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たねまき寺子屋③ ~空海「やさしい心」~

今年4月に初めて宿坊したのが思いのほかいい体験で、それが真言宗系のお寺だったので高野山にも行ってみたのが空海に興味を持ったきっかけでした。
高野山は空海が開いて以来1200年間、戦国時代も危機に見舞われながらもどの勢力にも与せず自立を保ち、信仰を守ってきました。
空海の生涯を追ってみると、これだけの長い間人々が空海の教えを守ってきたのも納得します。
空海の教えは私自身も理解しきってないしたった30分で伝えるには時間が足りなさすぎるので、今回の寺子屋では空海の生き様から世のため人のためが自分のためになることを知り、「やさしい心」を育むことをテーマとして伝えました。


空海の生涯

空海は日本の歴史の中でもこれほどの天才はいないと言われるくらいのスーパースターです。
空海は子供の頃から天才と言われ勉強にも熱心でした。
18歳で大学に入りますが、机の上の勉強で官僚になるだけでは人々を救えないと思い、修行のために退学して出家しました。
しかし当時は国に認められないと正式な僧になれないので、乞食同然の生活を送ることになります。

厳しい修行生活の中で、空海は人々を救う教えを得るため、唐(今の中国)に渡って修行しようと決意します。
正式な僧侶でない空海が唐に行くのはまず不可能でしたが、志を決めた空海は唐の言葉を習得し、朝廷にも根回しして、努力が実り遣唐使に随行することを認められます。
過酷な船旅で遭難しながらも何とか唐に辿り着き、師匠から教えを習得し、日本に帰国します。

帰国した空海は、高野山(和歌山県)を中心に教えを広めました。
空海は仏教以外にも様々な分野で能力を発揮し、例えば唐で勉強した知識を生かしてダムを作って人々の生活を救ったりもしました。
また、人々が生きるために必要な学問を修められるよう、仏教にこだわらず儒教や道教も学べる私立の学校を作ったりもしました。

そんな空海の教えや生き方は色んな人に感動を与え、
生まれてから1200年以上経った今も後世の人に愛され尊敬されています。

世のため人のためが自分の幸せにつながる

なぜ空海は乞食みたいな生活をしてでも人々の役に立ちたいと思ったのでしょうか?
空海は人のために役立つことが自分の人生の意味であると見出し、そんな生き方が自分にとっても幸せだと分かっていたからです。
人の役に立てば自分にとっていいことが沢山あります。

・「ありがとう」と言われてうれしい
・自分の心も気持ちがよくなる
・自分のためより人のための方が力が発揮できる
・人と仲良くなれる
・自分が困った時に助けてくれる
・運が良くなる

空海はまさにこんな生き方を徹底的に貫き、本当の幸せをつかんだ人です。

幸せな生き方をするために今日からできること

「一日一善」です。
1日に1つだけでいいので、人の役に立つことをしましょう。
人の役に立つためには、まず人が何に困っているかを見つけなければなりません。
だからまずみんなに普段から心掛けてほしいことは、人が困っていることにアンテナを張ることです。
これを子供のうちから習慣にできたら、「やさしい心」を持つことができ、大人になっても人の役に立ち自分も幸せになる生き方ができます。


高野山旅行記の記事でも書きましたが、高野山に行ってみるとお坊さんがみんな親切なのは参拝者の財布を見ているからではなく、苦しみから救いたいという真心からなのだと分かります。
お坊さんは空海のような生き方が本当の幸せだと分かっていて、でも簡単にはできないから修行して世のため人のために徹することを目指していて、参拝者への対応もその一環なのでしょう。
世のため人のためというのは仏教に限らず、近江商人の「三方よし」や松下幸之助の「根源思想」にもあるように経済活動にも欠かせない考え方です。
大人になってから気付いても考え方を変えるのは時間がかかるので、子供のうちから人に優しくする気持ちを忘れず成長してほしいなと願っています。

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