気持になって、その言葉を信じて疑わなかった。些細な衝突があっても分かり合えると信じていた。でも彼が帰ってくることは二度とない。
 あの言葉も全部口先だったのだろうか。その場限りの甘言、それとも騙すための嘘偽り、どんなことを言ったかも覚えていないかもしれない。記憶の中の彼の声、彼の言葉が死んでいく。認めたくないという感情も、振り回すうちに擦り切れてしまっていた。
 式は終盤に差し掛かり、外へまわった人々はブーケを抱える二人を取り囲んでいる。期待と羨望の眼差しを浴びるなか、二人の手にあったブーケは宙を舞う。きれいに放物線を描いたブーケは幼い少女の下に舞い落ちる。受け取った少女は幼いころの私だった。驚いたような表情を浮かべながら、ブーケを抱きしめると嬉しそうに笑っていた。
 

 幼いころの記憶。親戚の結婚式でブーケを受け取った私は、幸せそうな新郎新婦を見て、私もいつかとあんな風にと夢見ていた。そんな経験からくる憧れがきっと、今こんな景色を見せている。
 眩しい陽の光は空っぽの私を透かしてしまうような気がした。あの日の憧れも未来への期待もすべて抜け落ちた躰は、空っぽなのにひどく重い。呼吸の仕方も分からなくなるような息苦しさの先にあったのは灰色の景色だった。そんなわたしにとってこの空はまぶしすぎて目をそらしたくなる。式が終わり、歓談する人々を傍観しながら徐々に瞼が落ちていく。

 気が付くと私はリビングの椅子にもたれかかるように倒れこんでいた。起き上がり、視界に写るのは妙に広くなった部屋、ここもそのうち出ていくことになる。
 テーブルに投げ出されていたタバコの箱を開けて中身を灰皿にぶちまけ、適当なところに火をつける。彼の置いていったものは全部処分した。今日になって見つけたこのたばこが最後になる。紙箱をびりびりに破いて灰皿に落とすと小さく炎があがる。
 『永遠に』なんて口先だった。信じても空しいだけなら囁く愛に一体どんな意味があるのだろうか。
 慣れたとおもっていたタバコの煙にむせ返り、換気扇のスイッチを入れる。充満した煙が換気扇に吸い込まれていく。行き場のない感情も煙とともに吸い込んでくれないかと、ただその様を眺めていた。

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